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覇道の果てに、王座は泣いた  作者: 望蒼
序章 ──群雲の時代
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第二十一話 背にする者

夜の帳が落ち、葛城軍の野営地には静かな風が吹いていた。

──幕舎の裏手、影のように佇む二人の姿があった。


「……顔色、悪いわね」


真柴沙耶(ましばさや)が声をかけた。

月光を受けた彼女の瞳は、稲生 彰人(いのうあきと)の顔を射抜くように見つめている。


「そう見えるか」


「ええ。最近のあなた、何か……怖いくらいに静か」


稲生は言葉を返さず、ただ夜空を仰いだ。


「殿のそばにいたのは、稲生様だった。

けれど最近は……、あの子ばかりね。雲居 悠仁」


その名に、稲生の眉がわずかに動いた。


「彼の策は冴えてる。……だが、理屈だけじゃ、人は動かん」


「それを言うなら、稲生様も理屈だけで動ける人じゃなかった。だからこそ、斎は──」


「今の殿は……もう、俺の知っていた殿じゃないのかもしれん」


その一言に、沙耶は何かを察したように視線を伏せた。



軍議の場。地図を囲んで、沙耶、雲居、稲生が対峙する形となっていた。


「……ならば、敵の主力はこの峡谷を抜ける道を通るはず。その動線を……」


雲居 悠仁が冷静に進言する。


「おい、貴様は机の上で策を描いてるだけだろう。

あそこにどれだけの兵が要るか、わかって言ってるのか!」


稲生が声を荒げた。沙耶がすぐさま間に入る。


「落ち着いて、稲生様。悠仁の言っていることも一理あるわ」


「──一理、で済むなら、あの戦で死んだ者たちは何だった。

あの時も策に従った結果、阿曽原は……」


沈黙。沙耶の瞳が揺れる。雲居は黙して地図を見つめたまま、言った。


「私が間違っているなら、訂正いただいて構いません。

ただ……殿がこの策を了承されると、私は信じています」


「……」


稲生は舌打ちし、幕を割るようにその場を立ち去った。





斎の幕舎。稲生は静かに入る。


「……殿。話がございます」


「……ああ」


斎は筆を止めた。

見慣れたその文字は、やはり稲生以外には読めないほどに乱れている。


「俺は……殿のために剣を振ってきた。

しさなんて捨てて、ただ、あなたの信念についてきた」


「それが、重いというのか」


「重いんじゃない。……もう、届かなくなったんです。

殿の目には、もう俺の姿が映っていない」


斎はゆっくりと立ち上がった。


「……止めはせん。だが、背を向けるお前のことを、俺は忘れぬ」


稲生は唇を噛み、深く一礼する。


「斎様……どうか、民を忘れぬ人であってください」


背を向け、幕舎を去る稲生の背を、沙耶が影から見つめていた。





夜更け。斎のもとに沙耶が入る。


「……行きました」


「そうか」


「……もう、誰も残らなくなってしまうんじゃないか、そんな気がしたの」


「残らぬとも。だが、俺は進まねばならぬ。それが──覇道だ」


沙耶は火鉢のそばに小さな湯飲みを置き、斎に茶を差し出した。


「……お茶、どうぞ。たまには、少しは落ち着いて」


斎はわずかに目を細め、湯飲みを受け取る。指先はかすかに冷えていた。

一口、啜る。その表情に変化はないが、微かにその肩の力が抜けたように見えた。


「……なら、私はまだ、あなたの“影”でいるわ」


斎は火鉢の火を見つめながら、静かに呟いた。


「影であれ、光であれ、共に歩む者を……俺は、もう、失いたくなかったのだ」

◆――お読みいただき、ありがとうございます。


登場人物たちの言葉や生き様に、少しでも感じるものがあれば嬉しいです。

ご感想・ご意見など、お気軽にお寄せください。


次回も、どうぞよろしくお願いします。

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