第1章『冬の接触者』
関西国際空港。
気温は摂氏2度。到着ロビーのガラスの向こうに、黒い海が静かに揺れていた。
12月の北西風が吹き込む滑走路に、中央アジアの航空会社「TAMIR AIR」の定期便が静かに接地する。
──コードネーム:カリーム。
──生物兵器データ運搬人。
──最終目的地:兵庫・尼崎港。
入国ゲートでは、スーツ姿の女がモニターの陰から無言で監視していた。
黒髪を後ろに束ね、眼光は冷たく光る。冬木真白。防衛省・情報本部外事課所属、特殊行動任務担当。
彼女の任務は単純だ。
「対象が“荷物ごと”日本国内に入国し、港まで無事に運ばれることを確認する」──
そして、回収のタイミングで“静かに奪う”。
捕獲でも、護送でもない。ただ“奪取”する、それだけの仕事。
「入ったわね」
真白がマイクに囁く。通信の向こうから、低い声が返る。
「了解。こちら“黒瀬”。西ゲート車両部隊、臨戦態勢完了。尼崎北岸へ移動開始する」
午前2時12分。尼崎・西宮・芦屋港湾区域。北岸側倉庫群エリア。
潮の香りに混じって、エンジンオイルの匂いが漂っていた。
真白は防寒ジャケットの下に、薄型のタクティカルベストを着込んでいた。
その内ポケットには、サイレンサー付きのGlock19。発砲音は2メートル先でも聞こえない。
「アルビナ号、到着10分前です」
部隊通信が入る。
「港湾ゲート封鎖完了。海保、警察、税関、入管、すべて配置済み」
「不審車両の侵入には?」
「一切の動きなし。だが、裏路地に1台、5分前から停車したままの黒のバンあり」
真白は眉をひそめた。
「それ、近づく前にドローンで確認させて。運転席に人影があったら排除対象」
すぐさま、黒瀬からの確認が入る。
「殺す気か?」
「殺さなきゃ、こっちが死ぬかもよ」
真白は無表情で応じ、港の南岸を見やる。
夜の海が、波間の静寂を装っていた。
2時21分。アルビナ号、北岸に接岸。
港湾労働者に偽装した公安部隊が、船内へ立ち入り検査を開始する。
最初に乗り込んだのは税関職員。次に入管。そして真白と黒瀬が続く。
「……あったわ」
冷凍倉庫区画、2段コンテナの間に挟まれる形で金属製の強化ケースが設置されていた。
ケースには生体センサーが仕込まれ、温度維持機構が作動中。
爆発物ではないが、確実に“人体に有害な何か”が中にある。
「回収」
真白が短く告げ、背後の公安係官が慎重に梱包ケースごと移動させる。
その瞬間――
「動くな!」
甲板後部から、銃声。
制圧予定だった“カリームの随伴者”が、船長を人質に発砲。
2発目の弾がコンテナを掠め、船内が阿鼻叫喚となる。
「……ちっ」
真白が即座に船長の背後の影を目視。
0.8秒。
Glockの銃口が静かに上がり、消音射撃。
「ギャッ……」
声をあげた男が、血を吐いて崩れ落ちる。
船長がよろめいた瞬間、真白は駆け寄り、押さえつける。
「無事です。負傷なし」
後方から黒瀬が到着。
「もう1人逃げたぞ、海に!」
「船だ。小型ボートで脱出した」
海保の巡視艇が、全速力で追跡を開始する。
3時10分。
逃走艇は、南防波堤付近で停船命令を無視したため、威嚇射撃後に強行乗船。
保安官が甲板上で格闘の末、対象を制圧。
その場にいたもう1名の男は自殺用の毒薬カプセルを咀嚼。即死。
真白は、それを港湾監視モニター室で見届けていた。
「毒だわ。……任務失敗に備えてたのね」
「生きて帰るつもりなんて、最初からなかった」
黒瀬の言葉は重い。
真白は頷きながら、回収された金属ケースに目を落とす。
中には、冷却されたままの生体サンプル群と、光ディスク。
ディスクには軍事仕様の暗号がかけられていた。
「これが……全ての始まりね」
真白はその夜の海を、もう一度振り返った。
青く黒い波間に、情報の静かな流れが滲んでいた。




