第三十四話 交わらぬ正義、剣なき陣
神代院戦ののち、葛城城には一時の静けさが訪れていた。
だがそれは、次の嵐の前の、沈黙に過ぎなかった。
朝の政務室。
窓の障子を透かして入る光の中、斎は一通の文を手にしていた。
「──天義より、再度の文です。
内容は“対話の場を改め、今度は我が王が直接、問う”と」
沙耶が読み上げ、文を差し出した。
雲居が言う。
「……礼を尽くした文面ではありますが、どう見ても牽制だ。
“対話を断れば軍を動かす”という、法の盾を掲げた威嚇に等しい」
「応じる」
斎の返答は、わずか一言だった。
沙耶と雲居が同時に斎を見る。
「しかし──」
「斎様……」
「それが正道であれ、覇道であれ、来る者は拒まず。
迎え撃つも、迎え入れるも、選ぶは我ら」
文を畳み、懐に収めると、斎は静かに席を立った。
その日、城内はどこか落ち着かぬ気配に包まれていた。
言葉ではなく、空気が張っていた。誰もが感じていた。次の局面が近いのだと。
雲居悠仁は、斎の姿を探して廊を歩いていた。
政務の間にも、書庫にもいない。庭の奥、静かな石畳を踏みしめる。
戦の才に長け、策の鬼とも言われる主君──
だが、その背を誰より近くで見てきた者として、思う。
(あの方は“一人”でいようとする)
誰の声も届かない場所に行く癖がある。
近くにいるのに、遠い。近くにいるからこそ、分かる。
一方、廊下をすれ違うようにして城内を徘徊していた男がいた。
白嶺海国提督の弟──篝である。
「あの人は……また勝手に動いて……」
ため息まじりにぼやく。
姉・白嶺は気まぐれなようでいて、その実、何かを見極めようとするときは必ず「場に顔を出す」癖がある。
(斎に、また何か……妙な影響を与えなきゃいいが)
葛城の兵たちは、白嶺に不思議と警戒していない。
だが篝だけは知っている。姉が“本気”になった時の、あの厄介さを。
その頃──
葛城城の庭園にて。斎はひとり、松の影に立っていた。
すでに天義との再交渉の準備は進められ、城内は緊張に満ちていた。
そんな中──
「ようやく“剣を抜かずに殺し合う時代”が来たかしらねぇ、斎殿」
不意に響いた声に、斎は目を細めた。
振り返ると、白の軍装に陽に焼けた肌を晒した女が、腰に手を当てて笑っていた。
「……白嶺、また無断で」
「まぁまぁ、堅いこと言わないで。
私、正式な使節じゃなくて“通りすがりの興味本位”ってことで」
白嶺海国の提督・白嶺──
かつて共闘した女海将は、葛城の城門をくぐることすら造作なく果たしていた。
「天義国のお坊ちゃま王が“理”であなたを試すんでしょう?
それ、海の女としては黙って見てられないのよ」
「傍観者の立場ではいられない、と?」
「ま、そっちがうまくやれないなら、次は海の時代よ──って言ってあげたくて」
斎は目を伏せ、そして短く笑った。
「ならば見ていくがいい。正義も覇も、最終的に誰の手に残るかを」
白嶺もまた笑い、軽く手を振る。
「言ったでしょ“誰もが刃を隠してる”って。私もよ?
あなたと違って、ちょっとだけ柔らかい刃だけどね」
そのやり取りを、廊の影から見つめる者がいた。沙耶だった。
斎に絡む白嶺。
その二人の距離に、かすかに眉をひそめたまま、沙耶は何も言わず、その場を離れた。
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