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夜の残骸

R15

深く被った帽子と立てた襟で、さりげなく涼哉から顔を隠す。

店を出た俺は、しれっと待たせていたタクシーに乗り込み、当然のように涼哉のマンションの住所を告げた。


「……はい、千七百八十円です」

「ども、ありがとうございました」


千円札を二枚渡してお釣りを受け取り、タクシーを降りると、見慣れたマンションだ。


「ふふっ」


あまりに簡単に進む物事に笑いを漏らしながら、涼哉のポケットから鍵を引っ張り出し、エントランスを抜けた。

すれ違ったマンションの住人に軽く頭を下げながら、背負う涼哉を盾にしてさりげなく顔を隠す。

なんとなく、後ろ暗かった。


エントランスを抜け、エレベーターで涼哉の部屋がある階を押す。

よく来る場所だけれども、普段と少し状況が違うだけでドキドキと無駄に心臓が鳴る。

ほとんど意識のない涼哉とともに入ることなどなかったし、こんな後ろめたい気分でこの家に来ることは、なかったから。


「……はは、馬鹿らし。今更尻込みしてどうすんだよ」


己の感傷と、今になって罪悪感を抱く愚かしさを笑った。


「よっ、と」


涼哉をかつぎ直して、背中に重みを感じながら、目当てのドアを目指す。

カチャリと鍵を開け、真っ暗な玄関で靴を脱いでいると、半ば背負われていたはずの涼哉がわずかに身じろいだ。


「……りょ、っ」


思わず呼びかけそうになって、口をつぐむ。

危ない、忘れていた。

俺は、『俺』であっては、いけない、のだ。


涼哉は誰でもいいのだ、と、大西は言っていた。

酔いに任せて、愛する人の代わりに抱く相手は、誰だって構いはしないのだ、と。


けれど、きっと、俺はダメだろう。

幼馴染の、キッカワユズル、では。


それくらいの自信と自覚はあった。 

涼哉も、だからこそ、俺がいる場所ではここまで酔いはしなかったのだろうから。


だから、きっとこのタイミングで名前を呼ぶことは危険だろう、と思った。

他の人間なら、きっと気づかれない。

けれど、たぶん涼哉は気づく。

相手が、俺だということに。

そうしたら、涼哉はやめるだろう。

目の前の人間を押し倒すこと、を。


それでは、ここに来た意味がない。


俺は、じっと涼哉の出方をうかがった。

闇に近いほど暗い玄関で、しかし顔を上げた涼哉は現在地を自宅だと認識したようだった。

そして、俺の肩からふらりと乱暴に離れると、靴を脱ぎ捨てる。


その瞬間に、俺は、勝利を確信した。


その素振りが、もし隣にいるのが俺であると知っていたら、涼哉は決してしないような、粗雑な扱いだったから。

深い笑みが口元に刻まれるのを感じながら、俺は次の行動を待った。


振り返りもせずに涼哉は、後ろ手に俺の服を掴む。

そして、暗いままの廊下へと、俺の手を引き込んだ。


俺の求めるものは、きっとすぐに与えられるのだ、と。

俺は、改めて確信したのだった。




***




間接照明さえない、カーテンの隙間から漏れる光のみを光源とした真っ暗なリビング。

そこで、俺は涼哉に押し倒されていた。


アルコールに溶けた瞳は、おそらく何一つまともに映してはいないだろう。

飲み会の途中でゴミが入ったと言って涼哉はコンタクトを外していたから、相手の性別すらおそらくは曖昧だ。

けれど、きっと、それでいい。


酒の匂いがする熱いキスを受けながら、俺はこみ上げる笑いに顔が歪む。


なんて簡単なのだろう。

こんなに容易く、コレは手に入るのか。


普段より数倍高い体温が、俺の腹の奥に快楽の種を落とす。

無造作に体のあちらこちらを嬲られて、妙な悲鳴が零れた。

意味をなさないそれは、まるで命乞いする獣のようで、我ながら哀れを誘った。

荒々しい手つきで力づくで押さえつける。愛情などカケラも感じられない行為がみじめで、けれど、やけに高揚した。


聞き苦しいほどに早くなる呼吸に、耳を塞ぎたくなるような自分の声。涼哉がその気をなくすのではないかと危ぶんだが、おそらく相手のことなど全く気にしていないのだろう。涼哉は慣れた様子で、淡々と動いた。逆らわず、おとなしく息を潜めていれば、全てはつつがなく進んでいく。


「っ、」


待ち構えた衝撃に、思わず息を詰める。


あぁ、やった。

涼哉になされるがまま、とうとう俺は本懐を遂げたのだ。


内心で歓声を上げながらも、あまりの苦痛に叫びそうになった。思わず縋るように涼哉の名を呼んでしまいそうになり、俺は慌ててソファに顔を押し付ける。


涼哉に気付かれたら、()()()なのだ。

気付かれたら、すべてが終わる。

この夢も、そして、……俺たち、も。


あぁ、馬鹿馬鹿しい。

なんなのだろう、この夜は。


手際よい涼哉のやり方に、男同士の情事にひどく手慣れていることを感じ、今更ながらに涙がこみ上げる。けれど、それが何の涙だったのか、俺にももう分からなかった。


ぐちゃぐちゃになる心を見ないふりして、俺は必死に声を殺した。

手の甲を噛み、少しでも気を抜けば溢れ出そうな言葉を押しとどめる。

これまでの人生で最も口にしたであろう、三つの音を。


「……ふぅ」


満足したらしい涼哉がけだるげな吐息をついて、どさりと背中に圧し掛かる。

鍛えられた体の重みに潰されながら、俺は小さく空気を吐き出した。


り ょ う や


音にならないように乗せた言葉は、当然涼哉の耳には届かず、背中の男はスヤスヤと寝息を立て始めた。

起こさぬように、そっと体勢を変え、涼哉の下から抜け出す。


「……ふふっ」


充実感や幸福感とは程遠い空虚な達成感が体を包む。

足の間を垂れていく見苦しい情交の残骸が、唯一の温かさだった。


「かんたん、だなぁ」


唇の端を無理やり釣り上げて、笑みの形を作る。

頬を伝う涙の意味は、気づかなかったことにした。


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