じわじわと歪む視界
久々に出向いた部室。
前回、少し手荒く扱ってしまったから、なんとなく顔を合わせにくい気分で向かった部活のミーティング。
なぜか、譲は妙にご機嫌だった。朝から鼻歌でも歌いだしそうな勢いで、周囲に軽やかな笑みを振りまいている。
どんどんと譲を取り巻く人間が増えるのを、俺は暗澹たる気分で見ていた。
どんどんと、触れられなくなる、あいつを。
ミーティングの後、わらわらと飲み会へ移動しようとしている中で、俺はずっと譲を目で追っていた。
俺はいつも移動の時、なるべく譲の隣を歩き、さりげなく近くに座る。
そうすれば、世話焼きの譲は、必ず俺の側にいてくれるから。
酔い潰れた俺を、見捨てずに居てくれるだろうから。
けれど。
「あ、ゆずるくーん!」
浮き立った可憐な声が、譲の名を呼んだ。
「え?リカ先輩!部室棟にいるなんて、どうしたんですか?」
「えへへ、ゴルフ部のみんなに報告があってねー。譲くんは?」
「今、テニス部のミーティング終わりで、これから飲み会です」
嬉しそうな顔をした譲が、子犬のように目をきらめかせながら、リカという女の元に駆け寄る。
楽しげに続く会話に、後輩たちは譲を置いていくべきか、待つべきか、戸惑っているようだった。
すると、それを察した女が「あらら、ごめんね」と手を合わせて、おどけたように片目を瞑った
「ちょっとだけ話してもいい?」
「あ、もちろん。……わりぃ。俺、先輩と話してから行くから、皆は先行っててー」
「はーい。場所はいつものところですんで!」
「オッケー」
元気よく告げた部長に気軽な返事を返し、譲は『リカ先輩』とやらと話し込んでいる。
譲は、いくつかの部活を掛け持ちしているから、あの女はきっと、ゴルフ部で世話になっていたのだろう。
「ははっ」
譲は、あちらこちらに居場所がある。
譲の側にしか居られない、俺と違って。
女と楽しそうに話をしていた譲を置いて、やってきた打ち上げ。
以前、譲と関係を持つ前に、重宝していた男が、近くにやってきた。
「……涼哉先輩、お久しぶりです、お元気でしたか?」
「ん?まぁ、な」
ほんのり赤らんだ顔に、なんとなく面倒だなと思いながら、適当に応える。
そして差し出される杯を、干していった。
現実から、逃げるように。
苛立ち紛れに強い酒ばかり煽っていたら、ざわり、と遠くが騒がしくなった。
「遅くなりましたぁ」
聞きなれた、柔らかな声に、胸がぎゅっと苦しくなる。
迷いなくこちらへ歩いてくる足音に、けれど顔を上げることは出来ないまま、黙々とアルコールを流し込んでいた。
譲が横にいた男に礼を告げて俺の隣に座る。
「涼哉、酔いすぎじゃね?」
苦笑交じりに告げられた声の優しさに、胸が痛くて痛くて、仕方なくなった。
「ゆず、る……」
泣き出しそうな気分で腕を掴む。
俺より少しだけ細くて、あまり鍛えられていない腕。
握りつぶしてしまえるだろうか、と一瞬だけ凶暴な思考に振れる。
「っ、涼哉?」
きっと痛いのだろう。
強張った顔で俺の指をひきはがそうとする譲に、俺は意地になったように指へ力を籠めなおした。
「ちょ、痛いって」
さすがに非難の声が交じり、まっすぐ俺を見つめてくる瞳。
けれどそこには、怒りはなくて、どこか、心配そうな光を浮かべている。
まるで、幼い子供を見るような、慈しむペットを見るような、愛おしい者を見るような。
決して、『男』を見るものでは、あり得ない、眼差し。
「お前、ほんと、は」
俺のことを、どう思ってるんだ。
「ぇ、……どうした?」
戸惑ったように首を傾げる譲に、俺が問いかけを続けようとした。
その時。
「お疲れ様です、遅くなってすみません」
「あ、お疲れさんー」
一人の男が、入ってきた。
茶髪で、眼鏡をかけ、今は会計係として部の中心を担っている男。
もうすぐ夫となり、父となるという後輩。
今、俺が、一番会いたくない、人間。
譲の顔が、さっと強張る。
それを見て、俺の体から力が抜けていった。
すべてが、繋がった気がした。
「わ、りぃ……」
「涼哉……?」
あぁ、そうか。
こいつか。
今日のお前の、上機嫌の、理由は。
そして、お前は、この男に。
俺に、触られているところを、見られたくないんだな。
「も、いい」
じわじわと歪んでくる視界に、必死で瞬きを堪え、財布をまさぐる。
数枚の紙幣を机に置いて、ふらりと立ち上がった。
「帰る」
誰かが俺を引き留めていたけれど、どうでもよかった。
その声は、譲では、なかったから。




