第七話 影の台頭
戦は終わった。
谷に残るは、焦げた匂いと、泥に伏した兵の影。葛城軍は勝利した。
だが、勝ったがゆえに残る“後”の処理が始まる。
「敵兵は百三十余名、生け捕りは三十。残りは……」
「討ち死に、あるいは逃亡、でございます」
報告を聞きながら、斎は唇を結んだまま、戦場を一望する高台に立っていた。
戦の余波に怯える村の民が数名、遠巻きにこちらを見ている。
焼かれた田畑。掠われた家。
「捕虜は?」
「旗印を掲げていなかったため、賊徒扱いも可能かと」
「一部は処断し、見せしめとせよ。残りは村に労役として引き渡せ。統治の費とせよ」「はっ……」
斎の言葉は、冷ややかだった。
だが、誰も口を挟めなかった。 それが“勝者”の重みであることを、彼は誰より知っていた。
「殿──」
背後から、気配もなく沙耶が現れた。
「やはり、情けより現実。……それが、殿の道なのですね」
斎は振り返らず、わずかに目を細めた。
「情けが国を守るなら、誰も剣を取らぬ……そう思えたなら、どれほど楽か」
わずかに言葉が滲んだのを、沙耶は聞き逃さなかった。
見えぬ背中の向こうで、斎はほんの一瞬、目を閉じた。
(非情でなければ、この乱世に未来はない。だが──)
内に押し込めた感情は、まだ若い心に波のように寄せては返す。
勝てたという喜び。策が嵌ったという昂ぶり。
それでも、その勝利の裏に横たわる血と嘆きは、彼を静かに苦しめていた。
それでも彼は、当主だった。
家を守り、人を導く立場である以上、迷いは外には出せない。
ただ静かに、火の消えた空を見つめた。
「……情けよりも、秩序が先だ。今は、それを選ぶしかない」
沙耶は目を細め、笑みの奥に何かを宿した。
「ふふ、それでも……その剣の切っ先に、涙が宿る方が、私は好みですけど」
彼女は風のように去っていく。
その背に、「この男は、まだ終わっていない」と感じさせる気配が、確かにあった。
夕刻、陣屋に将兵が集められた。
戦功の確認と、報奨の発表。
そして──忠誠の表明。
「阿曽原 一成、前へ」
名を呼ばれた男は、一歩、前へ出る。
甲冑のまま、ひざをつく。
「この一戦、命を賭けて見届けました。殿の策、殿の声、殿の非情……惚れました」
阿曽原は深々と頭を下げた。
「阿曽原 一成、この命、葛城に預けます!」
兵たちがどよめく。
誰かが小さく歓声をあげた。だが一方で、表情を曇らせた者もいた。
斎は、それを見ながら、あえて口を開いた。
「命を預けると口にしたならば、命を惜しむな。……我が覇道、安寧をもって終えるものにしたい」
阿曽原は、再び頭を下げた。
その様子を、稲生 彰人は静かに見ていた。声も、動きもなかった。
ただ一つ、目だけが、斎の背を見つめていた。
夜、斎の幕舎にて。
囲炉裏には静かに炭火が灯っていた。
盃も酒もない、ただ言葉と沈黙が支配する空間。
「……勝てた」
斎がぽつりと呟く。
「策も通じた。敵は混乱し、我らは損耗少なく勝ち得た。……だが、勝ったというのに、胸が重い」
稲生は何も言わず、ただ斎の言葉を待っていた。
「お前が感じたように、俺も同じだ。……何かが、削られていく気がする」
斎は炭を見つめながら、己の言葉を慎重に選ぶように続けた。
「戦は恐ろしいものだと思っていた。だが……勝ったとき、心のどこかが歓喜に震えていた」
「策が嵌まり、敵が動き、思ったとおりに流れが形になる。……それが、気持ちよかった」
その声は、まるで自分を責めるようでもあった。
「こんな自分が……怖い」
稲生は微かに眉を動かした。だが、彼もまた本音を隠さない。
「……殿は、正直だと思う。俺には、そうは言えない」
沈黙が落ちる。
「俺は……殿に従っている。幼き頃から、共に育ち、剣を学び、夢を語った。
あの時の“理想”は、まだ俺の中にある」
斎は目を伏せたまま、口を結んだ。
「だが今の殿は──理想ではなく、現実を選んでいる。
非情であることを厭わず、勝つためなら手を汚す。
……それを、間違いだとは言わない。けれど、迷いがあるのなら、俺は――」
言葉を止める稲生。
その先にあるものは、まだ言葉にしてはならないものだった。
斎は静かに顔を上げた。
「……迷っている。だが、止まるわけにはいかない。
俺には、守るものがある。皆の命が、国が、未来がある。
……そしてそのために、俺自身が変わっていくことすら、もう止められない」
稲生は拳を握った。
「……ならば、俺は殿が“変わりすぎないように”、そばで見ている。それが、友としての俺の務めだ」
その言葉に、斎ははじめて、僅かに笑った。
「友、か。……お前が、いてくれて良かった」
小さく火が弾けた。
ふたりはそれ以上言葉を交わさなかった。
ただ、火鉢の静かな音だけが、夜の帳に溶けていった。
【次回予告】忍び寄る影の正体と、混迷する内情。斎の覇道は新たな局面へ。
◆――お読みいただき、ありがとうございます。
登場人物たちの言葉や生き様に、少しでも感じるものがあれば嬉しいです。
ご感想・ご意見など、お気軽にお寄せください。
次回も、どうぞよろしくお願いします。




