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明け渡した未来




ピンポン


どこかふざけた、気の抜けたインターホンが鳴る。


「……ッ、ちっ、誰だよ」


リビングで何本目かの酎ハイを開けていた俺は、苛立たしく立ち上がった。

買い込んでいる安酒を次々と開けて飲み干していた俺は、既にかなり酔っているはずだが、思考も記憶も飛ばすことができず尚更苛ついていた。

何の用だ、と、インターホン画面を見て、息を飲む。


「……え、ゆず……」

『へへっ、……うん』


解像度の荒い画面に映っているのは見間違えようもなく、誰よりも長く見つめ続けている男だった。


『おねがい、……開けて?』


吐息で笑った後に囁かれた、どこか懇願じみた言葉に、俺は催眠術にでも嵌ったかのように、気づけば解錠ボタンを押していた。

小さな音を立てて開く扉の気配。


『部屋、行く』


柔らかな宣言を残し、譲の姿は小さな画面から消えた。




再度鳴ったインターホンに、何も考えられぬまま扉を開く。

当たり前だが目の前にいるのは譲で、俺は馬鹿みたいな顔で突っ立っているしかなかった。


「……俺、この前にここに来たの、いつだっけ」

「へ?水曜、だろ?」


言われている意味が分からず首を傾げれば、譲は泣き笑いのような顔で呟いた。


「そ、っか……」


ずるずると座り込む譲に慌てて、俺は譲の前に両膝をついた。


「ちょ、ソファ座れよ。お前、去年の大会で膝、痛めただろ?変な体勢取るなよ」


困惑は強かったが、それよりも譲が心配で俺は眉を顰めた。

そんな俺に譲は泣きそうな顔で笑う。


「……そういえば、そうだったな。膝に負担かかるような体勢、取らされたことも、ほとんどなかったな。なぁんで、気づかんかったんだろ。……思い込みって、こわいなぁ」


「だから何を言ってんだよ、お前は!」


ぶつぶつと良く分からない呟きをこぼす譲に戸惑いながら、俺は譲を促してソファに移動し、疲れ切ったように座り込む譲に水を汲んできた。

冷たいミネラルウォーターで柔らかな唇を湿らせてから、譲はポツリと尋ねた。


「涼哉、おれのこと、わかってたんだ?」

「は?」


唐突すぎる譲の質問の意味を理解できず、瞬きを繰り返せば、譲は苦笑して質問を変える。


「なぁ。俺のこと、どう思ってた?」

「どう、って」


何度も、言ったじゃないか。


そう言ってやりたくても、まっすぐ見てくる譲の目は真っ黒で、ちっとも意図が読めない。

く、っと一瞬だけ言葉に詰まり、俺は、唇を噛みしめ、そして。


「す、きだよ」


泣き出したいような気分で、必死に口を動かした。

あぁ、これで完全降伏だ、と唇を噛む。

丸裸にされて、俺には何の手札も何の権利も残されていない。


「酒、飲んでなくても?」

「っ、これは、」


どこか意地の悪い問いかけに、あぁまた信じてもらえないのか、と泣きそうになる。

けれど、俺が答える前に、譲はふっと笑って空気を緩めた。


「ふふ、分かってる。いまは、酔ってないもんな。……ごめん」

「酔ってるけど、酔ってない……だから、信じて」

「…………うん」


頷いた譲の目も泣き出す寸前のように潤んでいて、俺はきゅうと胸が苦しくなった。

何か声をかけなければ、と思い口を開こうとしたその時。

譲が、子供のような顔で言った。


「おれ、な。……お前は、俺だって分らないで、俺のこと抱いてるんだって、思ってた」

「………………は?」


時が止まったかのような、空白の時間。


「ば、っかやろぅ!!お、俺が」


一瞬思考が停止して、固まった後で、突然猛烈な怒りが沸き上がる。


「俺が、お前を、分からないわけないだろ!!」


あまりにもな誤解に、目を白黒させながら、俺は泡を食って反論した。

ガシッと、どこか丸い両肩を掴み、真ん丸な目をまっすぐに見て、俺は真正面から必死に言い募る。


「最初っから、分かってるに決まってる!最初の夜、無茶したし、身体大丈夫だったかな、とか思って慌てて研究室に行ったのに……あんまりにもいつも通りだから、俺、『もしかして夢だったのか!?』とか、色々、めっちゃくちゃ考えたのに!お前は飲み会終わると俺のこと送ってくれるし、抱きしめても拒否らないし、好きって言うし、抱かれてくれるし、なんかもう、混乱して。

愛してるって、俺は必死の思いで言ったのに、お前、……なんか冷めた目で笑うし」


そんな謎の勘違いをされていたのかと、これまでの譲の反応を思い返して空しさと馬鹿馬鹿しさがこみ上げた。

怒ればいいのか泣けばいいのか、訳が分からなくなる。

苛立たしさに息を吐いて、くしゃくしゃと髪を掻きまわした。


「俺が誰かの代わりで、ほんとうに抱かれたい男は別にいるのかな、とか、めっちゃ、本当にすごい、悩んだのに」

「なんだよ、それ……馬鹿らし。俺の苦悩はなんだったんだ……」


だんだんと力がなくなって、泣き言じみてきた俺の言葉に、譲が苦笑いをみせた。

ちっとも、笑いごとではないのに。


「それは俺の台詞だよ。いっつもいっつも、朝になるといなくなるから、ていのいいセフレにでもされてるのかとか、……色々、俺なりに悩んでたんだぞ!」

「なんでオトコをセフレにするんだよ。俺はお前と違ってそんな趣味ないっつーの。ったく、純真無垢な少年を弄びやがって」

「え。……ってか、弄び、って……?」


ふいにかけられた詰りの言葉は、身に覚えがありすぎて、譲の言葉に過剰な反応を返してしまった。

ぎくりとしながら譲を窺えば、譲はわざとらしく眉を吊り上げ、膨れっ面で俺を見ている。


「最初の夜のお前の手慣れ方は異常だったぜ?経験豊富で何よりだよ」


そして少しだけ下の位置から、上目遣いで俺を睨みつけた。


「……一体どんだけの男と女を喰ってきたんだよ」

「いや、あの!それは、えっと、……だってッ、まさかお前が!」

「ふんっ、知らねぇよ!」


半眼になる譲に慌てて、俺は馬鹿みたいに言い訳を連ねた。

そんな俺を面白そうに眺めていた譲は、にこっと目を細めると、どこか甘く俺の名を呼んだ。


「なぁ、りょーや」

「ん?っわ」


ひょいと気軽に首を抱き寄せられて対応できずにいると、俺の動揺を楽しむように、譲が耳元で囁いた。


「あいしてるって、ちゃんと言って?」

「っ、え」

「おれも、言うから」


その交換条件に、俺はぐっと、言葉に詰まった。

俺の葛藤にくすくすと笑いながら、譲は要求をもう一つ加えた。


「名前も、呼んで。応えるから。そんで、俺も呼ぶから」


一個一個、区切るように告げて、流し込まれた麻薬のような囁き。

それはとても甘くて、幸せの響きがしていた。


「おねがい。ちゃんと、酔ってないときに」


くすりと笑った気配に、つい情けなくも、「あ、う、えっと……ぐ、ぅう」と了承ともつかぬ呻きを漏らした。

そして。


「ゆずる、…………あいしてる。おれのものになって?」


覚悟を決めて、顔を上げ、まっすぐに譲を見る。すると心底嬉しそうな、満面の笑みが返ってきた。


「ん、いいよ。おれもあいしてる。だから、……涼哉も、俺だけのものになれよ?」


願ってもない交換条件に俺の心は歓喜し、そして僅かの躊躇いもなく、俺は未来を譲に明け渡したのだった。



本編はこれで完結です。続いて番外編が少しだけ。

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