第四話 密命の影、忍び来る
夕暮れの葛城城に、風が吹いていた。
薄紅に染まる空を背に、門番に書状を見せ一人の女が静かに門をくぐる。
衣の裾が揺れ、草履の音が軽やかに響く。
どこか異国めいた雰囲気と、人の気配を掻き消す身のこなし。
城の者たちの目には、まるで幻のように映った。
斎が迎えたのは、書院の一隅。
外から目立たぬ、古びた書庫のような一室だった。
稲生 彰人が警護として控えていたが、女を一目見た途端、わずかに目を細めた。
「……真柴沙耶。確か、先代に一度だけ仕えたことがあったと聞く」
「ええ。お久しぶりです、稲生様。お元気そうで」
飄々とした笑みを浮かべる女に、稲生は警戒を緩めぬまま会釈した。
斎は沈黙の中で、女を観察していた。
纏う空気が異なる。軽さの裏に、深く鋭いものを隠している。
「で? 私に何の用だ」
沙耶は袖から小さな巻物を取り出すと、机の上に滑らせた。
斎がそれを手に取ると、巻紙の端に記された文字に眉を動かす。
『影は、既に動き始めております──旧友より』
「旧友……?」
斎が目を細める。沙耶は悪戯っぽく微笑んだ。
「先代から託された“仕掛け”ですよ、若殿。
今この国がどう動くか、その目を曇らせぬための影です」
「……なるほど。貴様が、父の“目”か」
「光が強くなるほど、影も濃くなる。私はその影で十分です」
斎の視線が鋭くなる。
だが、沙耶は臆さず、むしろ楽しげに言葉を重ねた。
「それとも……影と踊るのは、お嫌いで?」
「それでこそ、葛城の殿」
沙耶が軽やかに笑う。
だがその笑みの奥には、決して見せぬ何かがあった。
そして次の瞬間、ふと視線を逸らす。
ねえ、稲生様──
そう言わず、ただ微笑むだけ。
けれどその眼差しは、まるで“あなたもまた見られている”と語っていた。
稲生は眉をひそめ、口を開かずに目を逸らした。
斎が微かに口元を緩めたその瞬間、稲生は表情をわずかに曇らせる。
「……お気をつけください、殿」
声には出さずとも、彼の瞳はそう告げていた。
軽口を叩きながら入り込む者ほど、得体が知れぬ。
何より、殿がその調子に乗せられたことが、稲生には気がかりだった。
稲生はそのやりとりを黙って見ていた。手の中で、剣の柄がわずかに揺れる。
かくして、葛城家に“影”が根を下ろした。
若き覇者の背後に、密やかな眼が灯る。
戦が始まる前に、影が走る。
その始まりの名を──真柴 沙耶という。
【次回予告】策は巡り、戦の幕が上がる。
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