どこかおかしな夜
どこか涼哉が、おかしかった。
どれだけ酒を煽っても、酔うことのできないような顔で、ひたすらにアルコールを食道に流し込む。
ただ喉を焼き、眼球を焼き、思考を焼き切らせるためだけかのように。
誰の声にも耳を貸さず、度数の高い酒ばかりを飲み下す涼哉には、当然、止めようとする俺の言葉も届きはしなかった。
「っくぅ、くっそぉ」
「もー、ほらみろ」
「っ、ぅ……」
最終的には意識をなくすように突っ伏した涼哉が俺の体へ倒れてきた。
そのことに俺は、仄暗い優越感と満足感を抱き、薄く微笑む。
「あー、涼哉、沈んだか?」
「えぇ、そうみたいっすね」
片眉を上げて俺たちのテーブルを覗き込んでくる他大学の院生に軽く肩を竦める。
「ははっ、涼哉は相変わらずだなぁ。久々の合同飲みだってのに、譲の隣から離れやしねぇ」
「派手なわりにヘタレのコミュ障なんすよ。許してやってください」
豪快に笑う男に肩をすくめて苦笑を返し、辞去の意を伝えながら軽く頭をさげると、男は構わず帰れと鷹揚に頷いた。
そして、力尽きたように眠る涼哉の腕の先を目で追って、男は思い切り吹き出した
「……ははっ、おいおい、涼哉ちゃんはオコサマかぁ?」
「へ?」
首を傾げた俺に、愉快そうな顔の男が、太い指で俺たちを指す。
「だって、こいつ、譲の服掴んで、ガキみてぇじゃん」
「え、ああ。そうですねぇ。癖みたいっすね」
酔った時の癖なのか、涼哉はよく眠りに落ちる時に俺のジャケットの裾を掴む。
最近は、この秘密の関係を持つまでほとんど見なかったが、酒の飲み方を知らなかったもっと若い頃はたまに見ていた気がする。
なんとなく保護者か所有者にでもなった気がして気分が良い。
けれど、きっと飲み会の場で譲が涼哉の側を離れなくなるより以前は、他の男がされていたのだろうと思うと堪らなく不愉快になるので、考えないようにしていた。
「ははっ、このお子ちゃまが潰れちゃったんで、帰りますね」
クールな外面を考えれば、大層意外で可愛らしい涼哉の子どもっぽい仕草に、呆れて笑う周囲へ軽い断りを入れる。
にっこりと微笑みを貼り付けた俺は、涼哉に肩を貸すようにして、筋肉質な体を担いだ。
「それじゃ、お先に失礼します」
「おぉ、気をつけてな」
そして、タクシーへ酔った体を押し込み、行き先を告げた。
いつものように、涼哉の自宅へと。
いつものような、夜が更けるのだと信じて。
けれど。
なにか、おかしい。
そう気づいたのは、暗い玄関に入ってすぐだった。
いつものように聞き苦しい悲鳴が響き渡る寝室は、いつもとは少し違った気配が漂っている。
普段より更に酒量の多い涼哉は何故か悲痛な面持ちで、抱いている相手の顔を視界に入れたくないのか背後から俺を抱く。そのくせ普段よりよほど強い力で抱きしめてきた。
何かを、忘れたいかのように。
何かから、必死に目を逸らしたいとでも言うように。
涼哉が目を逸らしたいものは、何なのだろう。
そう思考しようとすれば、意識が逸れたことを詰るかのように乱暴に嬲られた。
「くくっ、ははっ」
「なに、笑ってんだよ」
意味がわからなさすぎて、思わず漏れた笑い声は、感情の読めない唸り声に押しつぶされる。
声も出ない激しさで貪られ、ただ醜く唸れば、ほとんど声を発することのない涼哉が荒い呼吸の中にわずかに満足げな吐息を漏らした。
いっそ憎まれているのかと思うほど、苦痛に近い快楽に叩き落とされ、意識を飛ばしてしまいそうだった。
けれど涼哉の酔いが醒める前に、この夜から逃げ出さなければならないという義務感に似た恐怖が、気づかれたくないという強迫観念に似た願望が、必死に俺の意識を繋ぎとめていた。
「俺を、拒まないで、くれ……っ」
「……え?」
途切れそうな意識の合間に、なぜか泣きそうな声で詰られ、一瞬だけ時間が止まる。けれど、思考の間は与えられなかった。涼哉は悲しげな顔のまま、がむしゃらに俺を貪っている。
こいつは、何の話をしているんだろうか。
俺が涼哉を拒んだことなんて、これまで一度だってありはしないのに。
涼哉は、誰に拒まれたくないのだろうか。
それとも、誰かから拒まれたのだろうか。
涼哉を拒む、だなんて、そんな贅沢な、うらやましいこと。
「そんなこと、しねぇよ?」
息も絶え絶えに告げれば、少しだけ涼哉の張り詰めた空気が和らぐ。けれど。
「……ほんとかな」
呻くような小さな暗い呟きを落として、涼哉は再び何かを振り払うようにきつく俺を抱きしめた。
一晩中情欲に溺れ続けた体はカラカラで、もう絞り出せるものは掠れた声だけだ。
みっともない細い悲鳴が、乱れたシーツに浸み込んでいった。
それから、俺がほとんど意識を手放して倒れ伏すまで、涼哉は何も口にしなかった。
俺が気を失うようにして突っ伏すと、涼哉はやっとその隣に体を横たえた。
そして、パタリと眠りに落ちる。
涼哉の寝息を確認して、そっと体を起こした。
眠る顔は悪夢にでも魘されているかのように苦悩に満ちていて、哀れを誘った。
どうか眠りの中で、涼哉が少しでも安らげますように、と願い、ふわりと眉間に唇を寄せた。
少しだけ解けた皺に唇を緩め、俺はそろりとベッドから逃げ出す。
音を立てないように服をまとい、眠る涼哉を起こさないように足音を忍ばせて扉を開ける。
そっと玄関から出て、ふぅっと、一つ長い息を吐いた。
マンションを出てタクシーを拾えば、どっと疲れが押し寄せる。
タクシーの窓から見た夜は、街のネオンの中でもぞっとするほどに暗い。
闇の中をどれだけ探しても、空に月は見えなかった。
「……なんなんだよ」
ポツリと呟いて、目を伏せる。
押し寄せる疲労と眠気に身を委ね、思考を放棄した。
この夜は、何かおかしかった。




