表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
覇道の果てに、王座は泣いた  作者: 望蒼
序章 ──群雲の時代
8/66

第八話 決起の烽火

あの戦いから、二十日あまりが過ぎた――


斎が父・葛城正親(かつらぎまさちか)の死を継ぎ、初陣を制して以降、葛城軍は小規模な敵領を着実に取り込み、勢いを増していた。


旧来の中立諸侯は次々と動きを見せ、強国たちもまた、葛城領の伸長を無視できなくなりつつある。


戦後のわずかな静寂を経て、再び軍議が開かれたその日、薄曇りの空が葛城の陣を覆っていた。


遠くで鍛錬の掛け声が聞こえるなか、斎は静かに軍図を見つめていた。

火鉢にかざす手は冷え切っているはずなのに、心の奥の熱だけが静かに燻っていた。


「……戦は、勝てばよい。そうだろう?」


呟くように言った声に、同じ幕舎にいた稲生と沙耶が振り返る。


「珍しく、弱気ですか?」


沙耶がにやりと笑う。


「それとも、若さゆえの憂い?」


「どちらでもない。ただ……今日は寒いだけだ」


そう答えた斎の声は、冗談ともつかず、真ともつかぬものだった。

沙耶は黙って茶を淹れる。湯気の立ちのぼる湯呑を、斎の前にそっと置いた。


「殿。戦はすぐそこまで迫っております。お気持ちの冷えを、少しでも和らげればと」


稲生は黙っていた。だがその眼差しは、言葉よりも雄弁だった。

斎は火鉢の熱に手をかざしながら、呟いた。


「……我は、勝たねばならぬ。だが勝つたびに、何かを失っている気がしてならぬ」


沙耶は一瞬だけ目を伏せ、そして微笑んだ。


「それでも、進まねばならぬのでしょう。殿は――いや、貴方は、止まれぬ人ですから」


稲生もまた、小さくうなずいた。その時、陣の外から兵が駆け込み、報を届ける。


「伝令!前線より報!敵軍、明朝には峡谷に布陣予定とのこと!」


斎は立ち上がった。声は低く、だが確信に満ちていた。


「皆を集めよ。今宵、烽火を上げる。――我らが決起の時だ」


外に出た斎の眼前、灰色の雲の向こうで、遠く狼煙があがっていた。




※ ※ ※



烽火が上がった夜から、三日。

葛城軍は着々と進軍準備を整え、明日未明には峡谷の手前へと進出する運びとなった。


その前夜。


兵も将も静かに英気を養う中――私と稲生、ふたりの姿は陣の外れにあった。

焚き火が、夜気を揺らしていた。


稲生彰人は、火の前に腰を下ろし、静かに愛刀の手入れをしていた。


「……寒くないか?」


不意に声をかけると、稲生はちらりと横目でこちらを見やる。


「殿こそ、そんな薄着で」


「夜の冷たさも……剣の重さも、忘れぬようにと思ってな」


私も傍らに座り、火を見つめた。しばらく、互いに言葉はなかった。

ただ焚き火の爆ぜる音だけが、静かな夜を切っていた。


「……変わったな、殿」


稲生が呟くように言った。


「策で勝つ。それは、あの方――先代も望んでいたことだ。

だが、今の殿は……それ以上を見ている気がする」


「それは、悪いことか?」


私の声は穏やかだった。

火の光が、頬の影を濃くする。


「……わからぬ。だが、殿が戦で勝つたび、俺は少しずつ……

追いつけなくなっている気がしてならない」


私は黙った。だがその沈黙には、拒絶の色はなかった。


「それでも、まだ……戻れる。俺は、そう信じてる」


稲生は、刀をそっと納めた。


「何よりも、今の殿が“間違っている”とも言い切れない。だからこそ……」


私は、わずかに目を細めた。


「彰人、お前がそう言ってくれる限り、俺は――進んでいける」


焚き火の炎が、夜の帳に揺れていた。

◆――お読みいただき、ありがとうございます。


登場人物たちの言葉や生き様に、少しでも感じるものがあれば嬉しいです。

ご感想・ご意見など、お気軽にお寄せください。


次回も、どうぞよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ