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覇道の果てに、王座は泣いた  作者: 望蒼
序章 ──群雲の時代
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第四十九話 風は、まだ冷たく

天義の陣に、冷たい風が吹いていた。


峠を越えた野営地。朝もやの中、兵たちは疲れた顔を伏せながらも、懸命に装備を整えている。


だが、あちこちから、微かに呻き声が漏れていた。


「腹が……まだ治まりませぬ」


「昨夜より熱も……水が悪かったのか」


兵の顔は青ざめ、指先の震えは止まらない。それでも、誰一人声を上げて騒ぐ者はいなかった。


──ただ、不安は、確かに漂っていた。



将帳。


顕真は軍医の報告を聞きながら、静かに顎に手を添える。


「症状は軽い。命を落とすものではない。されど、動きが鈍るのは避けられぬか……」


「陛下。これが“策”だとすれば、敵は……」


「葛城斎だ。間違いない。奴のことだ、“毒ではない毒”でこちらを削るつもりだろう」


参謀の一人が顔を曇らせた。


「非道……それでも、“勝てば正義”と?」


顕真は瞳を伏せ、短く言った。


「正義を貫くために、己を穢す覚悟を持った者。それが、奴だ」


そして、声を張る。


「だが、我らは退かぬ。この風を越えねば、光はない!」


その言葉に、将たちは膝を正した。


「病んだ兵は留めよ。残る者だけで、陣を整えろ。進軍は……予定通りだ」


静かに、されど確実に、風向きが変わり始めていた。



一方、葛城本陣──


夜風が天幕の布をはためかせ、吊るされた灯りがわずかに揺れた。


沙耶は両の拳を膝に置き、身を乗り出して雲居を見上げる。頬は紅潮し、瞳は潤み、肩が小さく上下する。


「──非道と呼ばれても、私は……民を守る道を選んでほしかった!」


声が震えた。怒りとも、悲しみともつかぬ激情が胸の奥から湧き上がる。

吐いた息が白くほどけ、指先がわずかに震えた。


「白嶺との共闘も、水を汚す策も……あまりにも、冷たすぎる」


沙耶の視線はまっすぐに雲居を射抜く。潤んだ瞳が、灯火を映して揺れた。


雲居は対照的だった。背筋を伸ばし、膝の上で片手を静かに握る。もう一方の手は天幕の帳を押さえ、風に揺らぐ灯を見守るようにしていた。

黒い瞳は揺れず、感情の底を見せないまま、まっすぐ沙耶を見返す。


「冷たさの中にこそ、温さがあると気づくべきです。沙耶殿」


低く、しかし芯のある声。


沙耶は目を泳がせ、喉が小さく鳴る。


「なにを……?」


雲居は視線を逸らさず、言葉を置くように告げた。


「斎様は、“敵を斬る”ために非道を選んだのではありません。

“民を守るために敵を斬る”。それが、この策の核です」


灯火の明かりが二人の影を揺らし、外の風がまた天幕を叩いた。

沈黙が落ちる。沙耶の胸は早鐘のように打ち、雲居の瞳は冷ややかに、しかし決して逃げなかった。



その夜、沙耶は天幕の片隅で膝を抱えて座り込んでいた。


肩が小さく上下し、吐く息は白い。

目を閉じると、軍議の夜が浮かぶ。


白布の軍地図に、読めぬ文字を躊躇なく走らせる斎。

「毒ではない、鈍らせるだけだ」と平然と告げる横顔。


(……どうして……どうして、ここまで……)


胸の奥が締めつけられる。

その瞳は遠くを見ていた。


誰も届かぬ場所で、誰も背負えぬものを、ただ一人で担ぐ背中。


(私には……もう、届かないのかもしれない)


沙耶の視界が滲む。頬を伝う涙がぽたりと膝に落ちた。

彼女は両手で顔を覆い、かすれた声を漏らす。


「……斎様……」


怒りは消えない。非道は許せない。

それでも──わかってしまう。


彼は勝つために、自分の心すら捨てて進んでいる。

戦を早く終わらせるために、誰も踏み込めぬ泥を歩いている。


(私……どうしたら……)


外の風が、夜の静けさを運んでくる。

涙に濡れた頬に、その冷気が刺すようにしみた。


それでも沙耶は、顔を上げる。

布越しの夜空を見上げるように、呟いた。


「……私は……それでも、ついていくの……?」


答えは、風だけが知っていた。



そして──顕真が出陣する。


その姿を見上げる兵たちの瞳に、迷いはない。


春の風はまだ冷たい。だが、やがて戦は、火となって吹き荒れる。


その始まりは、すぐそこまで来ていた。

◆――お読みいただき、ありがとうございます。


登場人物たちの言葉や生き様に、少しでも感じるものがあれば嬉しいです。

ご感想・ご意見など、お気軽にお寄せください。


次回も、どうぞよろしくお願いします。

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