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第3章:権力への挑戦とパパラッチの哲学


イランへの渡航を前にした束の間、宮嶋は再び日本の日常に身を置いていた。彼の生活は、フリーランスの報道写真家として、そして「フォーカス」誌の専属カメラマンとして、多忙を極めていた。彼のカメラは、芸能人のスキャンダルを追いかけ、時には社会の片隅でひっそりと起こる事件を捉える。その被写体は多岐にわたったが、彼の中に流れる「真実を撮る」という根源的な衝動は、決して揺らぐことはなかった。それは、彼が自らの手で「採用試験」を課し、歌舞伎町の夜で「盗撮」の技術を習得させた若きカメラ助手を連れて、日夜張り込みを続ける中で、さらに確固たるものとなっていた。


ある日、馴染みの喫茶店で一息ついていると、偶然、学生時代からの知人である刑事が現れた。刑事は宮嶋を見つけると、少し驚いたように近づいてきた。


「おい、宮嶋じゃないか。久しぶりだな。今、何をしてるんだい?」刑事は、宮嶋の顔をまじまじと見つめた。


宮嶋は、煙草に火をつけながら、紫煙をゆっくりと吐き出した。「ああ、刑事さん。ご無沙汰しとります。今な、ばったカメラマンや。お宅もよう知っとるやろ?『フォーカス』ていう写真雑誌。あれに掲載される写真を専属にとっているんや。」


刑事は顎に手を当てて考え込んだ。「『フォーカス』か。聞いたことはあるな。もしかして、お前、学生の頃バイトしていたあの雑誌社か?」


「そうや。報道機関や出版社、広告代理店をいろいろ受けたが全部すべってわ。ここしか拾ってくれへんかったんや。」宮嶋はあっけらかんと語り、自嘲気味に笑った。その言葉には、かつての大手メディアへの憧れと、それが叶わなかった現実が滲んでいたが、もはや彼に悲壮感はなかった。


刑事は、少し探るような目で宮嶋を見た。「しかしな、宮嶋。有名人の私生活の暴露写真なんか撮って、ひけめを感じないのか?なんだか、人のプライベートを暴いて金儲けをしているみたいで、後ろ暗い気持ちにならないかい?」


宮嶋は、まっすぐに刑事の目を見つめ返した。その視線には、一切の迷いも、ひけめもなかった。「全然。芸能人のスキャンダルやアイドルのケツを追いかけることもひとつの報道写真だとわしはおもうとるからな。悪いことをやっとるとはまったくおもってへんな。」彼の言葉は、彼の報道写真家としての揺るぎない哲学を明確に示していた。彼にとって、カメラの前に存在するものは、それがどんなに「下世話」に見えようとも「被写体」であり、それを撮ることは「報道」の一環だった。その割り切りが、彼をパパラッチという批判されがちな世界でも、臆することなく活動させる原動力となっていた。彼のカメラは、彼自身の「理屈」を体現する武器へと変化していたのだ。


宮嶋の「理屈」は、芸能人のスキャンダルだけでなく、日常に潜む「権力」の不条理にも向けられた。特に、交通違反の取り締まりを行う警察官たちには、彼のカメラのレンズが鋭く向けられることが多かった。


ある朝、宮嶋は自宅近くの交差点で、警察官が隠れて取り締まりを行っているのを目撃した。彼は助手と共に車を停め、その様子を撮影し始めた。


「また駐禁でやられたは。交通課はようがんばとるのう。9つも小隊をもって大勢でうごきまわとるからのう。」宮嶋は、カメラのシャッターを切りながら、溜息交じりに呟いた。


隣で資料を整理していたカメラ助手は、宮嶋の隣で警察官の動きを観察していた。「宮嶋さん、あの覆面パトカー、最近よく見かけますね。新型のようですが。」


「ああ、ふくみ覆面の連中なんかは最近では、ベンツまで導入しとる。市民の税金で見栄張ってどないするちゅうんじゃ。」宮嶋は、苛立ちを隠さなかった。市民の税金が、交通取り締まりのために豪華な車両に消えていく現実に、彼は不条理を感じていた。


カメラ助手は、恐る恐る口を開いた。「まあ、宮嶋さん、遊撃小隊も高性能化する暴走車両に対応するための装備充実なんでしょうが。最近はあおり運転とか、危険なドライバーも増えてますから。」


「えらく交通課の肩を持つな。」宮嶋は、にやりと笑った。「お前、この前、皇宮前で行われたパレード見たか。婦人警官だけの白バイ隊なんぞ編成して、『クイーンスターズ』とかなんとか命名して。交通管制課がちょこちょこと信号調整するなか、縦隊の一般車両を尻目にはればらしい大行進だ。あんなもの、パレードで市民にアピールしてどうなるんや。国民の安全を守るのが仕事やろ?見せびらかすようなことをしてどうするんや。」


カメラ助手は、困ったように首を傾げた。「交通課も信号調整ばかりしているだけじゃないらしいですよ。都市交通課というのがあって、どうしたら渋滞がなくなるかという研究もやっているそうです。それにひき逃げ事件は交通捜査課の担当ですから、専門性も高いと聞きますが。」


「ふん、ご立派なこっちゃ。だがな、俺の目には、あれは『税金を使って権力を誇示する姿』にしか見えへんのや。」宮嶋の言葉には、日常に潜む権力への、深い批判精神が込められていた。彼は、それをカメラで切り取り、世間に問いかけることに意味を見出していた。彼のカメラは、単なる記録媒体ではなく、社会の不条理を暴く武器となっていた。


宮嶋のカメラ助手に対する指導は、彼の写真家としての哲学と、フリーランスとして生き抜くための「段取り」の重要性を明確に示していた。


ある日の午後、宮嶋はカメラ助手とカフェで打ち合わせをしていた。助手の表情には、いまだどこか迷いが見て取れた。


「宮嶋さん、俺、もっと写真の技術を磨きたいんです。宮嶋さんのように、一瞬を切り取る迫力のある写真を撮りたい。」カメラ助手は、真剣な眼差しで宮嶋を見つめた。


宮嶋は、コーヒーカップをゆっくりと置き、助手の目をまっすぐに見つめた。「カメラ助手になりたいちゅうんか。またものずきなやつやのう。まあええわ。人手がほしかったところや。ほな採用試験がわりに、これ貸したるさかい、新宿の歌舞伎町で夜の8時から朝の8時まで立ちんぼしてなんかおもろいもん採ってこいや。1枚でもわしがおもろいとおもうもんとれたら採用や。」


カメラ助手は、宮嶋の言葉に息を呑んだ。それは、彼が宮嶋の弟子となるための、最初の、そして最も重要な試練だった。


「わかりました。がんばります!」若者は目を輝かせた。


「別にがんばらんでもかまへんのやけどな。わしは別に人材募集なんかかけてへんから。」宮嶋はそう言い放ち、再びコーヒーを口に運んだ。


若者は、宮嶋から借りた小型カメラを手に、歌舞伎町の町へと飛び出した。特になにをとるというあてもなかった。そもそも、あのような場所でなんの前交渉もなく、店の前の客や従業員をばしばしフラッシュをたいて撮影をしていれば、こちらからトラブルをまねいているようなものだった。いさんででかけてみたものの、初日はまったくシャッターを切ることさえできなかった。恐怖と戸惑い、そして焦燥感が彼を襲った。


数日たつうちに、彼は何もしなければ何も得られないことを悟る。そして、何をとらなければならないか、そしてそれをどう撮ればいいのかが、おぼろげながらわかりはじめた。彼は、基本は言葉は悪いが盗撮しかないことを知った。そのための張り込みの仕方や、待機用の車の手配、不審がられないたちんぼの仕方などを、誰に教えられるわけでもなく、自然に学んでいった。それは、宮嶋自身がかつて経験してきた道であり、報道写真家として「現場で生き抜く」ための、最も実践的なスキルだった。


数日後、若者が宮嶋の前に現れた。その手には、フィルムの入ったカメラと、わずか数枚のプリントがあった。プリントには、歌舞伎町の雑踏の中に溶け込む人々の、生活感あふれる一瞬が切り取られていた。決して派手な写真ではなかったが、その場の空気、匂いまでが伝わってくるような、妙なリアリティがあった。


宮嶋は、そのプリントをじっと見つめた。そして、ふっと笑みをこぼした。「おお、まあまあやな。ようやった。採用や。だが、金は当分のあいだはらえへんで。それでもかまへんかったらあすからこいや。」


若者は、目を潤ませて頭を下げた。彼は、この経験を通じて、写真の技術だけでなく、「現場で何が求められるか」、そして**「いかにしてそれを撮るか」**という、報道写真家にとって最も重要な資質を、宮嶋から盗み取ったのだ。


この宮嶋の指導法は、彼が大学時代に経験した教授との対立に根ざしている。彼は、芸術的な写真と報道写真との間に、明確な境界線を引いていた。


大学の写真部の教室で、宮嶋はかつての教授の言葉を思い出す。「課題を君はちゃんと理解しているのかね。残念ながら不合格だ。」


彼は、その時の自分の写真を見ながら、今でも理解できないと呟いた。「わしはほんまにわからんわ。この写真のどこがあかんのやろうな。」


学生時代、友人だったカメラ好きの学生が、隣で助言していた。「課題をちゃんと理解しないんじゃないか。フィルムの種類、ライティング、現像時間、そういったものがきちんと定められているわけだから、まずはそこをまもらないと。」


宮嶋は首を傾げた。「そこのところは、理解してるつもりだがな。ただ、すべてがんじがらめで指定されてとる写真にどんな意味があるんやろう。後残っているののはフォーカスを合わせることくらいやないか。」


友人は諦めたように言った。「ピントを合わせることももちろん大切だ。ただ、それだけじゃない。いわゆる調子のいい写真というのがある。グラデーションやトーンだ。それは現像時間や被写体によっても変わってくる。そういう完成やそれを表現する技術を学ぶ必要がある。」


宮嶋は、自分の信念を曲げなかった。「わしは、目的とする被写体を迫力ある形でとらえるのが一番やと自分では思う。ただの山小屋写真や木の看板の節穴の写真にどうして学部長賞がもらえるのか理解できんわ。わしには心象写真はむいとらんわ。」


友人は、彼を諭すように言った。「きみは自分に才能があるとうぬぼれているんじゃないか。」


宮嶋は、苦笑した。「そうかもしれへんな。教授は壁にやもりがひっついているような写真をありがたり、わしがめざしているような報道写真は好みとちゃうんやろなとおもうのは事実やな。」


この大学時代の経験は、宮嶋に「報道写真家としての才能」が、必ずしも「芸術写真家としての才能」と一致しないことを痛感させた。彼は、自分の道は、美しさや完璧な技術を追求するものではなく、**「真実を、最も効果的な形で、世に問う」**ことにあると確信したのだ。そして、その信念は、彼のパパラッチとしての活動、そして交通課批判にまで一貫して流れている。彼のカメラは、彼自身の「理屈」を体現する武器へと、日々研ぎ澄まされていくのだった。



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