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第2章:絶望の中の決断と隠された真実


サレンバーガー機長の決断と葛藤

「機長、この高度では滑走路への回頭は不可能です!市街地も危険です!」副操縦士の切羽詰まった声が、コックピットに響き渡る。計器盤はアラートの赤ランプで埋め尽くされ、警報音がけたたましく鳴り続けている。機体は激しく揺れ、制御が困難を極めていた。エンジンからの煙と焦げた匂いが、機内に充満し始めている。


サレンバーガー機長は、計器盤の数値と窓の外の景色を交互に確認し、瞬時に判断を下した。彼の頭の中では、何千時間ものフライト経験と、数えきれないほどの緊急着陸訓練の記憶が駆け巡っていた。新千歳空港周辺の地形図が、まるで目の前にあるかのように鮮明に浮かび上がる。市街地を避けるには、空港の東側に広がる広大な農業地帯、その先の小さな川と林に囲まれたわずかな農地しかない。しかし、そこは平坦な場所が少なく、不時着には極めて危険な地形だった。


「わかった。不時着ポイントを探す。副操縦士、チェックリストを!」彼の声は、状況に反して信じられないほど落ち着いていた。それは、彼の長年の経験と、何よりも「人命を守る」という強い信念に裏打ちされたものだった。数百人の命を預かる重圧が、彼の両肩にのしかかる。もし失敗すれば、大惨事となる。しかし、彼の信念が、その迷いを振り払った。「人命を守る」という揺るぎない使命感が、彼を突き動かした。


機内では、客室乗務員たちが、震える声で叫んでいた。「シートベルトをしっかり!頭を下げて!衝撃に備えてください!」彼らもまた、必死に平静を装いながら、乗客に指示を出している。しかし、その顔には恐怖と絶望の色が濃く表れていた。多くの乗客が悲鳴を上げ、家族や大切な人の名を呼び、祈りを捧げている。


特別席の防衛大臣は、顔を青ざめさせ、小刻みに震え始めていた。彼の大きな目は恐怖に見開かれ、何度もシートベルトを強く握りしめる。彼は、このような極限状況での対処法を知らず、ただ目の前の現実に圧倒されていた。「もう無理だ…」彼の口から、か細い声が漏れた。彼の神経質な性格と、臆病な一面が、この危機で露呈していた。もはや大臣としての威厳はそこにはなく、ただ一人の人間としての弱さが晒されている。


その隣で、官房副長官は、一瞬顔を硬直させたものの、すぐに冷静さを取り戻した。彼は、周囲の乗客のパニックを視線で感じ取りながらも、自らは落ち着きを保とうと努める。彼は、防衛大臣の肩を軽く叩き、低く落ち着いた声で話しかけた。「大臣、まだ大丈夫だ。機長に任せるしかない。俺たちは生きて帰るんだ。」彼の言葉には、不安を煽らず、むしろ周囲を安心させるような独特のユーモアと強さが滲んでいた。彼は、「生きて帰る」という自身の信念を貫くため、何よりもまず冷静であることに徹した。彼は、この機長の操縦にすべてを託すしか、選択肢がないことを理解していた。


不時着へのカウントダウン

「機長!速度が…!このままでは失速します!」副操縦士が叫んだ。残されたわずかな揚力と速度で、機体を支えるのが精一杯だった。


サレンバーガー機長は、目の前の小さな平地を視認した。そこは、小さな湖と林に囲まれた、わずかな農地だった。滑走路のような平坦さも、舗装もない。しかし、他に選択肢はなかった。これが、数百人の命を救うための、唯一の希望だった。


「副操縦士、着陸灯!フラップを最大!接地準備!」


彼は、経験に基づいた直感と、卓越した操縦技術の全てを集中させた。損傷したエンジンでは出力制御がままならない。機体をわずかに傾け、速度をギリギリまで落としながら、機首を上げ、揚力を最大限に引き出す。それは、まさに綱渡りのような操縦だった。風切り音が激しくなり、機体はまるで紙切れのように揺れる。


機内では、衝撃に備える叫び声が響き渡る。乗客たちは、互いに抱き合い、目を固く閉じ、来るべき運命を待った。防衛大臣は、顔を埋めるようにして身を縮めている。官房副長官は、ぐっと歯を食いしばり、姿勢を低くして衝撃に備えていた。彼の心の中には、家族の顔が浮かんでいた。


機体は、猛烈な速度で地面に接近する。農地の上空をかすめ、タイヤではなく胴体で接地する、まさに腹部着陸だ。


「衝撃に備えろ!」サレンバーガー機長の叫び声が、コックピットに響き渡る。


ゴオオオォォォン!!


轟音と共に、機体は激しく地面と衝突した。胴体が引き裂かれるような鈍い音が響き渡り、火花が散る。機体は土煙を上げながら滑走し、激しい振動が全身を襲う。座席がめくれ上がり、荷物が宙を舞う。地獄のような光景が広がる。乗客たちの悲鳴と、破壊される機体の音が混ざり合う。


やがて、機体は完全に停止した。周囲には、静寂と、破壊された機体から立ち上る煙、そして微かなうめき声だけが残された。


リ・ジュンギの完璧な隠蔽工作と政府の初動

不時着の報は、瞬く間にリ・ジュンギの隠れ家へと届いていた。彼は、携帯端末の画面に表示される502便の機影が消滅し、煙が立ち上る映像を冷静に見つめていた。彼の表情には、勝利の感情は一切ない。あるのは、計画が完璧に実行されたことへの、冷徹な満足のみだ。


「成功した。予想通りの結果だ。」彼は、感情のない声で呟いた。


彼は直ちに、遠隔起爆に使用した通信端末を特殊なケースに収め、用意周到に計画された逃走経路を辿り始めた。端末は、瞬時にデータが消去され、物理的にも溶解するよう設計されている。彼が動くたびに、靴底に仕込まれた特殊な粉末が、彼の足跡を消し去る。彼は、これまで潜伏していた場所のあらゆる痕跡を消し去り、予め用意された車両で移動を開始する。空港への侵入、爆弾の設置、起爆、そして逃走。全てにおいて、彼は寸分の狂いもなく、完璧な隠蔽工作を実行していた。彼の目的は、あくまで「事故に見せかける」ことであり、自身や祖国の関与を完全に否定できるよう、あらゆる証拠を消し去ることだった。彼の思考は、常に最も効率的で、最も無慈悲な解決策へと向かう。


一方、新千歳空港の管制塔では、機体の停止を確認した管制官たちが、安堵と同時に混乱の極みにいた。旅客機からの緊急着陸要請、そして「エンジン火災」という言葉。直ちに空港の緊急体制が敷かれ、周辺の救急隊、警察、自衛隊への通報が行われた。


同時刻、東京の首相官邸にも一報が入る。防衛大臣と官房副長官が搭乗していたこと、そして「エンジントラブルによる不時着」という報告に、政府中枢は騒然となる。首相は即座に国家安全保障会議の招集を指示。事態の真相解明と、人命救助を最優先事項とした。しかし、この時点ではまだ、テロの可能性は水面下で極秘に調査される段階だった。政府は当初、**「原因不明のエンジン故障による事故」**として発表準備を進めることにした。これは、国際的な混乱を避けるための、政府としての初期対応だった。


惨状と救助活動、そして政府要人の生還

機体が停止した瞬間、コックピットには静寂が訪れた。煙が充満し、焼け焦げた匂いが鼻を突く。サレンバーガー機長は、意識が朦朧としながらも、懸命に目を開けた。幸い、副操縦士もまた、無事なようだった。


「副操縦士、緊急脱出ドアを開放!乗客の避難を最優先だ!」サレンバーガー機長は、震える声で指示を出した。彼の体は、操縦桿を握り続けたせいで、固くこわばっていた。


機内は、まさに阿鼻叫喚の地獄だった。多くの乗客が負傷し、座席に挟まれて動けない者もいた。しかし、その中に希望の光があった。客室乗務員たちが、負傷者を助けながら、懸命に脱出を促している。「早く!こちらです!」「走らないで!落ち着いて!」彼らの悲痛な声が響く。


外部からは、不時着した機体から立ち上る煙が視認され、すぐに空港の緊急車両や、周辺住民からの通報を受けた救急隊、警察、自衛隊が現場へと急行した。パトカーや救急車のサイレンが、静かな農地にけたたましく鳴り響く。


真っ先に機体から脱出した乗客たちが、凍てつく冬の北海道の農地に、呆然と立ち尽くしていた。そこへ、真っ先に到着した救助隊が駆けつける。「負傷者はいるか!」「大丈夫ですか!」「医師はいませんか!」


混乱の中、サレンバーガー機長は、自らも負傷者を助けながら、機体の状況を確認した。機体は大きく損傷し、尾翼は折れ曲がり、胴体には大きな亀裂が入っていた。しかし、致命的な爆発や炎上は免れていた。それは、彼の的確な操縦と不時着の判断がもたらした奇跡だった。もし、あと少し判断が遅れていれば、あるいは不時着場所が違っていれば、全焼していた可能性すらあった。


そして、客室の中央部から、防衛大臣と官房副長官が、警護官に助けられながら脱出してきた。彼らは軽傷を負っていたものの、命に別状はなかった。彼らは奇跡的に命拾いしたことを悟った。


「機長!ご無事ですか!」防衛大臣が、サレンバーガー機長を見つけ、駆け寄ってきた。彼の顔には、安堵と、まだ消えぬ恐怖の表情が混在している。


サレンバーガー機長は、安堵の息を漏らし、頷いた。「大臣、官房副長官、ご無事で何よりです。」彼の言葉には、心からの安堵が込められていた。


生存者の確認が進む中、多くの死傷者が出ていることも明らかになる。救助隊の懸命な努力にもかかわらず、その場の空気は重く沈んでいた。しかし、政府要人の生還は、日本政府にとって唯一の救いだった。彼らの生還は、国民に希望を与え、政府の危機管理能力を示す上で、極めて重要な意味を持っていた。


国際社会の動向と日本の対応

502便の「事故」のニュースは、瞬く間に世界を駆け巡った。主要各国は、旅客機が「エンジントラブル」で不時着したことに対し、深い遺憾の意と、犠牲者への哀悼、そして日本への見舞いの声明を発表した。各国のメディアは、奇跡の不時着を成し遂げた機長の英雄的行動を称賛し、トップニュースとして報じた。


日本政府は、直ちに事故調査委員会を設置し、透明性の高い事故原因究明を行うことを国際社会に約束した。外務省は、各国政府に対して、今回の事態が「航空機に搭載された機器の故障」によるものであるとの説明を繰り返した。しかし、同時に、情報機関は水面下で、テロの可能性を極秘に調査し始めていた。特に、防衛大臣と官房副長官という重要人物が搭乗していた事実が、政府中枢に疑念を抱かせていた。


一方、北朝鮮は、この「事故」に対し、一貫して沈黙を保っていた。彼らの狙いは、あくまで事故偽装による混乱と、日本への不信感の醸成にあるため、直接的な声明は出さない。むしろ、国際社会の動揺と、日本の国内の混乱を静かに観察しているようだった。彼らにとって、この「事故」は、日本に対する一つのメッセージであり、今後への布石となるものだった。リ・ジュンギは、北朝鮮国内の安全な場所で、国際社会の報道を冷静に分析し、自身の工作の**「効果」**を測っていた。彼の目には、今回の「事故」は、完璧に達成された任務の証として映っていた。


事故調査の進展と不自然な痕跡

事故調査委員会による本格的な調査が始まった。不時着現場には、機体の残骸が広範囲に散らばり、専門家たちが慎重に証拠を収集していく。エンジンの損傷状況、フライトレコーダー(FDR)、コックピットボイスレコーダー(CVR)の回収と解析が最優先で進められた。


解析が進むにつれて、不自然な痕跡が浮上してきた。エンジンの損傷が、通常の機械的故障やバードストライクでは説明できない、特定の部位からの内部的な破壊を示唆していることが判明したのだ。特に、燃料系統のパイプラインと、エンジンの制御系が集中する箇所が、不自然に粉砕されていることが明らかになった。それは、まるで、小さな爆発が内部で起こったかのような痕跡だった。爆発物処理の専門家が招集され、分析が重ねられる。超小型爆薬によるものと疑われる、微細な金属片や燃焼痕跡が発見され始めた。


調査員の中に、この不自然さにいち早く気づく者が現れる。航空機事故調査のベテランである技官は、これまで見てきたどの事故とも異なるパターンに、強い違和感を覚えていた。しかし、情報機関からの圧力や、国際的な混乱を避けるため、公式発表はあくまで「原因不明の深刻なエンジン故障」に留められる可能性が示唆されていた。事故調査委員会は、事実に基づいた報告を求められる一方で、政府の意向との間で板挟みになっていた。テロの可能性が浮上するも、その実行犯、手段の特定は困難を極める。リ・ジュンギの完璧な隠蔽工作が、捜査を巧妙に阻んでいた。


サレンバーガー機長の証言と内心の違和感

サレンバーガー機長は、救護を受けた後、警察と事故調査委員会から詳細な事情聴取を受けた。彼は、極度の疲労と精神的重圧に晒されながらも、冷静に状況を説明した。


「エンジンの火災警報と、異様な破壊音。通常の故障とは明らかに異なる感覚でした。あの爆発音は、まるで内部から何かを破壊されたかのようでした。」彼の言葉には、確信にも近い違和感が込められていた。彼は、フライトレコーダーのデータを提示され、自身の操縦が完璧であったことを証明されたが、エンジンの故障原因については、納得がいかない様子だった。


メディアは彼を「奇跡の機長」と称賛し、彼は瞬く間に国民的英雄となった。彼の冷静な判断と卓越した操縦技術が、多くの命を救ったのだと、連日報じられた。しかし、彼の心の中には、多くの命を救った達成感と、救えなかった命への自責の念、そして、あの異常な状況の真相が解明されていないことへの漠然とした不安があった。彼は、この違和感を誰にも話せず、孤独を深めていた。政府が「原因不明の故障」という結論に傾きつつあることに、彼は納得がいかなかった。彼のプロフェッショナルな直感が、「これは事故ではない」と強く訴えかけていたのだ。


彼は、自宅の静かな部屋で、何度もあの日のフライトを脳内でシミュレーションし直した。機体の動き、エンジンの音、計器の数値。全てを完璧に再現しても、なぜエンジンが破壊されたのか、その一点だけがどうしても腑に落ちなかった。何かが隠されている。そう確信するサレンバーガー機長の心は、平穏とは程遠いものだった。彼は、あの日の朝、何が起こったのか、その真実を誰よりも知りたいと願っていた。









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