小説断章 横須賀ベースにて──鋼と光のはざま
横須賀の港に朝霧が立ち込めていた。湿った潮風がカメラのレンズを曇らせる。宮嶋は舌打ちひとつでファインダーをのぞいた。湿気を嫌う機材にとって、こういう朝は最悪だ。だが、最悪の朝ほど、絵になる構図が隠れている。
米海軍のインディペンデンス――その艦影が、まるで水平線から浮かび上がった異物のように、霧の中に黒々と沈んでいる。あまりにも異質だった。艦首は斜めに切り落とされ、側面はまるで切子細工のような幾何学的輪郭。鉄の船とは思えない。まるでSF映画の舞台装置のようだ。
「まったけったいな船やな……」宮嶋が鼻を鳴らす。
「トリマラン型艦艇です。ステルス設計も考慮されていて、艦上構造物は極力平面的に……」
背後からぬっと現れたのは、付き添いのカメラ助手。白いヘルメットに海軍指定の反射ベスト。細い指が素早くメモを取りながら説明する。
「えらい詳しいやないか、専門家かお前」
「いえ。WikipediaとJane'sの読み込みです」助手は飄々と答えた。
「ほんで、その寸胴船がどないして走るんや? いかにも重たそうやがな」
助手は頷き、ポケットから小さなスケッチを取り出す。「この艦、吃水は驚くほど浅いです。中央船体に浮力を持たせ、両舷のフロートで安定性を確保。造波抵抗を最小限にして、推進は4基のウォータージェット。最大40ノットで走ります」
「40ノットぉ……」宮嶋の眉が跳ねた。「そら……ホンマかいな」
「ガスタービン2基、ディーゼル2基のCODOG方式。水を吸い込んで後ろから噴射。アルミ合金製で軽量化。沿岸の特殊作戦用だから装甲も薄いです」
「なるほどなぁ……防御を捨てて機動性をとったってわけや」
宮嶋は鼻をすすりながら、艦尾に回り込む。霧がやや晴れてきた。
見えてきた艦尾は、どでかい。いや、“どでかいように見える”のだ。構造のため後部甲板が張り出し、艦の実体以上にボリュームを持っているような錯覚を与える。だが、排水量はわずかに3000トンに満たない。そこに矛盾の美があった。
「ここが“絵”になるんや……」
宮嶋は腰を落とし、斜め下から艦尾を見上げる角度で構図を整えた。シャッターが静かに切られる。
艦中央のボディには大きな開閉扉があり、内部はカーゴデッキになっているらしい。ミッション次第で無人艇や潜水艇、機雷探査システムを積み込むと聞く。
「まさに『海のトラック』です」助手がぽつり。
「けったいな形やけど、よう考えられてるんやな」
宮嶋は珍しく感心した顔をした。
「して、その対空装備っちゅうのは?」
「艦首に57ミリ砲が1門、近接防御用にRAMミサイル発射器が1基。シンプルです。あとは任務次第で対潜ヘリSH-60を2機、後部格納庫に格納可能です。もちろん、甲板には着艦スペースもあります」
「ふーん……軽装、速攻、臨機応変。昔の特攻艇とはえらい違いや」
そのとき、無線が助手の腰元で鳴った。「……司令部より通達。ドック施設の歴史的撮影について案内を希望とのことです」
「また歴史かいな」
宮嶋がふっとため息を吐く。「まあええ。あんた、案内してくれや」
場面が変わり、2人は横須賀海軍施設のドック地区に足を踏み入れていた。
「ここが……?」
宮嶋が目を細める。そこには、石造りの巨大なドック跡が口を開けていた。苔むした石積みの壁。精緻に切り出された花崗岩。それは、艦隊でもなければ海兵でもない、もっと古いものの記憶を抱えていた。
「幕末の建設です。江戸幕府の勘定奉行、小栗忠順の監修で、フランス人技師ヴェルニーの指導により完成しました。石材は千葉・鋸山から搬出され、いまだに現役で使用されています」
「幕末やと……」宮嶋が目をみはる。「こんなん、よう保っとるな」
「しかも、現在ジョージ・ワシントンが入ってる第6ドックは、旧日本海軍の戦艦『信濃』が建造された場所でもあります」
「信濃やと……大和型の……あれか」
かつての巨大戦艦、そしてアメリカの空母。時代が積み重なる場所。
「基地司令が申しておりました。『基地は過去と現在の接合点であり、未来を投影する場所でもある』と」
「うまいこと言うな……けど、戦争の記憶とアメリカの鉄の論理が並んどるんやな、ここには」
宮嶋はドックを振り返る。霧が晴れ、空にはジョージ・ワシントンの巨大な艦橋が、まるで近代の巨人のように浮かび上がっていた。旧日本海軍の魂と、米軍の軍靴が、同じ石畳の上に同居している。
彼は静かにファインダーをのぞいた。
「ここには、戦争だけやない。“継続される現実”が写るはずや」
【終】




