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戦場の残響:記憶の断片を巡る旅


沖縄の夏は、相変わらず容赦ない日差しでアスファルトを焼いていた。那覇市北東部の再開発地域、「おもろまち」。真新しい高層ビル群が空に突き刺さり、デューティーフリーショッパーズや巨大なショッピングセンターが眩しいばかりの光を放つ。その喧騒の中に、ぽつんと、時代から取り残されたように佇む小さな丘があった。安里52高地、別名シュガーローフ。


タイゾウは、使い古されたカメラを首から下げ、その丘を見上げていた。周囲を行き交う観光客も、開発工事のトラックも、誰もこの丘に目を留めることはない。わずか60年前、ここで日米合わせて5000人以上の兵士が死んだという事実が、この平穏な風景の中ではまるで幻のようだ。今でも土地を掘り返せば人骨を始め、砲弾の破片などの多数の戦跡遺物が見つかるという。そんな場所の上に、日常が息づいている。残された白い水タンクのあるこの丘を、振り返る者はほとんどいない。


シュガーローフの南北には、安里バイパスが走り、中央分離帯を挟んで片側4車線の道路の上をひっきりなしに車が行き交っている。道路を挟んで東側には真新しい小学校、西側にはレンタルビデオ店や紳士服の店が建ち並ぶ。かつてクイーンヒル、チャーリーヒルと呼ばれていた場所は、すっかりその面影を消していた。シュガーローフの丘の上には巨大な白い水道用のタンクが建造され、丘の西側は大きく削られている。ヒル1と呼ばれていた場所は造成され、沖縄タイムスの社屋が建っている。現在の社屋方面から、米海兵隊はシュガーローフに向かって進撃していったのだと、タイゾウは資料で読んだ。彼はファインダーを覗くことなく、ただじっと丘を見つめていた。まるで、そこからあの日の兵士たちの声が聞こえてくるかのように。


場所は変わり、東京湾の浦賀水道。潮風が肌を撫でる。海上災害防止センターの消防演習場として利用されている第二海堡は、まるで海に浮かぶ要塞のようだった。1889年8月に起工、1914年に完成したこの人工島は、かつて浦賀水道と内湾の北側境界に位置し、面積は4万1000平方メートルにも及ぶ。関東大震災で一旦廃止されるも、その後海軍が使用し、大戦中は対空砲や防潜網が設置され、戦時運用された。戦後、灯台が設置され、1977年からは海上災害防止センターの消防演習場として利用されている。以前は釣り人の渡船が許されていたが、今は安全上の理由から上陸が禁止されている。


タイゾウは、チャーターした小型船の上から、その海堡の姿をカメラに収めていた。コンクリートの塊が無骨に海面に突き出し、かつての砲台跡が、錆びついた鉄骨を晒している。遠くで、演習用の放水銃が勢いよく水を噴き上げているのが見えた。この小さな島が、かつて日本の海の防衛の最前線だった。その歴史を知る者は、今どれだけいるだろうか。


南国の楽園、パラオ。白い砂浜、青い海、緑の椰子の木々が、タイゾウの目を眩ませる。だが、一歩中に踏み込めば、まだ前大戦中の痕跡が残されていた。ペリリュー戦跡。


彼はジャングルの中を進む。蒸し暑い空気が肌にまとわりつき、生い茂る草木が道を塞ぐ。足元に注意を払わなければ、すぐに木の根に足を取られる。


深い密林の奥、朽ち果てつつも、異様な存在感を放つ鉄の塊が横たわっていた。地雷を抱えた日本兵が捨て身の攻撃を敢行し、撃破した米軍の横転した戦車の残骸だ。この攻撃を敢行した日本兵はもちろん、戦車の乗員である米兵も戦死したと伝えられている。キャタピラは外れ、車輪も駆動輪以外は櫛の歯が抜けるように朽ち果て消え去っている。だが、その分厚い装甲板の四角い車体と丸い小さな砲塔だけは、苔むしながら永久の時を封じ込めつつ鎮座している。回りには若い木々が芽吹き、ぽっかりと空いた操縦席のハッチから緑の葉を揺らしている。その傍らには、この米軍のタンクへの日本軍の攻撃を空から抑えようとして撃墜されたのか、米軍空軍の星のマークがうっすらとまだ残る、戦闘機の左翼の一部が大きな木の幹に立てかけられるように横たわっていた。機銃の弾薬装填パネルが半ば開き、錆び付いた機銃弾がいまなおそこに残っている。全弾撃ち尽くす前に日本軍の対空射撃で撃ち落とされたのだろう。


タイゾウは、ファインダー越しにその光景を捉えた。朽ちた鉄と、力強く芽吹く生命。破壊と再生のコントラストが、彼の胸に迫る。シャッターを切る音だけが、静寂なジャングルに響いた。


彼はさらに奥へと進んだ。激戦地の砂浜、多くの海兵隊が日本守備隊からの猛攻を受け戦死したというオレンジビーチ。その呼び名は揚陸作戦を行った米海兵隊のコードネームに由来するが、砂浜が血で染まったのは事実である。多くの白い十字架がこの砂浜を埋め尽くすように立ったという。一方、守備隊である日本軍は大山山頂を中心に地下に無数の塹壕陣地を建造し、抵抗した。中山山麓の洞穴に今でもいくつかの短砲が苔むしながら鎮座している。その砲座はしっかりと岩の割れ目に固定され、60年たった今でも微動だにしない。砲口は米軍が上陸してきた海浜を刺している。緑の木漏れ日が洞穴の中に差し込む。奥に続く暗いトンネルの先は迷路のような塹壕陣地となっている。ところどころにガスマスクの吸着缶が腐食しながらもその原型を留めて転がっている。タイゾウは、その暗く湿った洞穴の奥を、フラッシュの光を頼りに撮影した。狭い通路、ひんやりとした空気、そして何よりも、ここで命を落とした兵士たちの最後の息遣いが、肌で感じられるようだった。


彼はふと足を止めた。熱帯の木の根は、地面を渦巻く蛇のようにそこら中を這い回っている。注意しないとすぐにそれに足を取られ、前のめりに地面に顔から突っ込むことになる。彼はひときわ大きな木の株と、そこから出ている2本の根を見つけ、注意深くまたごうとした。


カチン、と音がした。偶然に彼の持っていたサバイバルナイフがその根に触れたのだ。彼は不思議に思い、その根をまざまざと見返した。根だと思っていたのは金属の板だった。丸みを帯びた細長い金属の板だったのだ。なぜこんな密林の奥に金属の塊が、と彼はしげしげと見返すと、さらに切り株だと思っていたのは、複雑な突起物が多数出入りしているこれもまた金属の塊であることが分かった。彼は持っていたサバイバルナイフで周囲に絡みついたツタの葉を取り除いていった。現れたのは明らかに航空機のエンジンとプロペラの残骸だった。星形のエンジンに曲がったプロペラが二枚、地面から突きだしていた。前大戦中の物だった。日米どちらのものかは彼には判別できなかったが、なぜこんなところにという思いは消えなかった。なぜなら、ここは飛騨の山中だったからである。


タイゾウは、愕然とした。まさか、ペリリューの戦跡を巡る旅の途中で、日本の山奥で戦争の遺物に出くわすとは。彼は、その錆びたエンジンをファインダーに収めた。それは、故郷の空にも、戦火が及んでいたことを示す、静かな証だった。


まっすぐに続く幅広の道。未舗装ながらこのような広い道路が島の真ん中にある。だがそれは道ではない。日本海軍最盛期にはゼロ戦や一式陸攻など200機以上が配備された大航空基地の滑走路だった。しかし戦局の悪化につれ、未帰還機は増加。度重なる空襲によって稼働機のほとんどを失った。上陸戦が始まる前、わずかに残った稼働機はすべてマリアナへと出撃した。そしてすべて未帰還機となった。米軍はこの飛行場を占領後、多くの航空機を配備し、レイテ作戦に使用した。戦後はベトナム戦のB-52の中継基地として一時使用された後、民間に返還され、パラオ本島との定期航空便の空港となったがそれも廃航となり、今は荒れた滑走路が1本残るだけであった。唯一大戦中をしのばせるものが滑走路脇の密林に残っていた。ゼロ戦の残骸。風防の枠だけが機体に錆び付き、ボロボロとなって残っている。車輪は出た形で地面に固着している。朽ち果ててはいるが、破損しているような跡はない。戦後、米軍によりエンジンと武装だけを外されたのだろう。墜落した機体ではなく、当時の航空隊員たちが必死になって空爆から避難させ、温存させることに成功した数少ない機体だったに違いない。タイゾウは、そのゼロ戦の残骸にそっと触れた。冷たい鉄の感触が、過去の熱を伝えてくるようだった。


戦跡記念館の一角。緑の芝生の上に、95式軽戦車が鎮座している。砲塔部分が吹き飛び、車体部分だけが残っている。錆びてはいるが保存処理をされているため朽ちてはいない。小さな広場だったが、ちらほらと観光客の姿も見えた。小さな説明の立て札がある。多くの観光客の中ではそこまで見るものは少ない。しかも外国人観光客が多い中、それは日本文で書かれてあった。要旨はざっと次のようなものだった。


「この軽戦車は米軍の集中砲火を浴び、その薄い装甲板故に一瞬で大破した。搭乗していた戦車兵は脱出するも、さらなる敵の十字砲火の中で手足は四散、火炎放射器で焼かれ黒焦げになって転がった。焼け残った顔は、幼い少年兵の苦悶の表情だったという。」


珍しく団体の日本人観光客がやってきた。彼らは看板を読むこともなく、戦車の前で笑顔で記念写真に勤しんでいる。その光景に、タイゾウの胸に小さな痛みが生じた。彼らは、この戦車の前で何を感じているのだろうか。


当時としては珍しい、電動の鋼鉄の扉を備えたトーチカ跡が残っていた。日本の工兵隊が設営したこのペリリュー守備隊屈指の強固な防御陣地は、すぐ近くにある日本海軍の西カロリン航空隊司令部を防備するための施設であった。だが、当初予定していた米海兵隊の正面からの攻撃はなく、背後から襲われ全滅した。司令部も破壊され、今は柱と天井部分だけが残るのみとなっている。タイゾウは、崩れかけたコンクリートの壁に触れた。そこに刻まれた無数の弾痕が、激しい戦闘の記憶を物語っていた。


戦場の残響は、時を超えて響き続ける。タイゾウは、シャッターを切るたびに、その声を聞いているようだった。彼の旅は、これからも続く。歴史の証人として、未来へと語り継ぐために。

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