第四十三話 盟と陰
夜の風が潮の香を運び、港町の仄暗い小屋の中で、雲居悠仁は静かに湯を啜っていた。
斎の密命を帯び、白嶺海国の野営地に到着して数刻──
海の女の笑い声が、戸の向こうからふっと洩れた。
「まさか、あなたが来るとはね。斎殿じきじきではないのかい?」
入り口に立っていたのは、日焼けした肌に白い羽織を纏う女──白嶺、その人だった。
「……主より、他に遣わせる者はおりませぬ」
「ふふん、よく吠える。で、話ってのは“火の始末”?」
白嶺はどかりと雲居の正面に腰を下ろし、湯呑を自ら注いだ。
「天義とやらとの舌戦が終わったら、伊火がうちをつついてくる。
その火を、こっちに向かせるつもりじゃないのかね」
「……読まれておりましたか」
「そりゃ、海を守るってのは“読まれる前に読む”のが仕事よ」
白嶺の口元に笑みが浮かぶが、目は鋭いまま。
「だが、斎殿の考える“共闘”ってのはどういう形?
一時の結びつき?それとも──布石か」
その問いに答える前に、傍らから静かな声が割って入った。
「共闘とは言え、利あらばすぐ解ける……そういう類のものではあります」
弟・篝が、文の束を持って現れた。
小屋に入ると、彼は淡々と雲居へ向き直る。
「我らが求めるのは“背中を預けられる”相手ではありません。
火の流れを変え得る、その一点」
「……心得ております」
雲居は一礼し、静かに紙を一枚差し出す。
そこには、斎が雲居に口述させた、白嶺への協力依頼の文が記されていた。
篝は一瞥し、すぐに目を逸らす。
「……まるで“戦局を盤面で見るかのような文”だ。……策士の文だな」
白嶺はそれを横から覗き込み、頬杖をついた。
「で、我が白嶺に求められるのは“伊火を抑える”ってだけ?」
「いえ──“焚く”ことも、選択肢にございます」
その一言に、白嶺が笑った。
「……あは、気に入ったよ」
立ち上がると、白嶺は窓の外、海の先に目をやる。
「──この海を守るのは私だが、それを動かすのは、うちの弟よ」
その言葉に、篝が僅かに肩をすくめる。
「姉上……また、余計なことを」
「だって、事実じゃない。
あなた、見た目は冴えないけど、詰め将棋は得意でしょ?」
「“冴えない”は余計です」
白嶺はにんまりと笑い、雲居へ向き直る。
「──私が了承したってことにしいていいわ。
あとは篝が“火を焚く”かどうか決めるさ。だけど一つだけ言っておくわ」
白嶺は湯呑を掲げた。
「我が弟を、見くびらないで。あなたの主のような怪物相手にも、きっと面白いことをするわよ」
湯の熱気の向こうで、篝は微かにため息をついた。
「……斎殿も、我が姉君も、同じように“面倒な人物”ですね」
雲居はそのやりとりを見て、ふっと目を伏せた。
──この者たちもまた、斎様の“策”に組み込まれている。
その地図の広さに、思わず胸が冷えた。
(やはり、我が主は……戦を“駒”ではなく、“大局”で見ておられる)
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