5
──そこには、目の前の男がいた。大きな道路の真ん中で俯せに倒れていて、まわりをたくさんの人々が囲んでいる。体の下の地面には大きな血溜まりが広がり、手足はおかしな方向に曲がっている。ところどころ破れた服の下からは、肉や脂肪、筋肉繊維、骨までのぞいている箇所もあり、明らかに生きてはいないと見て取れる。道路にはたくさんの車が行き詰まっている。そのうち一台のワゴン車が、闇の中で赤い光を回転させながら倒れている男の近くに停まった。車から降りてきた白衣に身を包んだ数人の男たちは、その惨憺たる様子を見ると顔を見合わせてかぶりを振り、ただ肉の塊と化したものを担架に乗せて車を発進させた──。
……気が付くと、私は涙を流していた。そんな私を見て、目の前の男は微笑みを浮かべている。私が泣いたのは、この男が私の考えるところの〝ありきたりな人生〟すら成し得なかったことに、深い悲しみを覚えたからだ。それなのにこの男は、なんという安らかな笑みで私を見るのだろう。男は合わせていた手を下ろし、横にある扉を指さして頷いた。
なぜ私が選ばれたのかはわからない。しかしこの男の穏やかな顔を見ていると、私が男の生まれ変わりになろうという気持ちになる。男にひとつ頷きを返し、扉のある方へ体を向けた。
ゆっくりと歩き出し、扉の前まで来たところで驚いて歩みを止めた。暗い扉の中に、またさっきの男がいたのだ。私は振り返った。少し離れた所に男はいた。では、私の前にいるのは一体……? こちらの男も、鏡のように対称の動きをする。だが、なにか変だ。私と男の間に、動くたび光がちらつく。私は思いきって男に触れた──が、男はいなかった。触れたのは本物の鏡だった。すると、あの男は……! そう思って再び振り返ると、男の姿はなかった。
あれは私だった。ならば、先ほど見た光景の中の男も──血の海の中、ぼろ雑巾のように惨めったらしく死んでいたのも私なのか?
ようやくすべてがわかった。──私は死んでいたのだ。
私に用意された〝ありきたりな人生〟。それは、不運な死を遂げた私に対する神からの恩情か? それとも地獄が満員で、閻魔から門前払いを喰ったのか? なんにせよ、あんな姿で死んだことを知った今は、人生をやり直すチャンスが与えられたことに感謝せずにはいられない。そこには〝私が〟成し得なかった、人並みの幸せが約束されている。
思いきり拳を叩きつけて鏡を砕き、私は塔の中に消えた。




