第二章:栄光と屈辱の狭間で
2.1 曲技飛行隊への異動
「曲技飛行隊への配属だな。よかったじゃないか」と、深見の旧友が、軽い口調で言った。その言葉には、彼への配慮が見え隠れしていたが、深見にはそれが、まるで心ない慰めに聞こえた。
「本当にそうお思いですか。確かに救難落ちとはなりませんでした。しかし、最前線から退くという感覚はぬぐえません」。深見の声には、隠しきれない不満と、深い失望が滲んでいた。彼にとって、曲技飛行隊への異動は、栄光からの転落を意味していた。
「少なくとも対外的には、例えば家族や知り合いに向かっては、胸を張って『空自のトップパイロット』と言うことができるじゃないか」。友人はさらに言葉を継ぐ。
「何も知らない世間一般にはそう映るかもしれませんが、実際は、第一線を離れた旧式の戦闘機に乗ることになります。F-1から市販のスポーツカーに乗り換えるようなものです。最新鋭機に乗りたい気持ちは、戦闘機乗りなら永遠に持ち続けている。私は曲技飛行をするために、これまで血の滲むような訓練を続けてきたのではありません。今回の事故ははっきり言って私の責任ではない。二番機の技量未熟から起きたことは明白です。」
深見の言葉には、憤りがあった。彼が事故の責任を負わされることへの不当感と、最前線から遠ざけられることへの抵抗。その両方が、彼の胸中を占めていた。
「曲技飛行なんて、退屈の極みです。私の先輩にも実は同じような運命を辿らされて、結局空自を辞めた男がいます。これは初めて言いますが、彼いわく、毎日毎日同じ空域で何度も、何度も同じ宙返りをする。死ぬほど退屈な飛行だ。3回飛んで飽きた。見た目にはすごくダイナミックに見えるが、操縦そのものは決められた高度、速度をきっちりと守り飛行する、がんじがらめの規定飛行だと。」
深見は、続けた。「戦闘機乗りとして、今まですべての時間と気力をここにつぎ込んできました。私は心の中でひそかに、アグレッサー、飛行教導隊を目指していたんです。少なからず教導隊の先輩諸氏からのお誘いもありました。上を目指す、それが俺のモチベーションのすべてでした。それが今回のアクシデントでこんなことになって。私はアクロバット飛行なんてまったく興味はありません。」
2.2 アグレッサー:狂気の精鋭たち
「君は飛行教導隊を神聖視しているようだが、アグレッサーの連中はACM(空中戦)の虜になった亡者だ。やつらがあつまっている巣窟は、実戦の戦闘技術とはすでにかけはなれたところを言っている。その意味では君が蔑視する曲技飛行組織と変わりはない。」
深見の友人は、アグレッサーについて、冷めた口調で語り始めた。その言葉には、彼らに対する複雑な感情が入り混じっていた。
「彼らは極めて特異な集団だ。一組織としては異常に少ない機体数。わずか10数機足らずの保有機に、各機2名態勢の20名足らずのパイロット。これはほぼ専用機を割り与えられているに等しい。このような極小の組織でありながら、戦闘、偵察、警戒管制、防空指揮などの実働部隊を束ねる航空総隊直轄部隊という位置づけになっている。へし折りたくなるほどの高いプライドを持つようになるのもうなずける。」
友人は、少し声を潜めて言った。「あいつらは我々とは違う。プライドの塊のような集団だ」。
「彼らには彼らなりの使命がある。今再び冷戦類似の状況が再燃しようとしているなか、最新鋭のロシア製や中国製の戦闘機のマニューバを徹底的に研究し、その飛行を模すことに血道を上げている。そしてそれを完璧なまでに模し、それをもってして全国各地の戦闘飛行隊を巡回指導しているやつらだ」。
「彼らいわく。俺たちは日本の航空自衛隊のパイロットであって、かつその空戦手法においては、仮想敵国であるパイロットを可能な限りシミュレートしなければならない組織だ。最新鋭のロシア製の戦闘機のマニューバーを限られた映像で見て、それのみを頼りに自国が保有する戦闘機でそのマニューバを再現しなければならない」。
その言葉には、アグレッサーたちの、異常とも言えるほどの執念が垣間見えた。彼らは、敵を知るために、自らを敵へと変えることを厭わない。
「やつらの特技番号は俺たちとは違い一段下のTだ。だがただのTとは訳が違う。Fの一段上位に位置する特別なTだ。彼らの乗る機体の垂直尾翼には、コブラマーク、飛行服の胸パッチには赤いどくろ、飛行キャップには英語でアグレッサーの文字。影を見ただけでどきりとするよ。」
友人は、実際にアグレッサーを見た時の印象を語る。「降り立った機影からパイロットがゆっくりと現れてきた。逆光でその顔はよく見えなかったが、機体にははっきりと垂直尾翼に特徴的なマークが入っていた。コブラマーク。すぐ目の前まで彼はゆっくりと近づいてきた。ヘルメットを脇に抱え、飛行キャップをかぶり直している。胸のウイングマークは赤いどくろ、キャップにはアグレッサーの文字。特技番号は飛行隊よりも格下のTだが、ただのTとは訳が違った」。
彼らの存在は、空自のパイロットたちにとって、畏敬と同時に、ある種の異様さをもって受け止められていた。
「滑走路の機体を見たか。ああ、嫌な連中がやってきたもんだ。迷彩に機首に黄枠で囲まれた赤い番号。冷戦時代のアグレッサーの塗装だ。一体今何西暦何年なんだと言ってやりたいよ。飛行教導隊の連中は、クレイジーなやつばかりだよ。大酒飲み、パチンコ狂い。変わりどころでは休日には自宅に籠もりきりで、プラモの戦闘機を作り、そいつで模擬戦闘戦とばかりに部屋中をぐるぐる回ってるやつ。知らない人間が傍目に見たら、大の大人が気が触れているのかと思うだろう。あまりその点からすれば、訓練後にブリーフィングと称して紙に旋回図を書いたり消したりしているACM中毒患者のほうがマシかもしれないな」。
彼らの狂気は、ある種の純粋さから来ているのかもしれない。戦場での生存を極限まで追求するがゆえの、偏執的なまでの探求心。
2.3 ACMの真髄と訓練
「若手の司令の中には、すでにACM訓練は不要だという方もおられるようだ」。友人の口調は、再び真剣なものに戻った。「だが、レーダー誘導ミサイルが使用できない状況は、現代の空戦でも十分に想定される。ジャミングの技術は進歩しており、艦船はもとより航空機にも高性能なレーダー妨害装置が搭載されつつある。肉眼で視認できる距離まで接近し、目標を直接キャノピー越しにロックオンする。赤外線シーカー音のトーンが高鳴るなか、赤外線誘導ミサイルの発射ボタンを押す。あるいは、搭載の固定武装である20ミリバルカン砲で仕留める。どちらにせよ、そのためには絶対にACMの技術がなければ落とせないし、また生き残れない。」
ACMは、現代の空戦においても、その重要性を失っていない。むしろ、技術の進化が、人間の能力を再び問い直す局面を生み出している。
「ACMとは、その空間にいる敵味方全機の軌道を完璧に掌握して、相手の動きの先の先まで読むこと。そしてここぞというタイミングで仕留める。いわゆる機眼を養うことだ。君らはF-15で最新鋭のF-35やF-38を落とすことはできないと思うかもしれないが、そんなことはない。敵の機動を読み、敵の一歩二歩先に自機を操れば、機体性能のディスアドバンテージなど簡単に解消できる。むしろ、下手な推力変更システムに頼ったステルス戦闘機のパイロットは、パイロットではなく、単なるシステムのオペレーターと化している。システムが予測できない機動に、先に先にと割り込んでいくことこそが勝機を見出すポイントだ。」
彼の言葉には、アグレッサーたちの揺るぎない信念が込められていた。彼らは、最新鋭の機体に乗るパイロットたちよりも、人間の技量と洞察力を信じていた。
「もう一つのポイントは、僚機との連携プレイだ。戦闘機は決して1対1の一機撃ち戦を繰り広げることは得策ではない。特に自らの駆る機体よりも高性能な敵機と渡り合うときは、息の合った編隊連携が必須だ。攻撃と防御を互いが分担し、交代しあえば、機動を重ねるうちに必ず相手につきいる隙が生まれる。実戦ではミスをしたほうが負ける。我々は君たちに超人的な飛行技術を教えるのではない。ミスのない正確な軌道をパスできるやり方を教えるのだ。俺たち教導隊は絶対にミスをしない。そこが一発勝負の空中戦におけるマニューバーで君らと決定的に違う点だ。」
アグレッサーの訓練は、完璧を追求するものだった。彼らは、訓練の中で何百回、何千回とミスを繰り返し、その度にそれを修正し、体に染み込ませていく。それは、血の滲むような努力の結晶だった。
「やまぐち(山本貞夫)もACM中毒に陥っている飛行教導隊のパイロットの一人、生きながらえた革命家か幕末のサムライのような風貌をしている。」彼は、アグレッサーの中でも特に異彩を放つ一人のパイロットについて語った。彼らの存在は、空自のパイロットたちにとって、一種の伝説となっていた。
ACMは長くても時間にして3分で勝負がつく。すれ違ってから二旋転か三旋転で勝敗が決するということだ。1旋転でコンマ1秒タイミングがずれただけで、3旋転するころには相手のコックピットから自分の機体のケツを見られることになる。俺たちは離陸してから着陸するまでの数時間のうち、たった数分間の戦いに全勢力を傾けることになるわけだ。戦闘機パイロットにとって、いかに瞬発力、集中力が必要かがこの点だけをとってもよくわかるだろう。