第十五話 波濤と祈り 後編
──火薬庫の爆発から、わずか半刻。
潮津口の軍港は、炎と煙に包まれていた。
その導火線は、数日前に港へ潜入した“影”の手で張り巡らされていた。
火薬庫周辺の薪小屋に仕込まれた油樽、積荷に紛れて運ばれた時限火具、そして──
港の倉庫群の裏に埋め込まれた発火玉が、密かに熱を帯びていた。
突如、湾岸南部の弾薬庫が、まばゆい光と共に吹き飛んだ。
凄まじい爆風と黒煙。船員たちの叫び、崩れ落ちる倉庫、砕けた桟橋が火柱と共に空を裂いた。
──それは、あまりにも整いすぎた“事故”だった。
「どこからだ!? 敵はどこに潜んでいるッ!」
港湾守備の副将が叫ぶ間もなく、海辺の松林から火矢の雨が降り注ぐ。
葛城軍が設置した投石弩と弓兵部隊が、あらかじめ“風下”に布陣されていた。
白嶺は、塔の上から燃える湾を見つめた。
騒然とする兵たちに一喝をくれるでもなく、ただじっと、静かに。
「……陸の軍勢が、これほど精密に海港を狙うとは。やるじゃない」
呟きながら、彼女の頬に淡い笑みが浮かんだ。
混乱の中にあってなお、その瞳にはむしろ静かな高揚が宿っていた。
「この風を読んだのか。いや……それだけじゃない。
波の流れ、帆の張り方、こちらの布陣、全てを“見た”上で打ってきた」
軍港は混乱していたが、白嶺の中には、ひとつの興奮が芽生えていた。
──葛城斎。
まだ若いはずの男が、海を知らぬはずの軍が、ここまでの布石を打てるとは。
「ふふ……これは、“会わねばならない”かもしれないわね」
指先で、軍刀の柄を軽く叩く。
戦場に咲く火の花に照らされて、彼女の輪郭は凛としていた。
その姿を、山の尾根に設けた観測拠点で、雲居 悠仁が望遠筒越しに見ていた。
「……予想より早い撤退判断ですね。だが、被害は相当なはずです」
斎は黙って、地図上の駒に手を伸ばした。
白嶺の艦隊が退いた海路に、自らの指で線を引く。
「勝ち急ぐな」
ぽつりと呟いた声は、決して焦りではなかった。
その横顔に宿るものは──“知略”という名の熱。
「白嶺は退いたが、負けてはいない。
むしろこちらの手を“読んだ”うえで、最小限の損耗に抑えた」
雲居は僅かに目を見張った。
斎の眼差しには、かつて見たことのない静かな光が灯っていた。
「敵ながら、あれは見事だ。風の流れ、帆の軋み、火薬の配置……“読んだ”うえで“流した”。
これは戦だ、悠仁。兵と兵だけではない。“読みと読み”のぶつかり合いだ」
斎は指を止め、地図の一点を見つめる。
「次は……どこに布陣する?」
問いかけは、自分に向けたもののようでもあり、“あの女将”への独白のようでもあった。
雲居は思った。──この男は、冷徹ではある。
だが、その芯には、確かに“熱”がある。
そのとき、背後から声がした。
「……どうやら、“戦で燃える”のは殿の方みたいね」
沙耶だった。
軍幕の隙間から入り、斎の背に手を添えるように近づく。
「勝てるとわかっていても、殿は“戦の中”で生きてる」
「……それが悪いと?」
斎は振り返らず、わずかに目を細めた。
「情けが国を守るなら、誰も剣を取らぬ。
だが、どこかで私自身が……楽しんでいると、わかってはいる」
その声には、わずかな痛みがにじんでいた。
「私は、覇道を選んだ。だが、人であることを……まだ、捨ててはいないつもりだ」
沙耶は笑うでもなく、眉を寄せてもいなかった。
ただ、静かにその背を見つめていた。
「会ってみたくなる男、か。……それ、あの女将にも言ってあげたら?」
「……いや、言うべきは、もう少し先だ」
斎の言葉に、沙耶は小さく首を傾げた。
「どんな意味?」
「“口ではなく、戦で語るべき者”は、いる。
だが“戦の後”にこそ、語る価値のある者も、またいる」
そう呟いて、斎は再び地図を見つめ直した。
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