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空港の光と影 改

成田国際空港の出発ロビーは、早朝から多くの人で賑わっていた。国際線カウンターの脇には、空港利用者の誰もが一度は目にしたことのある、カラフルなデザインのペットボトル飲料水チェック装置がずらりと並べられている。最近ではどこの空港にも設置されており、その普及は目覚ましい。正面にボトルをすっぽりと入れる穴があり、乗客たちは持ち込みを許可された500ミリリットルサイズまでの飲料水ペットボトルを、次々とその穴に入れていく。


「ピンポン!」


ボトルが装置の奥に収まるたびに、軽快な音とともに、上部に設置された緑色のライトが点滅する。その緑色のライトの下には、さらに黄色、赤と三段階の表示があった。この装置は、簡便ながらも効果的な簡易式爆発物検知装置だ。通常、ペットボトルの中に仕込まれる可能性のある爆発性の液体に含まれる過酸化水素水を、近赤外線で検知する仕組みになっている。驚くべきことに、この技術は、ある国内の検査機器会社が、もともと果物の糖度を測る民生品の技術を転用して開発したものだった。平和な目的のために生まれた技術が、皮肉にもテロ対策へと転用されている。


人々は、慣れた手つきでボトルを投入し、緑のライトが点滅するのを確認すると、安堵の表情を浮かべて次へと進んでいく。しかし、時には黄色や赤のライトが点灯し、警備員が慌ただしく駆け寄る場面も見られた。それは、液体の中に不審な成分が検出されたか、あるいは、単なる誤検知か。いずれにせよ、そこに緊張が走る。


公安部の執務室

都心の一角にある公安部の執務室は、早朝だというのにすでに熱気に満ちていた。壁にかけられた大型モニターには、全国の主要空港のリアルタイム映像が映し出されている。


公安部長の重厚な声が響いた。「空港のセキュリティーチェックは万全だろうな?」


公安課長は、机上の書類に目を落としながら、淀みなく答えた。「はい、爆破テロ予告があってからは、通常の爆発物検知装置に加え、主たるハブ空港には最新のイオン分光測定式爆発探知装置を設置しました。この装置は、爆発物からわずかに漏れ出る特有の揮発性ガスを検知するもので、極めて感度の高いものです。」


部長は眉をひそめた。「確実に爆発物が探知できるというのだな?」


課長は、一瞬ためらったように見えたが、すぐに言葉を続けた。「感度をかなり上げていますので、誤陽性の頻度は上がっています。航空会社からのクレームはありますが、やむを得ません。昨日は、ハネムーンのカップルが搭乗前に爆竹の歓迎を受け、その延焼反応が衣類に残っていたため、予定していた搭乗便に乗れないというハプニングがありました。これに類したものは、ほぼ毎日発生しております。」


部長は腕を組み、沈黙した。彼の表情は、一見平静を装っているが、その目の奥には深い懸念が見て取れる。「爆発物特有のガスがあるのではないのか?」


「部長がおっしゃっているのは、爆発物マーカーのことだろうと思います」と、課長は説明を始めた。「アメリカ合衆国では、1996年の法律ですべての軍用爆薬に特定の物質の転化が義務化されました。日本においても平成9年に、可塑性爆薬に対し、探知剤の混入が義務化されています。例えば、エチレングリコールジニラートやパラモノニトロトルエンなどです。しかし、爆薬を製造している国は他にも多数あり、マーカーだけを探知するというわけにはいきません。そのため、爆薬の原料に含まれる揮発性の物質も、その探知機の対象成分に含めているのです。例えば、ニトログリセリンから揮発する二酸化窒素、黒色火薬や俗にいうアンモ爆薬から出る二酸化硫黄などです。これらの物質は、爆薬だけに特有のものではありません。例えば二酸化硫黄はマッチにも含まれます。航空機の乗客がトイレでマッチを1本吸ったため爆発物探知機が作動し、その便が運休となったケースが、先週地方のハブ空港で発生しました。」


部長は、うんざりしたようにため息をついた。「アンホ爆薬は実際航空機では使用できないだろうが、他の場所では一番使用される可能性が高い爆薬だ。窒素系肥料と軽油さえあれば、誰でも簡単にできる。そして、どちらも誰でも簡単に入手できるものだ。」


「そのとおりです」と、課長も同意した。「すでにダイナマイトの製造量の3倍以上に達しています。発破業界では、現地で肥料硫安と軽油を混合する移動式製造器を使用しています。ただ、このアンホ爆薬は基本的に雷管だけでは起爆しません。少なくとも起爆用のダイナマイトが1本必要です。そう言った意味では、ある程度の規制はかかっていると……」


「まあ、その部分はいかんともしがたい」部長は、話の方向を変えるように言った。彼の心には、未だ拭いきれない不安が残っていた。完璧なセキュリティなど、どこにも存在しないのだ。


警察署長の謝罪

警視庁の一室では、重苦しい空気が漂っていた。中央のテーブルには、一面に大きな新聞記事が広げられている。そこには、ある男性の顔写真が大きく掲載され、まるで犯罪者のように扱われていた。


警視庁理事官が、怒りに震える声でその記事を指差した。「一体なんだ、この記事は!」


向かいに座る警察署長は、青ざめた顔で頭を下げた。「誠に申し訳ございません……」


「この男性は顔写真、本人、家族の実名、携帯電話の番号にいたるまでプロフィールを公にされ、しかもテロリスト扱いにされた。そして、それを行ったのは公安だと。おまえのところの情報管理はいったいどうなっているんだ。おまけにこの男はただのイスラム人のカフェのマスターで、テロ事件とは一切関係なかったという話じゃないか。誰なんだ、内偵をしたのは!」


理事官の声が部屋に響き渡る。署長は、さらに深く頭を下げた。「申し訳ございません。担当者には厳重に注意いたし……」


「注意で済む問題か!」理事官は、握りしめた拳でテーブルを叩いた。「この男性の人生を、お前たちは破壊したんだぞ!信頼は一度失えば二度と戻らない。これが、国民の生命と財産を守る警察のすることか!」


署長は、ただ謝罪の言葉を繰り返すしかなかった。彼の脳裏には、情報が漏洩した経緯、そしてそれがもたらしたであろう悲劇的な結果が、次々とフラッシュバックしていた。過剰なセキュリティ対策、そしてその裏で犠牲になる個人の人権。テロの脅威が現実となる中で、公安と警察は、そのジレンマの狭間で揺れ動いている。市民の安全を守るという大義名分の下、どこまで踏み込むべきなのか。その線引きは、常に曖昧で、そして時として、取り返しのつかない過ちを生み出す。


今回の事件は、単なる情報漏洩では終わらない。これは、警察組織そのものの倫理と信頼が問われる問題だった。理事官の厳しい視線を受けながら、署長は心の中で、この事態の収拾と、失われた信頼の回復への道筋を必死に模索していた。だが、その道はあまりにも険しい。

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