第三十八話 嵐を呼ぶ船、潮騒に紛れて
潮の香が、遠く彼方より風に乗って運ばれてきた。
葛城の地──南の入り江に面した港には、不釣り合いなほど華やかな帆船が一艘、静かに舫っていた。
蒼と白を基調としたその船体には、海鷹の紋が誇らしく掲げられている。
白嶺海国の使者船。いや、名目上は“使者”だが──
「使者、というにはやけに威風堂々としておりますな」
その様子を遠巻きに見下ろす丘の上で、沙耶がひとつ嘆息をついた。
斎の近習として仕えてから、早幾日。
戦に向けた緊張の中、現れたこの艶やかな船は、嵐の前の不協和音のようにすら感じられる。
「……白嶺殿にございます」
斎の元へ使いを送ったのは、数日前。だが、返答を待たずしてこの船は現れた。
あくまで“私的な訪問”という扱い──だが、彼女は誰よりも自由で、誰よりも厄介な客である。
一方、港にて。
船を降りた白嶺は、潮風に髪をなびかせながら、屈託なく笑っていた。
「まあまあ、そんな堅い面ばかりじゃ、風も止まってしまうわ。
──たまには、潮風に揺られてみるのもようござんしょ?」
随行する水兵らが苦笑を浮かべ、控えめに後ろへ下がる。
その後ろからは、弟・篝がひときわ深いため息を漏らした。
「姉上……どうか真面目な顔のひとつでもなさってください。
ここは戦前の葛城ですよ」
「だからこそ、よ。……あの男が、剣を抜かずに戦をするなら、
私も刀を鞘に納めて、顔を見に来ただけ。ねえ、それじゃいけない?」
白嶺は軽やかに笑い、濃藍の外套を翻した。
「言葉を刃にするお方には、剣で返すのも野暮ってもんよ。
……海の女が、波に乗って陸の“剣士”に会いに来る。
ふふ、それくらいの風流、あってもよかろ?」
その後、斎と白嶺の邂逅は、わずかばかりの私室で行われた。
「やっと、波立たぬ水面で、あなたのお顔を拝めたわ。戦の最中よりも、ずっといい目をしておいでね」
「──穏やかに見えたのなら、演技が上手くなった証かと」
二人のやりとりを、外から見つめる篝と雲居。
「……あの者が、あの斎殿に対し、ああも気軽に言葉を交わせるとはな」
「白嶺殿は……斎様を“気に入って”おいでですゆえ」
「気に入って?あれが?」
篝は小さく呟いた。
──だが、だからこそ、気を抜くな。と彼は己に言い聞かせた。
そのやりとりを遠目に、沙耶はまた別の場所でそれを見つめていた。
──あの人の隣に並ぶ者。
自分には、その場に踏み込む資格があるのか。
葛城という大樹の影に立ちながら、沙耶は静かに、自らの“居場所”を見定めていた。
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