断章「白い点、黒い影」
砂嵐の予兆のなか、空の裂け目のように開かれた空間に、MH-60ブラックホークの機影が滑り込んできた。空気は乾いていたが、なぜか湿った生臭い臭いが鼻腔の奥にこびりついて離れない。死臭だった。積まれていく黒い袋がただの物体ではないことを、誰もが知っていた。
田口三曹は最後の袋を積み込む兵士の背中を見送りながら、わずかに息を吐いた。その袋は重く、柔らかく、だが中に入っているのは「かつて人間だったもの」だった。いや、今も人間だと呼ぶべきか──。田口の脳裏を、教範には載っていない問いが掠めては消えた。
「これで終わりか?」
ヘリの騒音の中、機上操作員の声は、耳を押さえてやっと聞き取れる程度だった。アメリカ兵はサングラス越しに死体袋を見下ろしながら、半ば呆れたように小さく呟いた。「ひでぇ臭いだ」と。だが、それを袋に閉じ込めた日本人兵士の顔は、表情すらなかった。感情をどこかに置き忘れたように。
その時、上空の観測ヘリからの熱線モニターに切り替わった視界の中に、白いシルエットがふたつ映っていた。5トントラックの脇で煙草をくゆらせている兵士。もう一人はトラックへ歩を進めていた。その白さは生きているという証だった。熱を持った存在として、モニターは彼らを表示している。
ヘアクロスが点滅し、ロックオンの信号音が鳴った。
「撃て」
誰が命令したわけでもない。照準手、ガナーはその言葉を心の中で自分に対して呟き、指をトリガーにかけた。30ミリチェーンガンが咆哮し、モニターのシルエットは一瞬で光の奔流に包まれた。次の瞬間には、そこには何もなかった。あるのは、肉の断片と、白い液体が点々と撒き散らされた痕跡。赤ではなく白として描写される血の海。それは、熱線画像が描く、非人間的な「死の形」だった。
別の白い影が画面下から飛び出し、再び隠れた。
「……もう一人だ」
ガナーは機械的に照準を移動させ、トラックへと連射を加えた。破裂音とともにボンネットが吹き飛び、燃料が引火し、白い炎がゆらゆらと立ち上がる。煙は黒く、しかし赤外線モニターの中では冷たい灰色にしか映らない。兵士の一人が転がり出てきて、腹部と足から熱を放っていた。生きている。その証拠だった。
だがそれも数秒のことだった。再び画面が白く輝き、砲弾が着弾する。モニターには無数の点となった肉片だけが散らばっていた。
そしてその映像はすぐに消された。
ヘリの中では、レンジャー部隊が降下準備を進めていた。20ミリのバルカン銃手が機外に身を乗り出し、ベルト給弾の機構に体を預けながら警戒していた。兵士たちの目は伏せられ、だが指先には緊張が張り詰めている。
ドアの外では、すでに他のヘリから歩兵が次々とロープで降下していく。交差点、広場、路地裏、廃墟。彼らが着地する場所は、既に何度も衛星とUAVによってマークされ、敵の存在は「すでに消去」されている。モニター上の作業によって。
田口は、耳の奥にまだあの電子音が残っている気がした。ガナーの発砲。白い閃光。人の形が砕け散る瞬間。彼自身は撃っていない。引き金は絞っていない。だが、その映像を共有した。
彼はふと、死体袋の山のひとつに目をやった。あの黒い袋の中には、きっと彼がかつて声をかけた誰かがいる。ニシダ、フルカワ、あるいはあの夜、足を引きずりながら弾薬箱を運んでいた若い兵士。誰かが、誰かを知っている。戦場では、名前はすぐに消え、番号と記号になる。だが、たった一度の会話が、その人物を誰かの中に生かし続ける。
その誰かが今、どこかの袋の中にいる。
「……田口三曹、降下準備を」
無線の中の声に彼はわずかに頷いた。
ヘリがバンクし、街上空へ向かって旋回を始めた。回転翼の空気のうねりが、機体の外板を震わせる。降下ロープが機外に放たれ、レンジャーの兵士たちが次々と身を投じていった。重力を突き抜けて、地面に向かって一直線に。
田口も後に続いた。足を踏み出す寸前、彼は一瞬だけ空を見上げた。乾いた太陽の中、真っ白な光が世界を包んでいた。
それは、モニターに映った「白」ではなかった。