第二話 継がれし名、葛城斎
山深き葛城の地に、戦の煙が立ちのぼる。
主郭を守る城壁の上で、若き男が風に髪を揺らしながら、はるか前線を見つめていた。
葛城 斎
──この地を治める葛城家の嫡子にして、いまや新たな当主。
だがその瞳に映るのは、勝利の誇りでも、敵将の討伐でもなかった。ただ、空虚があった。
「……討たれたのか」
その声は、風に流れて消えた。
斎の父、葛城 正親は、東方の強国との衝突の中、敵将と刺し違えたと聞かされた。
将として、父として、何を守るために刃を交えたのか。
斎には、まだ知る由もない。
「父上……私は、違う道を行こうと思う」
風が頬を撫でた。斎は目を閉じたまま、しばしの沈黙を守った。
父の背中を追いかけてきた日々。
戦場で散った無数の兵の声。炎に焼かれた村と、涙をこらえる子どもの姿が脳裏をよぎる。
そして──次に目を開けたとき、その眼差しは硬く、冷たく澄んでいた。
弱さを飲み干し、覚悟だけを残した顔だった。
静かに呟いた言葉に、少年の弱さはなかった。城内の空気は張りつめていた。
政務の間には、諸将たちの視線が交錯する。
忠誠か、懐疑か。誰の目にも、若き当主がどこへ進むのかを測る色があった。
斎は、黙してそれを受けた。一拍の沈黙ののち、斎は前へ一歩進み、諸将を見渡した。
肩にかかる紋付きの衣が揺れる。彼の声は静かだったが、よく通った。
「父の志を継ぎ、この葛城の名を──民と共に護り、導いていく所存です」
膝をついた家臣の列がざわめき、視線がさらに鋭くなる。
それでも斎は、怯まず言葉を続けた。
「この国に、再び太平を。血で築かれた礎の上に、誇りを積み上げる。
……そのために、私は戦います。誰に侮られようとも、この名を穢さぬために。」
場は静まり返った。
その沈黙のなか、ただ一人、稲生 彰人が当主をじっと見つめていた。
その目に浮かぶものは、誇りか、安堵か──それとも、言葉にならぬ懸念か。
男の瞳は深く、だが何も語らなかった。
夜の静けさが城内を包んでいた。
月は中天にあり、白銀の光が庭の白砂を柔らかく照らしている。
訓練場の片隅。誰もいないはずの場所に、二つの影があった。
一人は斎。もう一人は、稲生彰人。
二人は対峙していた。刃を交えるわけではない。
ただ、剣を手にしたまま立っていた。
「……誰にも見せられぬ面がある。主君というものは、常に仮面をつけて生きる」
稲生の声は低かった。肩にかけた稽古着には、戦でついた焼け焦げの痕が残っている。
それを見つめながら、斎は剣の柄を握りしめた。
「父上も、そうだったのか」
「……はい。正親様は、誰よりも優しく、そして……本当に強いお方でしたよ。
けれど、いつも……ひとりでした」
斎はうなずいた。風が吹き、松葉がさやさやと鳴った。
彼は剣を鞘に収め、稲生の方を見た。
「お前がいてくれて助かる。俺はまだ、若すぎる」
そう言いながらも、斎の胸には言葉にできぬ感情があった。
稲生は、父・正親に仕えた男だ。
幼いころから斎の剣の指南役であり、戦の話をしてくれた兄のような存在だった。
ときに厳しく、ときに黙して寄り添ってくれる稲生の姿に、斎は何度も救われてきた。
その信頼は、ただの家臣ではない。
友と呼べる存在など、数えるほどしかいないこの乱世で、彼は間違いなくその一人だった。
それだけに、斎は今、こうして隣に立ってくれていることに、言い知れぬ安堵を覚えていた。
「若さは罪ではありません。ただ、信じて進めばいい」
「……だが、俺がもし道を誤ったら」
稲生は目を細め、しばし黙った。そして、鞘に剣を収め、斎に歩み寄った。
「その時は、俺が止める」
斎が小さく笑う。稲生もまた、わずかに口元を緩めた。
「お前は、俺にとって父のようで、兄のようで……時に友だ」
「俺は、お前の剣だ。いつでも、お前のために振るわれよう」
二人の影が月に溶けていく。
静かな、だが確かな絆がそこにあった。
しかしその夜、稲生の胸には微かに疼くものがあった。
それは忠誠か、それとも不安か──。
風が吹いた。
まだ冷たい春の風が、二人の間を通り抜けていった。
◆――お読みいただき、ありがとうございます。
登場人物たちの言葉や生き様に、少しでも感じるものがあれば嬉しいです。
ご感想・ご意見など、お気軽にお寄せください。
次回も、どうぞよろしくお願いします。




