第四十四話 正道、覇道と交わる
仮設の天幕に、潮の香と緊張が入り混じる。
葛城斎は卓に背を向け、外の風を感じていた。
その傍らには、静かに控える沙耶の姿。
そして──斎があえて「場に呼んだ」もう一人の存在が、先に席に着いていた。
「……まさか本当に私を呼ぶなんて。ふふ、あなたたち、面白いわね」
日焼けした肌に羽織を翻し、白嶺は卓上の湯を啜る。
その物腰はあくまで軽いが、その目は誰よりも深く場の空気を計っていた。
「正義と覇道の間に座るには、それなりに肝が据わっていないとね」
斎はその言葉にわずかに目を細めた。
「貴女を“ただの傍観者”として呼んだわけではありませんよ、白嶺殿」
「ええ、わかっているわ。
……あなたが、私に“場を揺らせ”と期待していることくらい」
その瞬間──外の旗が、大きく揺れた。
「──天義国王、多岐川顕真、参る!」
朗々とした声のあと、金と白の鎧に身を包んだ男が天幕へと入る。
その姿はまさに威厳と信念の具現。
どの兵も、誰もが一目で「王」と悟る気配を纏っていた。
「……お初にお目にかかります、天義国王殿」
斎が一歩、前に出る。
顕真は無言でその顔を見据え──やがて、重く口を開いた。
「……葛城斎。“現”に覇を唱える男。噂よりも静かな眼をしているな」
「……貴殿の眼もまた、“理想”という名の剣を帯びておられるように見える」
顕真の後ろには数名の側近が控えるが、言葉はすべて王自身の口から紡がれる。
「この会談の場に、白嶺殿も呼ばれているとは思わなかった」
「勝手に席に着いたと思ってくださっても構いませんわ、王様。
だが、海の女も風の流れは読むのよ」
顕真は一瞬だけ、眉をわずかに動かした。
「……ならば、傍観者として耳を貸すがいい。
この場に剣はないが、言葉は刃となる」
顕真が卓に向き直る。
斎もまた、ゆっくりと座に就いた。
「さて、葛城斎よ──我が天義が掲げるは“民の安寧”と“礼による治世”である。
お主が起こす火は、あまりに強すぎる」
「火は、燃えるものゆえに“形を変えられる”のです」
斎は巻物を沙耶に渡し、顕真の側近へと渡させた。
「……ここに記されたのは、我が領地と貴国の間に交わされる“境界案”と“交易利権の共有”について」
顕真は目を通す前に、低く問うた。
「その文の意図は、“武を退ける”ためか。“理を覆す”ためか」
斎は、静かに目を伏せる。
「理想は否定しません。……ただ、理想だけでは国は回らぬ現実もまた、否定されるべきではないと考えております」
沈黙が落ちる。
白嶺が湯を啜った音だけが響いた。
顕真の指が、斎の文をなぞった。
「……交易利権、緩衝帯としての中州地帯、軍の移動制限、通商監査──」
静かに読み下す声は、まるで剣を研ぐようだった。
「ふむ……よく整っている。だが、これは“譲歩”に見せかけた“囲い込み”にもなり得る」
顕真が顔を上げ、斎の目を真っすぐに捉えた。
「この文に込めた“意図”──それを、そなたの口から聞こう」
だが、斎は一切動じぬまま、ただ静かに言葉を置いた。
「……この地を、血で染めぬための、最小限の火種です」
顕真の眉がぴくりと動いた。
「言い換えれば、“火の回り方を制御するために、先に枯草を撒いた”──とでも?」
「ご理解が早くて助かります」
沙耶がぴくりと肩を揺らし、白嶺は湯を啜ったままくすりと笑う。
顕真はあえてその反応を無視し、さらに言葉を重ねた。
「民のためを謳いながら、実のところ“戦の備え”を進めている
──この文にあるのは、そんな欺瞞ではないか?」
斎は、一瞬だけ目を伏せ──次の瞬間には、まっすぐ顕真を見返していた。
「私は、“欺瞞”という言葉を嫌いません」
「……ほう」
「それが守るべきものを守るためならば、人は偽りを語り、笑顔で剣を隠すこともあるでしょう」
沙耶が、斎を横目で見る。
その横顔にある“覚悟”の深さは、誰よりも知っていた。
顕真は沈黙する。
やがて、ゆっくりと息を吐いた。
「……ならば問おう。そなたにとって“民”とは何だ」
斎はわずかに目を細め、答える。
「この地で飢え、争いに巻き込まれた者たち。
その命を“使って”この国を作り直す──私は、そういう現実の上に立っております」
「……命を“使う”、か。──王たる者の言葉ではないな」
「貴殿もまた、“使われぬ命”を守るために、いくつもの戦を選んだはずです」
顕真の瞳が鋭くなる。
だが、白嶺がその空気を和らげるようにふっと割って入った。
「──ふたりとも、らしいわね。
ひとつひとつの言葉に重みがありすぎて、聞いてるこっちの心臓が疲れそう」
白嶺は湯呑を机に置き、緩やかに微笑んだ。
「理想と現実って、ほんと仲が悪いものね。
どちらも、民のためを謳いながら、まるで“違う道”を歩いている」
斎と顕真、ふたりは一瞬だけその視線を白嶺へ向け──
次に、再び卓上へと視線を戻した。
「葛城斎」
顕真が、名を呼ぶ。
「そなたが“覇を唱える者”であるならば──この文で終わりにはせぬ。
次は、我自らが立って、そなたの真を見極めよう」
斎は、静かに頷いた。
「……望むところです」
火の灯る帳の下、会談は一つの幕を閉じた。
だが、それは“終わり”ではなく、“始まり”であった。
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