酔い潰れた夜
打ち上げ、と言う名の飲み会。
いつものメンバー、いつもの居酒屋、いつもの席。
涼哉の、向かい側。
素知らぬふりで俺は、涼哉の様子を注意深く盗み見た。
昔の女が神聖な研究室へ殴り込んできて、ブチ切れた涼哉は相当やりあったらしい。
一応研究室の備品は壊していないらしいが、教授からこっぴどく叱られたのだろう。
今日の涼哉は、ひどく不機嫌だった。
浴びるように酒を飲み、気軽には周囲の人間を寄せ付けない。
普段ならば、俺はこういう涼哉には触れない。
プライドの高い涼哉が、俺に触れて欲しくないと、分かるから。
一番身近な存在である俺に、格好の悪い様を見せたくないと思っていることを、分かっているから。
だから俺はいつだって、こんな夜は、延々とアルコールを浴びたがる涼哉を置いて、さっさと先に帰る。
涼哉が最も醜態を晒したくない相手が、自分だということは、少しだけ寂しくて、同時に誇らしくて。
俺はいつだって言われずとも、敢えて涼哉を残して、帰っていたのだ。
けれど、今夜は、絶対にそんな真似はしてやらない。
絶好の、チャンスだから。
そう思いながら涼哉をうかがえば、苛立ちに任せるように杯を重ねる涼哉に、自然とお酌をしている先輩思いな後輩が、少しだけ、赤い顔をしているのに気付いた。
もしかして、と、心が騒めく。
こいつも、涼哉の、相手なのだろうか。
普段は遠慮深く、いつもにこやかで穏やかな後輩を、自分も好んではいた。
男子にも女子にも分け隔てなく優しく、部員からの信頼も厚い。
これまでも、辺りを問答無用で傷つけるような気配を放つ涼哉の傍に、じっと石のように座して、ただ無言で酒を注ぐ姿を、そういえば何度も見ていた気がする。
ありがたいと思いつつも、彼自身の様子など、これまでは気にかけたこともなかった。
年下の彼が、礼儀を重んじて、そしてその優しさと忍耐強さゆえに、不機嫌な涼哉の世話役という役割を負っているのだとしか、意識してはいなかった。
けれど、違ったのだろう。
だって、彼の目は、何かを期待して、少し潤んでいるのだ。
憎らしい。
この後輩は、良い人間だとは、思う。
けれど、涼哉の相手だというのならば、話は別だった。
この先の彼の未来を握り潰しても、まだ足りないほどに、胸を掻きむしりたくなるほどに、妬ましい。
「ぅあー、ちっくしょぉ」
酔っぱらった涼哉が、うめき声を上げながら、机に突っ伏した。
その涼哉の背を撫でながら、甲斐甲斐しく後輩が世話をする。
それは、よく見る光景だった。
ここからも、きっとまだ涼哉は酒を飲む。
普段ならば、俺はこのあたりでこの場から去る。
その後で、きっと涼哉はこの後輩に家まで送られていたのだろう。
そして、きっと。
きっと。
「……考えるのも、腹立つな」
隣の人間が聞き取れぬほどの音量でポツリと呪詛を漏らし、俺はさっと立ち上がった。
あたかも普段のように、その場を去るような素振りで、幹事の後輩に多めのお札を渡し、周囲の人間に挨拶をする。
俺が立った後で、涼哉の気配が少し緩むのに気が付いた。
やはり、あいつは。
俺がいる間は、アルコール量を抑えていたのだ。
思考と理性が、自分を制御できるように。
「そうはいくか、馬鹿野郎」
先に席を立つ振りをして、居酒屋の隅に身を潜める。
十数分ほど待ったところで、ガタリ、と宴会の行われている個室のドアが開いた。
担がれた涼哉が、後輩とともに部屋を出てくる。
残る人々に頭を下げながら、後輩が涼哉を抱えて歩いてきた。
後ろから飛んでくる「いつもすまねぇな」という声に、やはり、と暗い確信が胸に揺らめく。
「あれ?いま帰り?」
「っ、ひぃ」
にこり、と後ろから声を賭けたら、後輩は振り返って幽霊にでも遭ったような悲鳴をあげた。
「ゆず、る、せんぱ……、帰った、んじゃ?」
「ん?忘れ物して、戻って来た」
いけしゃあしゃあと嘘を吐きながら、俺は二人に近づいた。
「うわあ、涼哉、完全に潰れてんじゃん。ごめんな?迷惑かけて」
「い、え」
なぜかガタガタと震える後輩に、思わず笑いが零れる。
そんなに、俺は怖い顔をしているか?
「俺、もう帰るし、代わりにこいつ送ってくわ。……きみは、アッチに戻りな?」
有無を言わせぬ笑みで涼哉を奪い取れば、後輩は金縛りにあったような顔で、操り人形のように頷いた。
きっと、飲み会に戻ることは出来ず、彼はそのまま帰るだろう。
けれど、そんなことはどうでも良かった。
もう、十分だろう。
君の役目はここまでだ。
さぁ、代わってもらおうか。