官邸の嵐:総理の孤独と党の葛藤
国会議事堂の向かいに立つ民主党本部。薄暗い会議室には、重苦しい空気が淀んでいた。テーブルを囲む幹部たちの顔には、疲労と焦りの色が色濃く浮かんでいる。
「野党側は政策転換を強く求めてきている。安保改定案を一切修正しないまま、政権与党が突っ走れば、国会空転は避けられない。妥協することも必要なのではないか。」
民主党幹事長の言葉は、現状への危機感を露わにしていた。党内最大の実力者である彼の発言は、重い。
国会対策委員長が、渋い顔で応じた。
「従来の政策や路線を取り下げ、状況の変化に柔軟に対応するというだけならいいが。改定案を骨抜きにされてしまう可能性がある。」
「第一、仮に一部修正に応じたとしても、その点をついて責任追及の火の手を上げてくるのは間違いない。野党のやり口だ。」
派閥領袖の一人が、苦々しい口調で付け加える。彼らの脳裏には、過去の苦い経験が蘇っていた。一度譲歩すれば、そこを突破口にさらに攻め込まれるのが、永田町の常だった。
「奴らの言う政策転換は単なる政策修正の主張ではない。政争の具にして、政権与党を引きずり下ろそうとする画策だ。注意するに越したことはない。」
国会対策委員長は、野党の真意を見抜いていた。彼らは、安保改定案そのものよりも、この問題をテコに現政権を揺さぶりたいのだ。
場所は変わり、党幹事長室。疲れた顔の幹事長が、ソファに深く身を沈めている。その隣には、先ほどの派閥領袖が座っていた。
「総理は足元も固めずに、自分一人が先走っている。理想論だけでこの極めて困難な安保改定を成立させることは土台無理な話だ。」
幹事長の言葉には、総理への強い不満が込められていた。彼の目には、総理の独断専行が、党を、そして政権そのものを危うくしているように映っていた。
「党で作成した改定原案に党内でさえも消極論や慎重論がある状況だ。ましてや野党を含めた議会内で大反発の大合唱が起きるのは当然だ。そういった、身動きがとれない状況の中へ政権を押しやった一端は総理にもあり、まさに一人だけ前のめりになっているその一本調子の政治手法が大いに問題だ。」
派閥領袖の言葉は、幹事長の意見を裏付けるものだった。総理の「一本調子」な政治手法が、党内の不満を募らせ、政権運営をさらに困難にしている。
再び、民主党本部の会議室。国会対策委員長の表情は、さらに厳しさを増していた。
「現政権の支持率は、ここ数週間の間に谷を転がり落ちるように下降曲線を辿っている。原因は度重なる総理のうかつな発言に起因する。野党にうまく足をすくわれてしまっている状態だ。ここは、思い切ってトップ交代で世論の離反を食い止める必要がある。」
核心をつく言葉に、会議室の空気が張り詰める。それは、事実上の「総理おろし」の提案だった。
「風間はどうだ。やつは、マスコミ受けする。言葉だけは達者でいいぶりも都市部のサラリーマン層や若者には受けるスタイルだ。総理の器ではないが、ここは一時的であれ、起用して、V字回復を狙うしかない。」
幹事長の口から出たのは、若手議員の名前だった。彼は、派手な言動とパフォーマンスで知られ、テレビ露出も多い。確かに人気はあるが、総理としての資質には疑問符が付く人物だ。だが、この状況では、背に腹は代えられない。
都内某所の居酒屋。古びた店の奥の個室で、新聞記者たちが囲むように座り、熱い茶をすすりながら、政治談議に花を咲かせていた。テーブルには、食べかけの刺身と空になったビール瓶が並んでいる。
「政権与党も内閣改造でなんとかこの難局を乗り切ろうとしている。当面政局は暫定政権で様子見をしようというところだろう。」
新聞記者Aが、グラスを傾けながら言った。
「改憲論者の筆頭である本命の柳沢首相候補が見送られた以上、ハト派の橋元をつなぎ政権で当面いこうということだろう。」
新聞記者Bが、付け加える。永田町では、次期総理候補の噂が飛び交っていた。
「だが厳密に言えば、日本の政治制度上、つなぎ内閣などは存在しない。マスコミではそう呼称するが、総理は総理だ。法的には本命でもつなぎでも、まったく同じ組織法上の権限を付与される。政治の舞台裏でどんな政治的思惑が働いたとしても、国会で首相に指名されれば、どんなへなちょこ首相も暫定や臨時ではなく、正式な内閣を組閣することができる。法的に制度化されている暫定予算とは字面が同じだけであって、まったくその取り扱いは違う。」
デスクの言葉に、二人の記者は頷いた。永田町の俗称と、憲政の常識は、しばしば乖離する。
「ええ、デスクの言うとおりです。実際過去においても、マスコミでつなぎ政権と言われて暫定的とみられていた内閣がふらふらとしながらも政権を維持し、一年後には安定政権を確立させ、長期政権に結びついた例もある。そういう意味で、首相の権限は強大で、役目は終わったと言って与野党総がかりであたっても、倒閣は実際簡単ではない。」
新聞記者Aが、過去の例を引いて説明する。一度座った首相の椅子は、そう簡単には揺るがない。
「確かに結果的に、過去の政権でも在任期間が長期に及び、長期暫定政権となる場合もないわけではないが、それと今とではまったく政治争点となっている事案のレベルが違う。暫定政権が一年持ってくれれば逆にいいと思わなければならない。おそらく三月ももたないのではないかと僕は思っている。」
新聞記者Bは、厳しい見通しを口にした。今回の安保改定案は、国民の生活に直結するような経済問題とは異なり、国の根幹に関わる問題だ。国民の関心も高く、批判の声も大きい。
居酒屋のざわめきが、記者たちの会話をかき消すように響く。
「政府与党と政権奪取を密かに狙う民自党は、お互いにネガティブキャンペーンを張ってきた。前向きな政策論争ではなく、なんとか相手を引きずり降ろそうとする、国民目線のない政治闘争の泥沼と化している。自らの党の路線のアピールよりも、敵方の党員や閣僚の間の極めて個人的なスキャンダラスな問題点や過去の汚点、果ては人格上の欠点、弱点の攻撃ばかりを狙ってくる。それを党や政府の戦術として大々的に展開している。ここ数日の新聞、雑誌の紙面上は、あら探し、誹謗、中傷の嵐だ。」
新聞記者Aは、永田町の現状に嫌気がさしているようだった。
「いかに街頭でこまめに演説を行い、地方の隅々までどぶ板選挙戦術を展開したとしても、それをマスコミがフォローして公共のテレビ電波に乗せなければ、得票数の増という現実的アウトプットにはつながりにくい。まさにテレビ報道がものを言う時代だ。特に党首討論は、お互いの政治勢力のボス同士の一対一の戦いだ。そこでは、党首個人のパワーが大きく影響する。一対一の個人対決に、後ろに控えるその他大勢の応援団は手出しのしようがない。そしてその討論の勝ち負け、優勢劣勢が即、選挙に大きく影響を及ぼす。党首個人の人気、指導力そのものが国民の目の前で評価され、そしてその評価された、まさに党首力の差そのものが政局を大きく変動させる選挙全体を左右する。」
新聞記者Bが、テレビの影響力の大きさを強調する。現代の政治は、もはや政策論争だけでなく、党首個人の「人間力」で決まるのだ。
「あの総理は、政策上の重要事項について誰か側近に頻繁に相談したり、勝ち負けの見込み計算や今後の政治戦略、国対の作戦の面で知恵を借りたり、資金や力を借りたりすることはほとんどない。そもそも側近への相談は目的ではなく実行手段であり、それ以前の政策決定の段階では必要はないという考え方や気持ちが非常に強い。」
新聞記者Aは、総理の孤高な政治スタイルに言及した。それは、彼の強みであると同時に、弱点でもあった。
「現政権は、革新政党が初めて政権を取った初のケースだ。単に野党が長く、政権担当経験がないというだけではない。それだけに、幼児的な未熟な政治姿勢をはらんでいることを否定できない。いつも未来を語り、将来の姿ばかりに目が向いている。現実を直視し、今目の前にある問題を着実に解決していくというスタンスがない。さらに言うなら、すべてを自らが考え出すということに固執し、オリジナリティに走るあまり、歴史に学ぶという温故知新の姿勢が見られないのは、大きな問題である。」
新聞記者Bの言葉は、痛烈な批判だった。理想ばかりを追い求め、現実を見ようとしない。それは、未熟さゆえの過ちと言えるだろう。
「今までは、良きにつけ悪しきにつけ、予算や法案もすべて党の政務調査会に出してきた。そしてそこで事前調整をしてから、正式な政府案として国会へ提出してきた。それが今では党と内閣は別ものと言わんばかりに『政高党低』で割り切っている。確かに政府組織として法的に認められているのは内閣しかない。政党はあくまでも黒子である。しかし、内閣そのものの母体はあくまでも政権与党である。党としてまとまり選挙戦を戦ってきたからこそ、現政権、現内閣があるのである。内閣があって党があるのではない。一切党には相談せず、閣内ですべてを決定してしまうこの体制では、与党内部で内紛が起きるのも当然だ。」
新聞記者Aの指摘は、党と政府の関係における、根本的な歪みを突いていた。
「今のところ国会はベタ凪状態だ。最大の課題である安保改定の議論が一時棚上げ状態になっているからだ。国会がベタ凪状態だからといって、政権が順風満帆というわけでは決してない。実際、安保問題を外せば議論すべき問題もなく、野党側が手詰まりというのが実態だろう。いや、というより、総理が政権延命を最優先にして安全運転しているだけだ。ここで一旦力をためて、もしかしたら次期国会で中央突破を図ってくるのかもしれない。問題の先送りだとマスコミで非難されているが、あるいは秘策があるのかもしれん。」
新聞記者Bは、総理の真意を読み解こうとする。だが、その真意は、まだ闇の中だ。
「いずれ安保改定という台風が来襲し、政権の基盤を揺るがすような激震が訪れることは間違いない。」
新聞記者Aの予言は、確実に現実となろうとしていた。
「風間おろしが出てきているようだ。党内で裏工作が進んでいるとの情報が複数入ってきている。」
新聞記者Aが、新たな情報を明かす。
「このままでは参院選の敗北は目に見えているからな。トップのすげ替えをしようということだろう。」
新聞記者Bが、相槌を打つ。
「与党分裂、政界再編となるかだ。」
「いや、ぎりぎりまでいくかもしれんが、やはり権力が接着剤になる。」
新聞記者Aは、分裂まではいかないと見ている。
「与党が二つに割れれば、国政の権能を掌握する第一党の地位から滑り落ちることとなる。最終的には政権与党であるということが求心力となり、分裂にまでは至らないのが普通だ。」
新聞記者Bの言葉に、Aは深く頷いた。永田町の論理は、常に権力と結びついている。この嵐の中で、総理は、そして民主党は、いかに生き残るのだろうか。新宿の喧騒とは異なる、静かな、しかし確実な嵐が、永田町に吹き荒れようとしていた。




