親友の距離
「なぁ、ゆず」
研究室で喧々諤々、非常に有意義なディスカッションを終え、満足げな顔をしていたはずの涼哉が、どこか気おくれしたような様子で、声をかけてきた。
「んー?」
疲労と眠気で欠伸交じりに振り返れば、想像以上に深刻な顔をしている涼哉に、俺は首をかしげたまま固まった。
「え、なに、どうした?」
下手な対応をしたら今にも泣き出しそうな様子の涼哉に焦って問うと、涼哉は何度か戸惑うように口を開閉させた後で、心を決めたように口を開いた。
「なぁ、俺、なんかした?」
「え?」
「……最近、ずっと一緒にいるけど、さ」
「う、ん」
痛いところを突かれて曖昧に笑めば、涼哉はますます悲しげな顔をして目を伏せた。
「だけど、なんだか、すごい、距離を感じる」
「……え、そう、か?」
ごまかすように無理やり笑みを浮かべながら、ひやりとした寒気を堪えた。
『あの夜』以来、俺は、過剰に敏感になっていた。
気づかれまいとするあまり、いつもの距離感、を意識しすぎて、見失っていた。
普段通り、親友の距離、に、固執しすぎたのかもしれない。
苦々しい思いでここ最近の自分を反省をしていると、俺の心の揺れを感づいた涼哉は傷ついたような顔をした。
どこか思いつめた目の涼哉が口を開く。
「なぁ、もしかして……この前の、打ち上げの時」
ビクリ、と、大げさなくらい体が震えた。
恐怖と絶望に目の前が暗くなる。
これで、終わるのか。
脳が溶けるような夜も。
これまでの、俺たちも。
これからの、俺たちも。
「おれ、すげぇ酔ってたし、管巻いてたし、訳わからんかったし……色々、嫌だった?」
苦し気に続ける涼哉に、俺の心臓はバクバクと音を立てた。やはり、とうとう、気づかれてしまったのだろうか。
続くだろう決別の言葉に、俺は顔を伏せて固く目を瞑った。
しかし。
「言い訳にもならないんだけどさ、あの日、いろいろあったから。酔い潰れて、お前にも当たって、好き勝手したし」
「……ん?」
思わぬ言葉に顔を上げ、きょとんと首を傾げれば、涼哉はひどくしょぼくれていた。
「俺のこと、馬鹿だなぁって思った?また妙なことしないように、自分が監視しとかなきゃなって思った?だから最近ゆずは俺に……俺の側にいてくれるの?」
「はぁ!?」
あまりにも予想外の台詞に、俺はぽかんと口を開けて固まった。
そんな俺の態度をどう思ったのか、涼哉は更に焦ったように言葉を続ける。
「めちゃくちゃ、かっこ悪かったよな……イイ歳して、あんな酔っ払って。べ、別に、全部酒のせいにするつもりもないんだけど!」
もしや、飲み会での醜態を、気にしている?
……それだけ?
唖然として、思わずまじまじと目の前で小さくなっている男を見下ろした。
自己嫌悪と反省に塗れているらしい涼哉は、ひどく情けなくて、そして、可愛らしい。
「なぁ、おれのこと、嫌いになった?」
「……んな、馬鹿な」
不安げな涼哉へ、自然と優しい声で突っ込みを入れた。
ふわり、と、こぼれるように顔へ笑みが広がった。
いっそ死んでしまいそうなほどの、幸福感がこみ上げる。
涼哉の黒目勝ちな瞳の揺らめきも、弱り切った顔も、何もかもが愛おしく、嬉しい。
涼哉がここ最近不安定で、どうにもならなそうだったのは、まさか、もしかして。
おれに、嫌われたと、思ったからだったの?
「そんなわけ、ねーよ。今更、そんなことくらい、平気だっつーの。散々女遊びの尻拭いさせておいて、今更」
「……返す言葉もない。ごめん」
いっそう落ち込んだ様子の涼哉に、俺はカラカラと明るく笑った。
「あはは。……ってかな、俺がお前を嫌いになることなんて、絶対ありえねぇよ。心配するな」
蕩けそうな顔で微笑めば、涼哉は安堵を顔を浮かべ、無邪気な喜びを表した。
「本当か?よかったぁ!……ずっと、譲、変だったし。わざとらしいような、冷たい感じしてたし。なんか、嫌だったんかなぁと、思ってた。…………よかった」
さらりと鋭い涼哉に冷やりとしながら、俺は自然極まりない笑みを浮かべた。
「ふふ、馬鹿だなぁ」
「ほんと、おれ、馬鹿だったなぁ」
涼哉も嬉しそうに、にっこりと笑って無邪気な瞳をくしゃりと細める。
そして、無意識のように、薄く唇を開いた。
これで、酒に溺れなくても、大丈夫かも
「……え」
ぽつりと呟いた涼哉に、俺の背筋が凍る。
なんて、馬鹿だったんだろう。
気づかなかった。
気づいてしまった。
涼哉が、理性も思考も視力も濁らせ、正体をなくすほど酔わなければ、俺との夜はありえないということを。
普通の飲み方では駄目なのだ。
他の男に手を出す時のような、軽い「潰れ方」じゃあ、駄目だ。
だって。
涼哉はの目の前の人間が、誰よりも見慣れているはず「橘川譲」であることが、分からなくなるほど。
酔わなくてはいけないのだから。




