待ち望んだ愛
かなりの覚悟で訪れた、涼哉のマンション。
何度も来た場所だけれど、一人で訪れるのは、初めてかもしれない。
『……え、ゆず……』
「へへっ、……うん」
インターホンを押せば、涼哉は俺の名前を呼んだきり、絶句した。
俺は泣きそうな声で小さく笑って、頼んだ。
「おねがい、……開けて?」
声を失ったままの涼哉。
カサリとも言わない、無言のインターホン越しに、動揺が伝わってくる。
しかし。
ウィーン
静かに開いた共用エントランスのドアに、唇が緩んだ。
「部屋、行く」
一言だけ宣言して、俺はエントランスを潜り抜けた。
玄関扉の横のインターホンを再度鳴らせば、かちゃり、と開く。
困惑の表情を隠しもせぬ涼哉が、馬鹿みたいな顔で突っ立っていた。
「……俺、この前にここに来たの、いつだっけ」
「へ?水曜、だろ?」
ポツリと呟けば、涼哉は戸惑ったまま首を傾げ、答える。
当然のように、最後に肌を合わせた夜のことを口にする涼哉に、俺は泣き笑いのような顔で呟いた。
「そ、っか……」
ずるずると座り込む俺に慌てて、涼哉は俺の前に両膝をついた。
「ちょ、ソファ座れよ。お前、去年の大会で膝、痛めただろ?変な体勢取るなよ」
自分でも忘れているようなことを言われて、「ははっ」と笑いが溢れる。
「……そういえば、そうだったな。膝に負担かかるような体勢、取らされたことも、ほとんどなかったな。なぁんで、気づかんかったんだろ」
思い込みって、こわいなぁ。
全身から力が抜けていくことを感じ、へらりと馬鹿みたいな笑いを浮かべた。
「だから何を言ってんだよ、お前は!」
俺の呟きが理解できずに困り切った顔をしながら、なんとか俺を抱えて運ぼうとしている涼哉に身をゆだね、俺は天を仰いだ。
ソファに座らされ、とりあえず、と渡された水の入ったコップ。
水を一口含んで、カラカラの喉を落ち着かせた後、俺は口火を切った。
「涼哉、おれのこと、わかってたんだ?」
「は?」
唐突すぎる俺の質問の意味を理解できず、瞬きを繰り返す涼哉に苦笑して、俺は質問を変えた。
「なぁ。俺のこと、どう思ってた?」
「どう、って」
く、っと言葉に詰まった涼哉は、一度唇を噛みしめてから、完全降伏を宣言するかのような悲壮さで、必死に口を動かした。
「す、きだよ」
アルコールだけのせいとは思えないほど、今にも溢れそうな瞳の漣。
「酒、飲んでなくても?」
「っ、これは、」
畳みかけるような問いかけに、戸惑って泣きそうに顔を歪めた涼哉に、意地が悪かったと反省した。
「ふふ、分かってる。いまは、酔ってないもんな。……ごめん」
「酔ってるけど、酔ってない……だから、信じて」
「…………うん」
切実な声に、じわりと胸が温かくなる。
脱力感と幸福感に泣きだしそうになりながら、俺はぽつりと、まるで独り言のように告白した。
「おれ、な。……お前は、俺だって分らないで、俺のこと抱いてるんだって、思ってた」
「………………は?」
時が止まったかのような、空白の時間。
「ば、っかやろぅ!!お、俺が」
俺の言葉に一瞬呆けた顔をした涼哉は、パクパクと口を開閉させた後で、真っ赤な顔で捲し立てた。
「俺が、お前を、分からないわけないだろ!!」
がしっと俺の肩を掴み、真ん丸になった目でまっすぐに見つめて、涼哉は必死の様子で言葉を続ける。まるで恋人に取りすがって言い訳をしている情けない男みたいで、こんな時なのに少し可笑しかった。
「最初っから、分かってるに決まってる!最初の夜、無茶したし、身体大丈夫だったかな、とか思って慌てて研究室に行ったのに……あんまりにもいつも通りだから、俺、『もしかして夢だったのか!?』とか、色々、めっちゃくちゃ考えたのに!お前は飲み会終わると俺のこと送ってくれるし、抱きしめても拒否らないし、好きって言うし、抱かれてくれるし、なんかもう、混乱して。
愛してるって、俺は必死の思いで言ったのに、お前、……なんか冷めた目で笑うし」
気づかれていたのか、と思いながらも、くしゃくしゃと髪を掻きまわしながら言い募る涼哉の必死さが、なんだか子供のようで、胸がきゅんとなった。
「俺が誰かの代わりで、ほんとうに抱かれたい男は別にいるのかな、とか、めっちゃ、本当にすごい、悩んだのに」
「なんだよ、それ……馬鹿らし。俺の苦悩はなんだったんだ……」
だんだんと力がなくなっていく言葉と、どこか自分の発想に似通った馬鹿馬鹿しすぎる思い込み。
俺は力の抜けた苦笑を返すしかなかった。
けれど、俺の言葉に少しムッとしたような顔で、涼哉は膨れる。
「それは俺の台詞だよ。いっつもいっつも、朝になるといなくなるから、ていのいいセフレにでもされてるのかとか、……色々、俺なりに悩んでたんだぞ!」
「なんでオトコをセフレにするんだよ。俺はお前と違ってそんな趣味ないっつーの。ったく、純真無垢な少年を弄びやがって」
「え。……ってか、弄び、って……?」
ぎくりとした顔をした涼哉に、俺も口が滑ったことを自覚し、しれっと肩をすくめた。
「最初の夜のお前の手慣れ方は異常だったぜ?経験豊富で何よりだよ。……一体どんだけの男と女を喰ってきたんだよ」
下から、上目遣いで睨みつけると、涼哉は蒼白になって「いや、あの」「だって」「まさかお前が」と支離滅裂な言い訳を口走る。
「ふんっ、知らねぇよ!」
半眼になり、機嫌を損ねたふりをして、俺は涼哉を慌てさせて話を逸らすことに成功した。
ほっと密かに息をつく。
だって、一生言うつもりはないから。
俺が、俺へのお前の欲情の犠牲となった少年を、良いように利用していただなんて。
純朴な少年の恋心を、俺の愛の成就のために、欲望のままに使い潰したのだ、なんて。
そんなこと、わざわざ言う必要はないだろう。
「なぁ、りょーや」
「ん?っわ」
至近距離の涼哉に呼びかけて、ひょいと首を抱き寄せた。
「あいしてるって、ちゃんと言って?」
「っ、え」
「おれも、言うから」
ぐっと、言葉に詰まった涼哉に、くすくすと笑いながら、俺は要求をもう一つ加えた。
「名前も、呼んで。応えるから。そんで、俺も呼ぶから」
一個一個、区切るように告げて、耳の中に祈るように囁きを流しこむ。
これまでの分を取り戻すように、存分の甘えと恋情を込めて。
「おねがい。ちゃんと、酔ってないときに」
くすりと笑えば、情けない呻き声の後に小声の了承と。
そして。
「ゆずる、…………あいしてる。おれのものになって?」
覚悟を決めたような目と、穏やかで、けれど強い言葉。
真っ直ぐに与えられた、待ち望んだ愛に、俺は歓喜し、そして蕩けた。
「ん、いいよ。おれもあいしてる。だから、……涼哉も、俺だけのものになれよ?」
満面の笑みで頷く涼哉に、俺は二度とこの男を手放してなどやらないと、誓ったのだった。




