第十話 骨に刻む名
夜の闇に包まれた丘の上。こには、簡素な木の墓標が静かに立っていた。
葛城斎は、その前に立っていた。ひとり。
風も声もない、ただ無音の空間。
火の明かりも持たず、斎は長い沈黙の末に、ようやく口を開いた。
「……我が策に殉じてくれた、お前の忠義、忘れぬ」
その言葉は、墓標ではなく、自身の胸の奥に向けられたものだった。
「記録には残さぬ。だが――刻む。骨に、心に」
足音がひとつ、背後から聞こえた。稲生彰人だった。何も言わず、隣に立つ。
二人は並んで、墓標を見つめていた。
「阿曽原殿がいた場所、俺にはまだ……重い」
稲生が呟いた。
「お前が背負わねばならぬ重さではない」
斎は言った。
「だが、いずれ――この国を背負うなら、いくつも刻むことになるだろう」
「……刻む?」
「そうだ。書き記すのではない“刻む”のだ」
斎は拳を握る。
「傷として残る。その痛みで、道を誤らぬために」
稲生はその横顔を見つめていた。言葉ではなく、静かに――その決意を受け止めていた。
「それが……覇道か?」
「違う。だが、覇道を行く者には、それしか残らぬ」
風が吹いた。墓標の木が、かすかに軋む。
「行こう。朝には出る」
斎は背を向けた。
稲生は、彼の背を見送り、ひとつだけ墓標に向かって深く頭を下げた。
「――御苦労さまでした。……斎を、支えてくださり、ありがとうございました」
その声は、夜の風に溶けていった。
【次回予告】(幕間)「沙耶記──影の記憶」
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