第5章:写真のその先へ
うだるような暑さに包まれていたが、宮嶋は、東京の雑居ビルの一室で、冷房の効いた空間で写真の選定作業に没頭していた。彼の目の前には、世界各地の紛争地で撮りためた無数の写真が広がっていた。ルーマニア、ルワンダ、コソボ、そしてイラン……。どれもが、血と汗と、そして人間の絶望と希望が入り混じった、生々しい「真実」を映し出していた。
ルーマニア内戦でのスクープ以来、宮嶋は文字通り、世界の火種を追い続けてきた。彼の撮った写真は、ときに国際社会を揺り動かし、ときに人々の心に深い傷跡を残した。彼はもう、あの頃の青臭い「真実を伝えたい」という建前を語ることはなかった。ディレクターに告白したように、「ドラマとスリル、そして金と名誉」が、彼を突き動かす根源的な欲求となっていた。しかし、その根底には、幼い頃から変わらない「何が起こっているのかをこの目で見て、カメラに収めたい」という純粋な好奇心が、マグマのように常に燻り続けていた。
彼の隣には、今や立派な一人前のカメラマンとなった、あの若きカメラ助手がいた。彼は宮嶋の教えを受け、数々の修羅場を共に潜り抜けてきた。彼の撮る写真もまた、宮嶋譲りの鋭さと、独自の視点を持つようになっていた。
ある日の午後、宮嶋は、選定作業の手を止め、カメラ助手に語りかけた。
「お前も、わしからなにかまなびたいちゅうやったら雑用をすることやな。」宮嶋の声は、いつもと同じようにぶっきらぼうだったが、そこには深い愛情が込められていた。
カメラ助手は、少し身構えた。宮嶋が、真剣な話をする時の独特の雰囲気だった。
「わしから写真の撮り方の技術的なことを盗もうとしても無理やし無意味や。」宮嶋は、断言した。助手の顔に、わずかな動揺が走る。宮嶋は構わず続けた。「わしには天性の才能があるし、お前にはあらへん。それにそもそも写真の撮り方などひとそれぞれや。」
助手は、唇を噛んだ。宮嶋の言葉は、彼自身の写真家としての傲慢さにも聞こえた。だが、彼が多くの修羅場を生き抜き、世界の主要メディアで写真を発表し続けてきた実績を考えれば、その言葉には重みがあった。助手は、宮嶋の言葉の真意を探るように、彼の次なる言葉を待った。
宮嶋は、助手の反応を意に介さず、さらに核心を突いた。「それよりもそこまでにいたるだんどりをわしから盗むことや。」彼の指が、デスクに散らばる企画書や予算書、そして絵コンテを指し示した。「写真を持ち込んで、そこで売れてなんぼの商売や。予算をたてる、企画書を書く、絵コンテを描く、そういったことがフリーで生きていくためには大切なんや。」
彼の言葉は、フリーランスの報道写真家として生きていくための、実践的な指南だった。それは、大学の写真学科では決して教えてくれない、泥臭く、しかし最も重要なスキルだ。フォトエージェンシーを立ち上げて失敗した苦い経験、週刊誌の「ばったカメラマン」として稼ぎ方を学んだ日々、そして戦場で軍の武官を「籠絡」してきたノウハウ。それらすべてが、宮嶋の言う「だんどり」に含まれていた。彼は、単に写真を撮る「技術者」ではなく、自らの作品を世に問う「プロデューサー」であり、「ビジネスマン」でなければならないと悟っていたのだ。
宮嶋がイランの紛争地から帰還して以来、彼はますますその哲学を明確にしていた。それは、あのイランへの出発前夜、カメラ助手との会話で熱弁した「理屈」だった。
「わしはほんまにわからんわ。この写真のどこがあかんのやろうな。」彼は、かつての大学時代の教授の評価を思い出したかのように呟く。
「課題をちゃんと理解しないんじゃないか。フィルムの種類、ライティング、現像時間、そういったものがきちんと定められているわけだから、まずはそこをまもらないと。」学生時代の友人の声が、脳裏に響く。
「そこのところは、理解してるつもりだがな。ただ、すべてがんじがらめで指定されてとる写真にどんな意味があるんやろう。後残っているののはフォーカスを会わせることくらいやないか」
「ピントを合わせることももちろん大切だ。ただ、それだけじゃない。いわゆる調子のいい写真というのがある。グラデーションやトーンだ。それは現像時間や被写体によってもかわってくる。そういう完成やそれを表現する技術を学ぶ必要がある。」
「わしは、目的とする被写体を迫力ある形でとらえるのが一番やと自分では思う。ただの山小屋写真や木の看板の節穴の写真にどうして学部長賞がもらえるのか理解できんわ。わしには心象写真はむいとらんわ。」
「きみは自分に才能があるとうぬぼれているんじゃないか。」
「そうかもしれへんな。教授は壁にやもりがひっついているような写真をありがたり、わしがめざしているような報道写真は好みとちゃうんやろなとおもうのは事実やな。」
宮嶋は、そうした過去の自分との対話を通じて、彼の写真家としての根幹をなす「理屈」へと立ち返った。
「ここで動かんでどうする。戦場で写真をとることに、きれいごとや意味づけはいらへん。なぜとるのかという理由づけよりも前に、今この瞬間に何をとるべきかを考えるほうが大切や。撮れへんかったらなんも意味あらへん。撮る意味なんか、後で考えればええことや。」
そして、彼はカメラ助手の目をまっすぐに見つめ、強く言い放った。
「そもそもお前もここにわしといっしょに来た時点で撮る意味は無意識のうちに考えているはずや。現場でとる一枚一枚の写真に意味づけなどあらせん。すでに現場に向かうというその行為の中で意味づけはすでにおこなわれとるんや。これがおれの理屈や。」
この「理屈」は、彼の報道写真家としての生涯を貫く根幹であり、彼の存在意義そのものだった。写真一枚一枚にことさら社会的な意味や芸術的な価値を求めるのではなく、「現場に身を置き、シャッターを切る」という行為そのものに、彼自身の生命の輝きと、報道写真家としての揺るぎない使命を見出していたのだ。彼のキャリアは、この哲学によって支えられてきた。そして、この普遍的な報道の精神は、彼が次世代に伝えたい、最も重要な教えだった。
宮嶋は、キャリアの成熟期に達していた。彼の撮る写真は、世界の紛争地で高く評価され、彼は多くの尊敬を集める存在となっていた。しかし、日本の大手メディアに対する彼の批判的な視点は、決して変わることはなかった。
「またまたぼう大手国営放送のクルーがおでましになっとるな。」宮嶋は、テレビに映る、遠くの紛争地からの映像を見て呟いた。
カメラ助手は、その言葉に反応した。「これはどうも爆撃開始というのはかなり精度の高い情報のようですね。彼らが動くときは、大抵何かが起こりますから。」
「ほんまやな。あいつらは地震雲のようなものやからな。やつらの情報網はあなどれんからな。あいつらが本格的に動いたときはおおむね事件はおきとるからな。」宮嶋は、彼らの情報収集能力を認めつつも、その限界を知っていた。
カメラ助手は、以前のような不安げな表情は消え、むしろ冷静に問いかけた。「爆撃開始となれば、地上戦も開始され、報道陣の行動もかなり規制されるでしょう。それに相当にむごたらしい現場をとることになる。報道倫理上の問題に直面しますね。」
宮嶋は、笑った。「ここで動かんでどうする。」彼の言葉には、かつての迷いはなかった。
「ぼくらも、いずれ日本の大手の新聞社の専属カメラマンになりたいですね。」カメラ助手の言葉に、宮嶋はまたもや顔をしかめた。
「アホか。日本の大手新聞にワールドスタンダードな権威などみじんもないは。ここにきている国営放送の連中も同じや。よう考えてみい。ワシントンポストもニューヨークタイムズもアメリカの地方都市の新聞や。それがなぜ世界的影響力をもっているかわかるか。」
「英語媒体だから」
「もちろんん。それもある。われわれも英語圏の記者だったらもっと名が売れてるやろう。まあそれはおいといて。真の理由はかれらの情報の質の高さと信頼度だ。過剰な人権配慮や戦地での及び腰の取材体制の日本の大手マスメディアでは決してえることのできない名誉あるステータスや。」
宮嶋は、日本のメディアが「金を使わなくても強い交渉力を持つ」国際的な権威を得られていない現状を憂いていた。彼らは、その影響力によって取材対象から協力を引き出せる。日本のメディアが「歯牙にもかけられておらへん」のは、その「情報の質の高さと信頼度」が不足しているからだと、彼は確信していた。宮嶋は、自らがその権威を獲得し、日本の報道写真の国際的な地位を高めることに、密かに使命感を感じていたのかもしれない。
ディレクターとの会話は、宮嶋の自己認識の最終段階を示していた。
「最近、お前なんか変わったな。」
「そうでっか。別に鷲自身はなんもおもえへんけどな」
「そうやな、あのルーマニア内戦でのスクープ写真あたりからなんか変わったな。」
「まあ、あれ以降、ルワンダやコソボ内戦などの戦地を駆け巡りましたからね。それに撮った写真もそこそこ売れよったし。」
「お前なんかふきれた感じがするな。」
「そういわれればそうかもしれまへんな。写真をとって真実を伝えるとか、この悲劇をひとりでも多くの人に伝えるとかそういう建前はいわへんようになりましたな。世間からいろいろ批判されるようになりよった。結局はわしは危険と隣り合わせで繰り広げられる、ドラマとスリルが好きなだけなんやろうね。もちろん、それを写真に納めることにより得られる金と名誉も。」
宮嶋は、自身の根源的な動機を赤裸々に語った。それは、彼が報道写真家として生きる「業」であり、彼を突き動かすエンジンだった。
「金も名誉にもならない危険なローカルな戦場で写真をとってこいといわれたどうする。」ディレクターの問いは、彼の「業」の深さを試すものだった。
「うん、悩みますな。基本的にわしはハイリスク、ローリターンのコンバットフォトグラファーとわちゃいますから、でも彼らは非常にフォトグラファー仲間に尊敬されます。そういった意味では、そこに強烈にひかれるなにかがあればみずからの興味だけでいくかもしれまへんな。」
この言葉は、彼の「金と名誉」という現実的な側面と、報道写真家としての「尊敬」や「興味」という純粋な衝動が、依然として彼の中でせめぎ合っていることを示唆していた。彼は、完全に冷徹なビジネスマンになりきれたわけではなかった。彼の内側には、幼い頃から事件を追い求めてきた、あの少年のような純粋な好奇心が、まだ確かに息づいていたのだ。それは、彼の「理屈」を形成する根幹であり、彼の写真家としての生涯を支え続ける、抗いがたい引力だった。
宮嶋は、これからもカメラを手に、世界の深淵、そして自身の内なる真実を追い続けるだろう。彼の物語は、一枚の写真の奥深さ、そして報道という行為が持つ無限の可能性を読者に問いかけ、幕を閉じる。彼のカメラは、彼自身の人生の記録であり、彼自身の哲学を映し出す鏡である。そして、その鏡には、絶え間なく変化する世界と、そこに生きる人々の姿が、映し出され続けるだろう。




