最愛の幼馴染
俺が譲に堕ちたのは、一体いつのことだろう。
俺の幼馴染の橘川譲は、とても情愛の強い人間だ。
本人は自分のことを、ただの面倒見が良い世話焼き程度に思っているけれど、それどころではない。
譲は愛した者を焼き尽くすほど深く愛するし、愛した者が望む通りの己になろうとする。
譲の愛はとても苛烈だ。
そして、譲の周囲への関心はゼロか百かの二択しかなく、ある意味とても残酷だ。
興味のないモノに対しては、全く心を動かさないのだから。
まぁ、譲はキャパシティーが大きいから、ほとんどのモノが譲の『中』に入るので、酷な対応をされた人間はあまりいないのだけれども。
「譲は、……激しい子だから」
昔、譲のおばさんが言っていたことがある。
「涼哉くんみたいに落ち着いた子が側にいてくれて安心だわ。あの子が暴走して、人や物を傷つけそうになってしまったら、止めてね」
「え?ゆずるは僕よりずっと優しいよ?人を傷つけたり、しないと思う」
「……ふふ。ありがとう」
俺が戸惑い反論すると、おばさんは苦笑して俺の頭を撫でた。
あの頃は、おばさんの心配が分からなかったけれど、今なら分かる。
確かに、譲はとても激しい。
彼の感情はいつも酷く純度が高くて、混ざりモノが許されないのだ。
譲の「好き」も「嫌い」も、幼い子供のように純粋だ。
時に、その苛烈さで、人を傷つけそうになるほどに。
そんな譲は、時折熱烈な『恋』に落ちる。
対象は、女だったり、男だったり、先輩だったり、後輩だったり、犬だったり、猫だったり、スポーツだったり、本だったりする。
なんの前触れもなく、譲は唐突に、その『相手』に、己の全てを明け渡すのだ。
「ゆず……」
「なに?りょーや」
小学生の頃、幸運なことにその対象は俺だった。
転校してきたばかりで周りと馴染めず、いつも譲にくっついていた俺を、譲は大きな情で包み込んでくれた。
名前を呼べば、譲はいつだって振り向いてくれたし、笑いかけてくれた。
溢れんばかりの愛を、惜しみなく与えてくれたのだ。
譲の愛の恩恵に与りながら、俺は人見知りながらも少しずつ土地に馴染んでいった。
中学に入ってからも、俺は幸いにも譲と同じクラスで、平日は登下校はもちろん、学校にいる間もずっと一緒だった。
そして、一緒に譲の家へ帰り、ともに夕食を食べるのだ。
共働きの両親を恨みながら、いつも一人で食べていた夕食は、譲の情愛の深さと譲の両親の寛大さのおかげで、満たされたものに変わった。
休日も、たいていはどちらかの家で過ごし、譲と離れるのは眠っている間くらいだった。
間違いなくあの時期は、俺の人生の中でもっとも幸福だったと言えるだろう。
中学に入って、幾人かの人間に譲がポン、と心を明け渡したり、バスケットボールに夢中になって他が目に入らなくなったりしたけれど、俺は耐えられえた。
譲は俺を『親友』と呼んでくれたから。
親友として誰よりも譲の近くにいるのは俺だと、信じていたから。
本当は、譲には、俺だけを見ていて欲しかった。
他の誰かに目を奪われて欲しくなんてなかったし、他のものに気を取られて欲しくなかった。
でもそんなことは不可能だと分かっていたから、俺は我慢していたのだ。
人間の中で一番近く、一番深くにいられるのならば、それで良い、と。
「……おれの、すべて」
幼い情熱とひたむきさで、俺は譲を愛し、求めていた。
世界中の何物とも代えがたいほどに、譲の全てを欲していた。
自分以外へ深い愛を向ける様を見せつけられるのは、いつだって、正直身を切られるほどの苦痛だった。
『今、譲は誰かの、何かのモノなのだ』と叩きつけられる度に、俺は一人で胸を掻き毟り、もがき苦しんだ。
けれど、それでも耐えられた。
俺には、譲がくれた、『親友』という地位があったから。
誰よりも近く、誰よりも側で、譲を助けてやれるのは俺なのだと。
誰よりも深く、誰よりも確実に譲を理解しているのは俺なのだと。
誰よりも何よりも、譲を愛し、守っているのは俺なのだと。
そんな幼い自負が俺を繋ぎ留めていた。
そして俺は、いっそ傲慢なまでに、純粋に信じていた。
俺と譲は『特別』なのだ、と。
しかし。
「……別の、クラス……」
中学二年の春。
あっさりと訪れた別離とも言えないはずの別れ。
それは、俺と譲の『特別な関係』の崩壊の、始まりだった。
俺がいなくても笑う譲。
俺がいないのに泣く譲。
俺のいない場所で怒る譲。
俺以外に見せられた弱さ。
俺以外に晒け出された涙。
俺以外の人間に支えられる姿。
俺は、不可欠なんかじゃなかった。
俺ではなくても、譲は大丈夫なのだ。
譲を守るために作り上げ、纏ったはずの鎧は、ただのピエロの装身具でしかなかったのだ。
家に帰れば、譲の隣には俺しかいない。
今この場所で、俺は、きっと誰よりも近くにいる。
けれど、それは俺だけじゃない。
俺と離れた場所では、誰か他の人間が、俺よりも譲の近くにいる。
「耐えられない……」
息苦しくなるほどの焦燥感と、涙の滲むような渇望。
幼さゆえの愚直なまでの一途さが、悪い方向に作用したのだろう。
俺は、すぐに限界を迎えた。
「ゆずる……ゆず……なんで……」
一人になると、ぼろぼろと涙が溢れた。
なぜ譲は俺の、俺だけのものじゃないのか。
俺は、譲のモノなのに。
俺の心も、幸福も、譲が握っているのに。
「ひっく、ゆず、……ゆずるぅ……」
一人の部屋に帰った後は、いつも泣きじゃくりながら譲を呼んでいた。
家に帰った俺に、譲が連絡をしてきたことなんか、一度もなかったけれど。
「ゆず……おれの……じゃない、ゆず……」
俺は譲に、確かに愛されている。
愛されているけれど、それは代わりのないものではないのかもしれない。
けれど、それでも愛されていることは確かだ。
しかし、俺に向けられる愛は、きっと他では別の誰かが受けている愛だ。
俺は、譲の唯一なんかじゃなかったのだ。
だって譲は、俺のいないところでも、楽しそうに笑っている。
幸せそうに笑っているじゃないか。
譲がいないと、俺は笑うことなんてできないのに。
「だれか……たすけて……」
幾たびも繰り返した絶望は、少しずつ、けれど確実に、俺の正気を蝕んでいった。
俺がまるで逃げるように、人の体温に溺れ始めたのは、その頃からかもしれない。




