表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/108

被写体の淵へ 第1章:独立と海外取材の洗礼

潮風がまだ遠く感じられる東京の雑踏の中、宮嶋は缶コーヒーを片手に、ビルの谷間に広がる灰色の空を見上げていた。週刊誌のカメラマンとして、彼は文字通り、東奔西走の日々を送っていた。芸能人のスキャンダル、スポーツイベントの熱狂、そして時には陰惨な事件現場。何でもござれの週刊誌の仕事は、彼に「報道写真」の多様性と奥行きを教えてくれた。しかし、組織という檻の中で、彼の根源的な衝動――社会の深層で蠢く「真実」を、自分の目で、自分のカメラで捉えたいという欲求――は、徐々に息苦しさを感じ始めていた。特に、その年の初夏に起こったある出来事が、彼の中で燻っていた独立への火種を、決定的な炎へと変えることになる。


フィリピンで大規模な政治動乱が勃発したというニュースが飛び込んできたのは、まさにそんな時だった。テレビ画面に映し出される、混乱に陥った首都マニラの映像。燃え盛るバリケード、街を埋め尽くすデモ隊、そして銃を構える兵士たち。宮嶋の胸は高鳴った。これこそ、自分が追い求めていた「事件」だと直感した。彼は即座に編集部へ駆け込み、取材に行かせてくれと懇願した。


「デスク、フィリピンに行かせてください!これは特ダネになります!」宮嶋は興奮気味に訴えた。


しかし、デスクの返答は冷たいものだった。「宮嶋、落ち着け。すでに取材チームの選抜は終わっている。お前は国内で他の案件があるだろう。今、手が離せないんだ。」


宮嶋は食い下がった。彼の報道魂が、目の前で起こっている「真実」を撮りたいと叫んでいた。彼は粘りに粘り、最終的には、取材費は一切いらないから長期休暇だけでも、とすがりついた。デスクは渋々、航空運賃だけは出すという条件で、2週間だけの許可を出した。それは、ほとんど個人的な旅行に毛が生えたようなものだったが、宮嶋にとっては、自由な取材への、まさに突破口だった。彼は、僅かな取材費と胸に宿る熱い思いを抱えて、フィリピンへと飛び立った。


しかし、現地に着いてみると、事態は膠着したままで、期待したような劇的な展開は一向に訪れない。マニラの街は異様な熱気を帯びていたが、宮嶋が求める「決定的な瞬間」は訪れなかった。日中はデモが続き、夜は銃声が響くこともあったが、彼のカメラが捉えるべき核心的な出来事は、まるで隠れるかのように姿を見せない。取材期限の2週間が過ぎ、宮嶋は焦燥感に駆られながら編集部に延長を求めたが、あっさりと却下された。彼は失意のまま東京に舞い戻った。


そして、東京に帰還した翌週、衝撃的なニュースが飛び込んできた。フィリピンでクーデターが勃発したのだ。テレビ画面に映し出される、まさに宮嶋が待ち望んでいた「真実の瞬間」の数々。銃撃戦の様子、群衆の暴動、そして混乱の渦中にいる人々の絶望的な表情。宮嶋は、自らがその場にいられなかったことへの、激しい後悔と憤りを覚えた。自分の目の前で起こっている「真実」を、組織の都合で撮ることができない。この無力感が、彼の独立への決意を固める決定的なきっかけとなった。「組織にいたら、自由な取材はできない。真実は、待ってくれない。」彼はそう痛感した。


週刊誌を辞め、宮嶋は新たな一歩を踏み出した。だが、それは決して平坦な道ではなかった。彼は、同じ志を持つ若手のカメラマン3人と共に、小さなフォトエージェンシーを立ち上げた。彼らは、世界の紛争地や事件現場へと飛び出し、自分たちの目で見た「真実」を写真に収め、それを世界のメディアに売り込むことを夢見ていた。宮嶋は、海外取材の足がかりとして、フィリピンにも「ポストだけのオフィス」と、現地の情報収集を担うオペレーターの女性を一人置いた。彼らの胸には、ロバート・キャパのような戦場カメラマンへの憧れと、何よりも「自由」への渇望が満ちていた。


しかし、現実は甘くなかった。取材費はどんどん出ていくばかりで、写真は一向に売れない。駆け出しのフリーランスには、メディアからの信用も、確立された販路もなかった。大手メディアの壁は厚く、彼らの撮った写真は、そのクオリティとは関係なく、多くの場合は相手にさえされなかった。事務所の家賃も滞納し始め、わずか数ヶ月で、フォトエージェンシーはあえなく解散となった。夢は、あっけなく打ち砕かれた。


宮嶋は途方に暮れた。しかし、この挫折は彼にとって無駄ではなかった。彼は、この苦い経験から多くの「現場のノウハウ」を学んでいくことになる。


数年後、都内の居酒屋。グラスを傾けながら、宮嶋は同僚カメラマンにその頃の経験を語っていた。


「それは知らなかったな。カメラとの最初の出会いは? 俺は小学校のときおもちゃのカメラを買ってもらったのがきっかけだったが」と、同僚カメラマンが尋ねる。


「そこは似たようなものだな。うちのじいさんが無類のカメラ好きで当時まだ貴重だった中古のカメラを7才のガキのときに手にすることができたんだ。アイレスのレンジファインダー353Cというやつだ。今でももっているしちゃんと動く。今のカメラ小僧とおなじようにSLを霧中になってとっていた。当時はまだフィルムが高価だったので、12枚撮り1本を取りきるのが精一杯だった。それを近くのDP屋に持って行って、現像焼き付けをしてもらった。そこのおやじからもよくカメラの技術について教えてもらった」


「おれもそうだ。おれはいっしょに暗室の中によく入れてもらっていた。あの暗室の中でフィルムが現像され、印画紙にやきつけられていくプロセスがとても好きだった。プリントにいたる化学的変化がとても不思議だった記憶があるな」


宮嶋は、その時、ふと思い出したように言った。「俺はちょうどそこのあたりに興味をもちはじめたころ、当時の進学校だった私立中学に入れさせられ、一時写真どころではなくなった時期があったんだ」


同僚カメラマンはニヤリと笑った。「そこが俺とはちがうよな。あんたは意外とインテリ的なところがある。そういう違いはそんなところにあるのかもしれない」


「だけどすぐにまた写真をはじめた。中学3年のとき写真部に入った。ちょうどそのとき父親に無理をいって当時まだめずらしかった一眼レフカメラと交換用の望遠レンズを買ってもらった。どちらも新品だった。相当に無理をしたんだろうなと今からおもうと。それからは、ありとあらゆる機会に撮影にいった。」


「おれは撮影会というものはいかなかったな」


「その点はおなじだ。モデル撮影会にはいったけどな」


「おなじく。でもファインダーをのぞいているだけであまり構図とかピントとかかんがえずにいたな。別のことをきっとかんがえていたんだろう」


「ああ、おれも。もっぱら新聞やテレビで報道されるような事件をおっていたようにおもう。実はそれは小学校のときからなんだ。よく学校が休みになるような台風や洪水の時など、水につかった駅や家を何キロもあるいて撮りに行った記憶がある。高校になってからは脱線事故とか山口組系の抗争事件とか」


「俺は高校ときは野球、特のプロ野球の撮影に没頭していたな。自分で採った写真を後で新聞や雑誌に載っていた写真と見比べたりしながら、どこがどう違うのかって分析していたような記憶がある」


「俺もそれはやっていた。プロのカメラマンになった連中はみんなアマの時代にやっていたとおもうよ」


話は大学時代に及んだ。「どこの学校を卒業したんだ」同僚カメラマンが尋ねた。


「日大さ。父親に相当に反対されたがな。経済的に東京の私大なんて到底無理だって。給与明細をみせれらておもわず納得したよ。でも母親が後押ししてくれた。仕送り5万でなんとか1年生をしのいだ。2年生からは奨学金もでたし、寮にはいったからかなり楽になった。でもバイトは年中していたな。」


「おれは専門学校しか出てない。うらやましいよ。やっぱりすごいやつがいっぱいいたか」


「ああ、いなかではロバート・キャパにあこがれて、プロの写真家になろうと上京してきたが、やっぱり井の中のかわずだったことを思い知らされたよ。写真の技術、しぼりや照度、現像や焼き付けといった技術では圧倒的にうまいやつがいっぱいいた。当時の教授の課題はシンプルなものだったが、技術的な要求水準が高かった。1年生の間は一度も課題に合格しなかったな。今思い返せば、報道写真家をめざしていた俺には心象写真的、いわゆる教授が好んでいた芸術的写真を見る目がまったくなかったわけだ。」


「スチルカメラのプロ志望で結構大変だってきいていたけど、実際はどうだった」


「僕はそのへんのところを先輩からいやというほど聞かされていた。フリーカメラマンの悲惨さを。だから学生時代からアルバイトで通っていた雑誌社に入社した。ほかにも報道機関や出版社、広告代理店の就職試験を受けたがすべてすべったっていのうが本当のところだけどね。」


「芸能カメラマンはさすがに俺はいやだったな。どうでもいいような安物芸人のけつを追うなんてことは。」


「俺はその点全く気にしなかった。芸能写真も報道写真のいち分野だと思っていたから。若かったし、がんがんやった記憶がある。週刊紙のいいところは、芸能、スポーツ、事件、事故なんでもやらされるというところだ。新聞社のカメラマンだったらまず地方にいかされ、地元ネタを拾わされるか記者経験をさせられてから、ようやく写真部に配属となるかのどちらかのパターンだ。週刊紙は即戦力としてすぐに現場に投入される。つらかったがとてもいい勉強になった」


フォトエージェンシーの経営は失敗に終わったが、この期間は宮嶋にとって、かけがえのない経験となった。彼は、失敗から多くの**「現場のノウハウ」**を学んでいくことになる。


ある日、彼の元に、一人の若者が訪ねてきた。「宮嶋さん、俺、カメラ助手になりたいんです!」その若者、後の彼の相棒となる人物は、熱い眼差しで宮嶋を見上げていた。


「カメラ助手になりたいちゅうんか。またものずきなやつやのう。まあええわ。人手がほしかったところや。ほな採用試験がわりに、これ貸したるさかい、新宿の歌舞伎町で夜の8時から朝の8時まで立ちんぼしてなんかおもろいもん採ってこいや。1枚でもわしがおもろいとおもうもんとれたら採用や。」宮嶋は、自らの経験から来る試練を与えた。


「わかりました。がんばります!」若者は目を輝かせた。


「別にがんばらんでもかまへんのやけどな。わしは別に人材募集なんかかけてへんから。」宮嶋はそう言い放ち、再び缶コーヒーを口に運んだ。


彼はとりあえず、借りた小型カメラを手に歌舞伎町の町に飛び出した。特になにをとるというあてもなかった。そもそもあんあんところでなんの前交渉もなく、店の前の客や従業員をばしばしフラッシュをたいて撮影をしていれば、こちらからトラブルをまねいているようなものだった。いさんででかけてみたものの、初日はまったくシャッタを切ることさえできなかった。数日たつうちに、なにをしなければならないかおぼろげながらわかりはじめた。基本は言葉は悪いが盗撮しかないことを知った。そのための張り込みの仕方や、待機用の車の手配、不審がられないたちんぼの仕方などをだれに教えられるわけでもなく、自然に学んでいった。


数日後、若者が宮嶋の前に現れた。その手には、フィルムの入ったカメラと、わずか数枚のプリントがあった。プリントには、歌舞伎町の雑踏の中に溶け込む人々の、生活感あふれる一瞬が切り取られていた。決して派手な写真ではなかったが、その場の空気、匂いまでが伝わってくるような、妙なリアリティがあった。


宮嶋は、そのプリントをじっと見つめた。そして、ふっと笑みをこぼした。「おお、まあまあやな。ようやった。採用や。だが、金は当分のあいだはらえへんで。それでもかまへんかったらあすからこいや。」


若者は、目を潤ませて頭を下げた。宮嶋は、この若者の中に、かつての自分と同じ、写真への執念と、現場で学ぶ嗅覚を見出したのかもしれない。


この時期に、宮嶋はフリーランスとして生き残るための、より深い「現場のノウハウ」を身につけていった。それは、単なる撮影技術ではない。


「プレスカードはどうする」と、彼が雇ったばかりのカメラ助手が尋ねる。


「どうするかはこれから決める」宮嶋は答えた。


「カードがなければ入国自体むずかしいだろう」カメラ助手は不安げに言う。


「ああ、かなり難しいだろう。だがプレスカードも良し悪しだ。戦場で軍や警察に身元チェックされた場合、カードがなければ追い出されるのはほぼ間違いない。だが、当事国の軍広報部に申請して発行してもらえれば、場合によっては現場までの輸送手段や護衛まで付けてもらえる。だが逆に言えば軍が常に監視につき、いきたいところに取材にいけなくなる可可能性もあるんだ」


この会話は、宮嶋がこの時期に、**海外での入国手続きのクリア方法、大使館や日本の報道機関からの書類入手方法、そして何よりも「海外での現場に入るためのノウハウ」**を、誰に教えられるわけでもなく、自ら試行錯誤しながら学んでいったことを示す。それは、紛争地や危険地域で取材活動を行う上で不可欠な、生存のための知識であり、彼の後のキャリアを支える礎となった。彼は、金と引き換えに軍を籠絡する方法、あるいは監視の目を掻い潜ってでも真実に迫る術を、この失敗から学んだのだ。


フリーランスとしての活動を再開した宮嶋は、「フォーカス」誌を中心に、再び精力的にシャッターを切り始めた。ある日、彼は偶然、学生時代の知人である刑事に街中で出会った。


「今なにをしてるんだい」刑事は尋ねた。


「ばったカメラマンや。フォーカスていう写真雑誌してるやろう。あれに掲載される写真を専属にとっているんや」


「もしかして学生の頃バイトしていた先か。」


「そうや。報道機関や出版社、広告代理店をいろいろ受けたが全部すべってわ。」


刑事は少し探るような目で宮嶋を見た。「有名人の私生活の暴露写真なんかとってひけめかんじないのか」


宮嶋は肩をすくめた。「全然。芸能人のスキャンダルやアイドルのケツを追いかけることもひとつの報道写真だとわしはおもうとるからな。悪いことをやっとるとはまったくおもってへんな。」


彼の言葉には、一切の迷いもひけめもなかった。彼にとって、カメラの前に存在するものは、どんなものであれ「被写体」であり、それを撮ることは「報道」の一環だった。その割り切りが、彼をパパラッチという批判されがちな世界でも、臆することなく活動させる原動力となっていた。彼のカメラは、彼自身の「理屈」を体現する武器へと変化していくのだった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ