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第3章:国家の意思と残された問い


国家安全保障会議と疑惑の深まり

東京、首相官邸。厳重な警備が敷かれた地下の危機管理センターでは、国家安全保障会議が連日開催されていた。広い会議室の奥には、巨大なスクリーンが設置され、新千歳空港で大破したJAL502便の残骸や、解析されたフライトデータが映し出されている。部屋の空気は重く、誰もが疲弊した表情をしていた。


事故調査委員会から非公式に伝えられた報告は、政府中枢に衝撃を与えていた。「エンジン内部からの爆発の可能性」。それは、「原因不明のエンジン故障」という初期発表の背後に、明確な悪意があることを示唆していた。


「これは事故ではない。テロだ。」外務大臣が、固く握りしめた拳をテーブルに打ち付けた。彼の声は、怒りに震えていた。

しかし、その声に賛同する者は少なかった。首相の隣に座る国家安全保障局長が、冷静な声で反論する。「先生、その可能性は極めて高い。だが、確たる証拠がない以上、公にすることはできない。これがテロだと公表すれば、国際社会はパニックに陥り、北朝鮮との関係は修復不可能なレベルにまで悪化する。彼らの狙いは、まさにそこにあるのかもしれない。」


「事故偽装」という巧妙な手口は、政府を窮地に追い込んでいた。テロだと公表すれば、国際的な非難と緊張は高まる。しかし、事故として処理すれば、国民の間に不信感が募り、政府の危機管理能力が問われる。


防衛大臣は、会議の隅で黙って座っていた。彼の顔には、事件のショックから立ち直りきれていない憔悴が色濃く残っていた。あの機内で感じた死への恐怖が、まだ彼を苛んでいた。彼は神経質そうに、時折指先を組み替えながら、蚊の鳴くような声で呟いた。「二度とあのような事態は避けなければならない…。そのためには、どんな手段も講じるべきだ。」彼の言葉は、彼の臆病さが安全保障へのより過剰な対応、あるいは強硬な姿勢へと傾倒していることを示唆していた。彼は、いまだに夜中にうなされることがあった。あの轟音と、機体が落ちていく感覚が、彼を睡眠不足に陥らせていた。


その隣で、官房副長官は、冷静かつ現実的に状況を分析していた。彼の表情は、事件前と変わらず落ち着いている。彼は、政府の発表や各国の報道から、リ・ジュンギの狙いが単なる破壊ではなく、巧妙な**「混乱の醸成」**にあることを見抜いていた。

「爆薬が使用された可能性は極めて高い。しかし、それを証明する決定的な物的証拠が不足している。そして何より、テロリストが完璧に姿を消している。この状況で『テロ』と断定すれば、国際社会は日本に『犯人を特定しろ』と迫るだろう。しかし、それができないとなれば、我々の威信は地に落ちる。」

彼は深く息を吐き、続けた。「今は、公には事故として処理し、水面下で徹底的に真相を究明すべきだ。そして、今回のような巧妙なテロを防ぐための対策を、秘密裏に強化する必要がある。」彼の言葉には、単なる政治的判断を超えた、危機管理のプロとしての冷徹な分析があった。彼は、この危機を乗り越えるために、何よりもまず「理性」が必要だと知っていた。


首相は、官房副長官の言葉に深く頷いた。彼の意見は、政府の置かれた複雑な状況を最も適切に反映していた。議論は、国際社会への顔と、国民への説明責任、そして水面下での情報戦という、三つの側面で進められていくことになった。


リ・ジュンギの動向と新たな任務

平壌。薄暗い一室で、リ・ジュンギは通信端末の明かりを浴びながら、今回の任務報告書を作成していた。彼の指先がキーボードを滑る。画面には、今回の「事故」によって引き起こされた日本の混乱、国際社会の動揺、そして日本の経済指標への影響がグラフと数字で示されている。彼の報告書は、客観的データと「事故偽装の成功」に焦点を当てたものであり、感情は一切含まれていない。彼にとって、重要なのは「任務の成功率」と「目的達成への貢献度」だった。


「報告完了。」彼は短く呟いた。彼の顔には、一切の感情が読み取れない。ただ、完璧な任務遂行を終えたことによる、冷徹な達成感が漂っている。


しばらくの後、彼の通信端末に、上官からの新たな指令が届いた。それは、今回の「事故」によって生じた日本の国内の混乱と、国際社会の動揺を最大限に利用し、日本経済へのサイバー攻撃など、目に見えない形でさらなる揺さぶりをかけることを目的としたものだった。


「日本経済の主要インフラへのサイバー攻撃。混乱をさらに拡大させ、我々の要求に対する彼らの交渉姿勢を軟化させる。」上官の音声データが、機械的に読み上げられる。「対象は、金融システム、電力網、交通網。全て事故に見せかけろ。」


リ・ジュンギは、静かにその指令を聞き終えた。彼の思考は、既に次の任務の遂行へと移行している。爆薬の設置も、サイバー攻撃も、彼にとっては全てが「祖国の利益」のための「合理的な行動」に過ぎない。人命の犠牲も、経済的な混乱も、彼にとっては何の感情も伴わない数字に過ぎなかった。彼の感情のない瞳には、自らの行動が祖国に「利益」をもたらしているという確信だけがあった。


彼は、これまで使用していた隠れ家を捨て、新たな潜伏先へと移動を開始する。彼の動きは無駄がなく、痕跡を一切残さない。彼の存在そのものが、北朝鮮の国家戦略の一端であり、決して明るみに出てはならないものだった。彼は、完璧な偽装と逃亡を続けており、その痕跡はなかなか掴めない。彼の冷徹な思考が、次なる「合理的な行動」へと向かう。


フライトレコーダー解析の深層と専門家の違和感

JAL502便のフライトレコーダー(FDR)とコックピットボイスレコーダー(CVR)の解析は、連日、秘密裏に進められていた。事故調査委員会の公式発表は「原因不明のエンジン故障」に留まっていたが、内部の専門家たちは、その結論に強い違和感を抱いていた。


航空機事故解析の第一人者であるベテラン技官、田中は、ヘッドホンを装着し、何十回となくCVRの音声データを再生していた。機長と副操縦士の緊迫したやり取り、機体の警報音、そして、あの「爆発音」。


「もう一度、エンジンの火災警報が鳴った直後の音を聞かせてくれ。」田中が指示を出す。

解析担当者が、波形データを拡大する。

「これだ…」田中は呟いた。「通常のエンジン爆発音とは、周波数がわずかに、だが明らかに異なる。外部からの衝撃音でもない。もっと…内側から、特定の部分が粉砕されたような、圧縮された音だ。」


FDRのデータも、田中の疑念を裏付けていた。エンジンの回転数、温度、燃料流量、そして振動パターン。全てが、これまでの航空機事故のデータとは異なる、特異な挙動を示していた。特に、燃料系統のパイプラインと、エンジンの制御系が集中する箇所に、不自然なデータ異常が一瞬記録されていた。それは、小さな爆発が内部で起こったかのような痕跡だった。爆発物処理の専門家も、このデータと、回収されたエンジンの破片に残る微細な痕跡から、「極めて小型の、しかし高性能な爆発物が使用された可能性が高い」と結論付けていた。


これらの事実は、政府高官にのみ非公式に報告された。公式には「機体内部の複雑な機構の連鎖的故障」として処理されることになっていたが、解析担当者の中には、テロの可能性を強く疑う者が現れていた。彼らは、サレンバーガー機長が感じた「違和感」を、科学的なデータから裏付けていた。だが、彼らはその事実を公表することは許されなかった。政府の意向と、国際社会の混乱を避けるためという大義名分の下、真実は隠蔽されようとしていた。


英雄としてのサレンバーガー機長と残された課題

サレンバーガー機長は、メディアに「奇跡の機長」として称賛され、一躍国民的英雄となった。連日、テレビや新聞は彼の冷静な判断と卓越した操縦技術が、多くの命を救ったのだと報じた。彼は、各地での講演に招かれ、国民からは感謝と尊敬の眼差しを向けられた。


しかし、彼の心は晴れやかではなかった。多くの命を救った達成感と、救えなかった命への自責の念は常に彼の心を苛んでいた。そして何よりも、事故調査委員会の「原因不明の故障」という結論に、彼は内心で強い違和感を覚えていた。自身の経験と、エンジンの異常な挙動は、単なる故障では説明がつかない。彼のプロフェッショナルな直感が、「これは事故ではない」と強く訴えかけていたのだ。


彼は、密かに独自に情報を集め始めた。航空関係の知人、旧友のエンジニア、そして事故調査委員会の末端の職員。彼らから得られる断片的な情報をつなぎ合わせるうちに、彼の違和感は確信へと変わっていく。エンジン内部からの爆発。それは、外部からの攻撃では説明できない、巧妙な破壊工作。


日本政府は、表面上は国際社会に対して事故としての説明を続けているが、水面下ではテロ対策を強化し、情報機関がリ・ジュンギのようなテロリストのネットワークを追及している。だが、彼らは「影」のように巧妙で、なかなかその実態は掴めなかった。サレンバーガー機長は、自身がこの事件の「真実」を知る重要な証人であると感じていた。彼には、あの日の「違和感」を、国民に、そして世界に知らしめる義務があると感じていた。


政府要人の「生還」の意義と政治的影響

あの「事故」から数週間が経ち、防衛大臣と官房副長官は公務に復帰していた。


防衛大臣は、事件後、精神的なトラウマを抱えながらも、自身の経験を政策に活かそうと模索していた。彼の顔には、以前にも増して神経質な表情が張り付いていた。彼は、テレビで「エンジントラブル」と報じられる度に、内心で激しい動揺を覚える。あの轟音と、機体が落ちていく感覚は、彼の脳裏から決して離れない。彼は、夜中にうなされることが頻繁になった。彼の臆病さが、安全保障へのより過剰な対策や、強硬な姿勢へと傾倒させていた。「我々は、見えない脅威から国民を守らなければならない。そのためには、法整備も、予算も、人的資源も、あらゆるものを惜しむべきではない。」彼は、国会でそう力説した。彼の発言は、国民の不安を煽り、防衛費増額や、監視社会の強化を求める世論を形成していった。


一方、官房副長官は、この危機を乗り越えたことで、政府内での信頼をさらに得る。彼の冷静な判断力と人望が、この混乱の中で政府をまとめる上で重要な役割を果たしていた。彼は、単なる英雄ではなく、危機管理のプロとしての評価を高めた。彼は、防衛大臣とは異なり、この「事故」が持つ裏の意味を深く探ろうと、情報機関に非公式の指示を出していた。「あのエンジン故障は、あまりにもできすぎている。事故に見せかける意図が、背後にあるのではないか。」彼は、リ・ジュンギのようなテロリストの存在、そして彼らを操る北朝鮮の深層部にある戦略を警戒していた。彼は、日本の安全保障が、目に見える軍事力だけでなく、情報戦やサイバー戦といった「非対称な脅威」に直面していることを痛感していた。


二人の生還は、日本政府の今後の外交・防衛政策に大きな影響を与えた。特に、見えない脅威に対する警戒感が高まり、サイバーセキュリティの強化、情報収集能力の向上などが、喫緊の課題として浮上した。国際社会は、日本の「事故」に表面的な同情を示す一方で、裏では情報戦が繰り広げられ、各国の情報機関は日本の動きを注視していた。


影の組織の暗躍と新たな脅威

リ・ジュンギの背後にいる北朝鮮の組織が、今回の「事故」をきっかけに、日本国内におけるさらなる情報工作やサイバー攻撃など、目に見えない形での妨害活動を強化する兆候が見られた。彼らの目的は、日本の混乱を継続させ、国際社会における日本の信用を失墜させることにある。彼らは、日本の経済インフラ、特に金融システムや電力網、交通網に対するサイバー攻撃を計画していた。それは、物理的な破壊を伴わず、国民生活に直接的な影響を与え、社会不安を最大限に引き起こすことを狙ったものだった。


日本政府の情報機関は、水面下でリ・ジュンギのようなテロリストのネットワーク、そして彼らがどのように日本国内へ潜入し、活動資金や物資を調達しているのかを洗い出すため、秘密裏に捜査を継続していた。しかし、リ・ジュンギは、完璧な偽装と逃亡を続けており、その痕跡はなかなか掴めない。彼の行動は、まさに「影」そのものだった。


国際社会は、日本で起きた「原因不明の航空事故」に対し、表面上は同情を示すものの、裏では情報戦が繰り広げられる。各国は、自国の利益のため、この「事故」の真相を巡る情報収集を強化していた。


物語の結末と残された問い

サレンバーガー機長は、英雄として称えられながらも、心には拭いきれない疑問を抱え続ける。「あれは本当に事故だったのか?」「なぜ、私たちが狙われたのか?」彼は、自身の直感を信じ、「事故」の裏にある真実を、個人的に追求していくことを決意する。彼のデスクには、回収されたJAL502便のエンジンの写真、そして不自然なデータの波形図が広げられていた。彼は、この真実を明らかにすることが、自身の使命だと感じていた。


政府は表面上、事件を収束させ、対策を講じているように見えるが、リ・ジュンギのような**「影の存在」**が、日本の安全保障を脅かし続けていることを示唆する。リ・ジュンギは、北朝鮮のどこかの秘密拠点から、日本の主要インフラに対するサイバー攻撃の準備を静かに進めていた。彼の次の「任務」が遠くで始まり、新たな危機が迫っていることを暗示している。


物語は、事件の全貌が完全に解明されることなく、読者に「非人間的な合理主義」と「国家間の冷酷な思惑」がこの世界に存在し続けることを示唆して終わる。サレンバーガー機長の個人的な追求、官房副長官の影での動き、そして防衛大臣の新たな変化が、今後の展開への布石となる。日本の空は、今、目に見えない脅威の影に覆われ始めている。そして、この「事故」が、日本社会に深い傷跡を残し、未来の安全保障のあり方を大きく変えることになるだろう。

【要約】JAL502便の墜落事故は、表面上は「原因不明のエンジン故障」として処理されたが、政府中枢はテロの可能性を認識し、対応に苦慮していた。外務大臣は怒りを露わにするが、官房副長官は巧妙な「混乱の醸成」という敵の狙いを看破し、公には事故として処理しつつ、水面下での真相究明と対策強化を主張。


一方、北朝鮮のテロリスト、リ・ジュンギは任務成功の報告を終え、日本の経済インフラへのサイバー攻撃という次なる任務を淡々と遂行しようとしていた。


フライトレコーダーの解析でも、専門家が不自然な爆発音とデータ異常を発見し、テロを確信。しかし政府の意向で真実は隠蔽される。


英雄となったサレンバーガー機長は、直感と断片的な情報からテロを確信し、個人的な追求を開始。防衛大臣はトラウマから強硬な姿勢へ傾倒し、官房副長官は危機管理のプロとして評価を高めていた。日本の空は、新たな脅威の影に覆われ始める。

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