第二十七話 神代院攻略 後半
戦端が開かれたのは、未明の霧が最も濃い刻だった。神代院の信徒兵たちは、山中の神殿から各所に点在して現れ、まるで霧そのものが人を呑み込むような動きを見せた。
地形を知り尽くし、迷路のごとき山道を駆ける彼らの戦い方は、まさに「消える戦」。
「敵は常に霧の中にいる。前進部隊、応答せず!」
斥候からの報告に、雲居 悠仁は軍図の前で眉を寄せた。
「やはり……霧の濃度と神殿配置、そして昨夜の風向き。すべてを読んだ上での布陣……」
「どうする、悠仁」
背後から聞こえた斎の声に、雲居くもいはわずかに肩を揺らす。
「殿。策はあります。ただ──」
「ただ?」
「稲生様のような“現場の導線”を読める者がいれば、もう少し余裕があったはずです」
斎は黙して地図を見下ろす。
「……俺が采配を誤れば、すべてが水泡に帰す。それでも前へ進まねばならん」
「心得ております」
雲居は深く頭を下げると、再び駒を動かし始めた。
*
神代院の本殿への進軍には、三つの谷を越える必要があった。そこには、それぞれ異なる神託の門と称された神殿が配されており、信徒兵たちの猛攻が予想された。
沙耶は斎の命で、主力部隊の一つを率いていた。彼女の采配は冷静で鋭く、敵の伏兵を逆に包囲するなど、いくつもの戦功をあげていた。
だが、その表情は硬い。(──稲生様が、いてくだされば)
自らの背後、兵たちの顔を見渡す。疲弊している者、震えている者、迷いを隠せぬ者。阿曽原がいた頃なら、稲生がその言葉を投げてくれていた。
「逃げたいやつは逃げろ! だが、俺は殿のために残る!」
そんな背中が、今はいない。
「私がやらねば……。影とは、殿の刃であると、決めたのだから」
自らに言い聞かせ、沙耶は剣を引き抜いた。
「突撃!」
*
戦いは終盤に差しかかっていた。葛城軍は霧と混乱をかいくぐり、ついに神代院の主殿手前まで迫った。
だが、そこには最後の守り──教主直属の“白衣の騎士団”が立ちはだかっていた。白装束に身を包んだ戦僧たちは、信仰の炎を胸に宿し、命を惜しまぬ覚悟で立ち向かってくる。
「ここで、仕留めきらねば……!」
斎は軍議図を睨み、ひとつ息を吐いた。
「沙耶の部隊を右翼に、雲居の策をもって左翼から誘引。敵の前列を誘い出して──中央を撃つ」
その采配は、的確で、冷酷だった。味方の負傷率は高くなるが、敵を確実に殲滅できる戦術。
「俺が進めば、誰かが血を流す。──ならば、その血の価値を、何倍にもしてみせる」
斎の声は低く、静かだったが、確かに揺るぎがなかった。
*
戦いが終わったのは、日が落ちてからだった。神代院の教主・天瀬は戦場に姿を現さず、本殿の奥にて自刃したと伝えられた。
山にこだまする鐘の音とともに、信徒たちは戦意を失い、葛城軍の勝利が決した。だが、誰も喜びはしなかった。
倒れた兵の中には、葛城領から付き従ってきた古参も多かった。そして、そこに稲生 彰人の姿がなかったことを、誰もが感じていた。
*
斎は、夕闇に包まれた神代院の境内で、一人、手を合わせていた。
(これが、俺の歩む道)
静かに閉じた目の奥に、去った仲間の背、倒れた兵の顔、沙耶の剣、雲居の策──すべてが交錯する。
「……覇道に救いなど、要らぬ。だが、せめて……」
そう呟いた彼の目には、一瞬だけ、光が揺れていた。
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