第三十六話 正義を掲げるは、誰のため
王都〈玄翠〉──天義国の心臓にして、理と祈りの都。
城の奥深く、磨かれた白磁の廊を抜けた先に、厳かなる謁見の間があった。
高天井から下がる瑠璃の燭台が、淡い光を床に落とし、白と青の敷物がまっすぐ玉座へと続いている。
その間を渡る風はない。
音もない。ただ、言葉だけが空間を震わせる場。
正使・貞玄院 真榊は、玉座の下に伏していた。
その額からは、わずかに汗がにじむ。静謐な空間に響くのは、自らの鼓動ばかり。
「……以上が、葛城斎との会見の全容にございます」
低く、通る声。だがその奥には、葛藤の色があった。
玉座に坐する王・多岐川 顕真は、手にした木製の数珠を一つずつ指で繰りながら、目を閉じていた。
──沈黙が、場を支配する。
玉座にあるはずの威圧ではない。が、その無音こそが、言葉よりも重い裁きだった。
やがて、顕真が静かに目を開く。
その視線が真榊に向けられた瞬間、空気がわずかに張り詰めた。
「……斎は、“問う者”であったか」
真榊は深く頷いた。
「はい。言葉を以て刃とし、沈黙を以て圧とする……
まさに、対話の剣士の如き相手でございました」
顕真の目が細められる。
「言葉を剣とする者は、理を“奪う”術に長ける……れど、我らが築くは“守るための理”だ」
その言葉に、後列の重臣たちがそっと顔を見合わせる。
光の届かぬ柱の影には、緋の衣をまとった高僧、軍政官、法吏らが控えている。
誰も口を開かぬ。だが、そのうちのひとり、軍政の要である近衛頭・藤澤景隆が一歩、前へと進み出た。
「恐れながら、陛下。葛城斎の勢いは増すばかり。
神代院を滅ぼし、白嶺とすら言葉を交わしました。早晩、火閥領も飲み込まれるかと」
その声は穏やかだったが、言葉には鋭さがあった。
顕真は数珠を止め、ゆっくりと玉座から立ち上がる。
「軍を動かすべきと、申すか」
「……いずれは」
藤澤が答えるその目に、躊躇はない。
だが、それは決して軽い決断ではない者のまなざしだった。
顕真は視線を横に流し、玉座の脇に据えられた青磁の香炉へと歩を進める。
香の煙がゆらりと立ち昇る。
それを見つめながら、静かに呟いた。
「剣を抜けば、我らの正義は問われよう。“なぜ、今抜いたか”と」
沈黙。
「……正義とは、理由を失えば、ただの暴力となる」
香煙の奥に、葛城斎の姿が浮かぶようだった。
理に長け、正義すら道具とする冷酷な意志の塊。
顕真は振り返り、真榊を見つめた。
「そなたは、彼をどう見た」
真榊は、少しだけ視線を斜めに逸らし、そして答えた。
「……言葉では斬れぬ、信念の“芯”を持つ者と見ました。
理を掲げながら、己の理すら捨てる覚悟を」
「つまり、“敵”ではなく、“鏡”というわけか」
顕真は、ゆっくりと腰を下ろす。
「……この男を放てば、やがて我らの正義は、“古き教え”として塵に紛れるかもしれぬ」
「ならば──」
藤澤が一歩前に出ようとしたが、顕真は手を軽く上げて制した。
「まだ、剣を抜く時ではない。剣とは“正義”の最後の証だ。
我は……まだ、言葉で築くことを諦めぬ」
その言葉の先には、誰も応じなかった。
だが、その沈黙は、誰もが“王の迷いなき覚悟”を理解した瞬間だった。
香は、ゆっくりと燃え続けていた。
そして顕真の影もまた、玉座の背に長く伸びていた。
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