第三十二話 剣なき戦、その始まり
──今、世界は葛城斎の覇道に飲み込まれようとしていた。
かつて蒼玄帝国の一地方にすぎなかった葛城領は、神代院を討ち、白嶺海国と共闘し、中原の覇権へと手を伸ばしつつある。
五国の中で火閥領は内乱に揺れ、白嶺は中立姿勢を保ち、そして──北東の大国、天義国が動いた。
信と礼を国是とし、理を以て国を治める国。武を持ちながらも、先に言葉を。
正義と秩序を信じる国。
その王、多岐川 顕真は、剣を抜く前に、まず“理”を示す道を選んだ。
【天義国使節団・山道にて】
厚い雲が垂れ込める峠道を、整然とした一団が進んでいた。
白と青の法衣に身を包んだ彼らの背に、金の鳳凰が描かれた旗が翻る。
「本当に……話が通じる相手なのか、葛城斎は」
副使・山科 敦親、低く呟く。
その問いに、先頭を行く男──正使・貞玄院 真榊は、答えずに空を見上げた。
「……民を飢えさせぬ道を、選ぶ覚悟があるのならば、通じるさ」
「しかし、神代院を滅ぼした男です。力にまかせて覇を唱える者と、我が君は……」
「──それでも、会うのだ。言葉こそ、剣に勝ると我らは信じている」
真榊の声には微かな熱が宿っていた。
王・多岐川 顕真の命は明確だった。
“争いを未然に止めるため、まず理を以て臨め”それが、天義国の正義であり、顕真の信条である。
「正義とは守るものではなく、築くものだ」
──その言葉を、真榊は今も胸に刻んでいる。
一行はやがて、葛城城の城門を望む峠に差し掛かった。
【葛城城・迎賓殿】
葛城城の奥、香が焚かれた迎賓の間。
斎の指示により、余計な装飾を排した簡素な空間が整えられていた。
応対に立つのは、葛城当主・葛城 斎。
背後に控えるのは雲居悠仁、真柴沙耶、そして記録役の文官たち。
間を隔てて、天義の使節団が入場してくる。
白金の衣、整然とした動作、そして沈黙の中に光る威厳。
「天義国、正使・貞玄院 真榊、御前に参上仕る」
「遠路、労を多とする。葛城斎、拝謁仕る」
礼を交わし、座につく。
最初の言葉を口にしたのは、真榊だった。
「我が君・多岐川 顕真様は、貴殿の覇道に憂慮を抱かれている」
「憂慮、とは?」
「力に頼る覇が、再び“理”をねじ伏せる時代を招くのでは──と」
一瞬、空気が張り詰めた。だが斎は、静かに微笑んだ。
「ならば問う。力なき“理”が、民を飢えさせていた事実を、貴国は知らずにいたのか」
ざわつきかけた空気を、真榊が手のひら一つで制す。
目を伏せ、深く息を吐いた。
「知っていた。だが、それを暴力で裁けば、理は消える」
「違うな。暴力を“理”にするのが、我が道だ」
斎の声は静かでありながら、確かに、刀と同じ重さを持っていた。
「我が覇道は、血に塗れても、果に民が生きていれば、それが正義となる」
「正義とは果か、過程か……」
真榊が呟くように問いを返した。
斎は応じず、ただ黙して微笑んだ。
そして真榊は、そっと頭を下げた。
「本日はこれまで。だが我らは剣を抜くために来たのではない。
次は、法と理とにて、もう一手を」
その言葉を残し、使節団は静かに退室した。
沈黙が残る迎賓殿。その後方で、沙耶と雲居が斎の背を見つめていた。
「……言葉だけで戦を越えられると思っているのかしら、あの国は」
沙耶が低く呟いた。雲居はかすかに首を横に振る。
「違う“言葉で剣を抜かせる”ための理論武装だ。……あれが一番厄介だよ」
その視線の先、斎はひとり、香煙の中に静かに佇んでいた。
背中はまっすぐで、冷たく、そして誰よりも遠い。
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