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扉は押しても引いても開かなかった。どれほど力を込めても、思いきり助走をつけて体当たりしても、私を受け入れてはくれなかった。まさかと思い横にスライドさせてみようともしたが、扉の中央から二本の曲線が左右対称に地面を薄く擦っているのを見て、試すのをやめた。鍵穴でもないかと思って把手とそのまわりをよく見てみたが、そこにはただ剥き出しの、つるんとした質感の鉄の把手が飛び出しているだけだった。
再び塔から二、三歩距離を置いて腕を組み、仁王立ちして扉を見据え考える。──今のところヒントになりそうなものは、この文字だけだ。だがこの文字を読み解く術がない。それを得るために、まず塔の周辺を探ってみることにする。
扉のすぐ左の壁に右手を付いて、時計回りにゆっくりと歩き出した。一歩踏み出すと、その位置の地面と壁にくまなく目を凝らす。ときどき手に蔦が引っかかり、少しびくっとさせられる。怯えて驚いたというより、探し物を見つけ出した時のような感覚と似たものだ。そのたび壁に這う蔦を見てがっかりするが、何度か繰り返していると『何かが見つかりそうだ』という根拠のない期待感でワクワクしてくる。
今や扉の文字のことなどほとんど忘れて、見つかるあてのない何かを探すことに夢中になっている。歩きながら、常に『この中には何があるんだろう』と時折コツコツと壁を叩いてみたりして、まだ見ぬ塔の内部に対する好奇心で胸を躍らせていた。
塔の外周は、かなりの距離があった。一歩一歩慎重に歩いていたせいもあるだろうが、一周するのにだいぶ長い時間かかり、息も上がっている。──時間の概念を失わさせるこの場所では、〝だいぶ長い時間〟という曖昧な言葉すら当てはまらない気もするが。それというのも、長時間歩いた感覚はあるのに、あたりの景色には何の変化もないからだ。明るくも暗くもならず、霧が晴れるでもない。
結局何も見つからないまま、また扉の前にたどり着いた。見落とした箇所があったのかもしれないと思ってもう一度歩き出そうとしたが、ある考えのもとにそれをやめた。壁に角はなく、ごく緩やかなカーブがずっと続いていたので、この塔は円で、ここに着いた時は『元の場所に戻ってきた』と当然のごとく思い込んだ。しかし上がった息が落ち着いてくると、こんなふうに考えた。
──もしかしたらこの扉は、初めに見た扉ではないかもしれない。
見通しの悪いなか、ただ壁伝いに歩いてきただけだ。どうして塔が円だと決めつけることができようか。しかし、今の段階では推測の域を出ることはない。今目の前にある扉にも読めない文字がびっしりと並んでいて、それらが初めに見た扉のものと違うかどうかを確かめることができないからだ。むろん、読めもしない文字を憶えているはずはない。
もう一度右手を壁に付けて歩き出すか、今度は左手を壁に付けて来た道を戻るか……。どちらにせよ、扉までたどり着いても違いが確認できなければ意味がない。
何か目印になるものを付けておけばいい、と思った。私は着ていた白いシャツ──こんなものを着ていたことも、今しがた気付いたばかりだった──の裾を少し破って、扉の把手にきつく結んだ。
さて、と考える。どちらに進もうか。この塔を円だと信じたままでいたら、今までと同じ方向へ歩いていただろう。先ほどの考えで行動するならば、ここは戻る方が賢明ではないだろうか。このまま進んで布切れの付いていない扉を見つけたとしても、それが最初に見た扉とは言い切れない。三番目の扉かもしれない。
まず〝扉は一つだけ〟という事実を作り上げた方がいいだろう。戻った先の扉に布切れが付いていたら、〝塔が円である〟というもう一つの事実もできあがるわけだ。そうなることを願いつつ、私は壁に左手を添えて来た道を戻りはじめた。もう一度、念入りに壁や地面に目を凝らすことも、もちろん怠らなかった。