008 鳥かごの外で③
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――先進試験都市〝アヴニール〟
化学石膏〝コンクリート〟を主材として造られた灰色一色の都会。
唯一の差し色は中心に聳える巨大電波塔の赤のみで、街並みを構成する店々には飾り気すら無い。
車の走る大通りは街灯すら無く、ひどく殺風景な景色は、白いレンガで作ったドミノのようであった。
だが、それには無論理由がある。
それは、新技術が発明される度に意欲的に取り入れるため、商店の場所や立地すら変わるからだ。
五年もあれば、ありとあらゆる配置が変わるほど街の胎動は目まぐるしい。ゆえに装飾は最低限となる。
だがその最低限でも、どこにどの店があるか分かるほど、文字通り輝いた個性をその装飾達は持っていた。
「これがアヴニールの夜景……。さすがは〝眠らない街〟、まるで昼間みたい……!」
駅から一歩出て、アリアはすぐに息を呑んだ。
日が傾き、街を包む闇の中で、数多のネオン灯は色とりどりの輝きを放っていた。街行く人の顔が分かるほど明るく、路地裏にすら影の逃げ場はない。
酒瓶のモチーフに重なるBarの文字や、立体に作ったリンゴに黄色いFreshJuiceの文字が巻き付けられたものと、数歩進む度に様々なネオン看板が目に飛び込んでくる。
「……すごい。……やっぱり電気って偉大ね」
「アリアちゃん、ベルスーズ市街って電気通ってないの?」
純真無垢に、セシリアはアリアに問い掛けた。
「そうなんですよ。電池は届くんですけど電線が無くって、場所によってはガス灯も置けないから夜になるとすごく暗いんですよ。ホント羨ましい……」
「そっちって、まだそんなに不便なんだぁ……。ここに慣れたら帰れないね」
「――おいセシリア、その子の処遇はまだ決まってねぇだろ? あんま話しかけんな、ボロが出る」
グラウルの指摘にセシリアは露骨に頬を膨らませた。
「えー、ちょっとぐらい良いでしょ〜? ガールズトークって邪魔するものじゃないでしょ?」
「……背景のせいかおっさんクセェな。あぁ、ノーマンのやつがいなくてよかったぜ、悪ノリが加速しなくてすんだ。てかトロワ、これは本来はお前が止めるべきじゃないのか?」
「……そうですね」
「……ちょい、トロワ」
虚ろなトロワにグラウルは手招きした。そして近づいた彼の額を、
――ペチン!
「――ッ! 痛っ!」
中指で弾いた。
「いい加減切り替えろ! お前が局長に報告するんだからもうちょいシャンとしろ、シャンと!」
だが、トロワは俯いたままだった。
「……そうですね。しっかりしないと、ですね……」
グラウルはまた、大きくため息を吐いていた。
裏路地を抜け、地下道を行く。そのとある壁に小さな鍵穴があった。アリア達が周囲を見渡すと季節外れのヤモリが近寄り、本来の姿を現した。銀色の小さな鍵。細長い板に無数の穴があいているという複雑な作りのそれを差し込み、隠し扉を抜けしばらく階段を下ると、異常に開けた空間へとたどり着く。
大雨が降った際に一時的に水を溜めておく排水施設の一部だ。
さらに奥へと進むと、ある一角に扉があった。
それを開けると、扉の先の壁に埋め込まれたスピーカーから女性の声が聞こえてきた。
『――奪還者のグラウル・ロウ、セシリア・プリュム、トロワ・レイヴン。帰投を確認しました。局長がお呼びです。至急、局長室までお越し下さい』
「あの、今のは?」
「ちゃんと帰って来れた、っていうアナウンスと指示だ。だが、やっぱりこうなったか……。トロワ、腹くくっとけよ?」
「……はい」
そうしてアリア達は局長室という場所へと辿り着いた。
グラウルが飴色の木製のドアノックすると、中から落ち着いた男の声が聞こえてきた。
「――入りなさい」
「奪還者のグラウル・ロウ、並びに三名、失礼します」
そこには白衣を着た男が、机越しに座っていた。
黒の短髪に円縁の眼鏡。ほっそりとした容姿と服装から研究者らしさが滲み出ていた。
「ある程度の話は現地の改変者達から聞いているよ。カバーストーリーの作成と流布になんとか成功したそうだ。よかったね。で――」
彼は眼鏡を人差し指で直し、続ける。
「何か申し開きはあるかね、トロワ?」
「……あ、いえ、その」
グラウルはトロワを肘で小突き、耳打ちをした。
「大丈夫だ、正直に話せ……!」
トロワは頷いた。
「――任務中、電波障害を受けました! 恐らく奴らがいたのかと思われます。周辺警戒のために、エンブリオ探知能力のある対エンブリオ武器、〝ゴレム〟獣型を使用し、逃走を視野に入れていたため対処が遅れました。さらに、僕が討伐したエンブリオの中からこれが」
「それは?」
彼は指輪を取り出し説明する。
「この人、アリアさんのお母さんの指輪です。さらに、エンブリオにされたのはアリアさんのお父さんで、オリジナルは生きていました。それで、任務とは対象外のエンブリオを討伐、二人を救出後、目撃であるアリアさんの記憶を消そうとしましたが消えなかった、それが事の顛末です。申し訳ありません」
局長はメガネを外し、目頭をつまんだ。
「……確かに情報と一致するし、対処としては間違っていない。ご苦労さま。だが、まだ少々迂闊だ。エンブリオに取り込まれてしまったら、こちらの情報が相手に漏れる。慎重に実直に行動しなさい」
「……分かりました」
「うん。さて、ここからが本題だ」
彼は眼鏡の奥の細めた目で、アリアを見た。
「確かアリアさん、だったか? 君の今後についてだ」
突如緊張感を孕んだ空気に、アリアは唾を飲んだ。
「記憶改変を専門としないトロワが処理を行ったためなのかは分からないが、君の記憶は消えなかったのだろう? 抹消者と改変者の手にかかれば結果は変わるかもしれないが、これもイレギュラーだ。そうなるとは限らない。ならば、君の進む道は二つに一つ。我々と共に戦うか、それとも我々の監視のもとで生活するか、だ」
想定していない後者の案に、アリアの呼吸は速くなった。
「君が知ったのは機密事項だ。他市民に広まれば確実にパニックを引き起こし国の、いや世界の秩序崩壊につながる可能性がある。すれ違った人物が殺人鬼であり、そもそも人ではないかもしれないのだからね。では聞くが、君に覚悟と力はあるのかね? 誰かの死に直面するかもしれないという現実に対する覚悟が、その不条理に対抗する力が?」
「……ッ」
いざ立ち向かうべきものを言葉にされると、アリアは何も言い返せなかった。
本当にここに来て良かったのだろうか? 一時の気の迷いではなかっただろうか?
――死ぬかもしれない。
そんなこと分かっていたが、どうしても覚悟が揺らいた。
――怖い。
自分が死ぬかもしれないというのもそうだが、トロワの『残された人』という言葉が脳内で反響して止まらなかった。
いつの間にかアリアは俯き目を泳がせていた。
喉が渇く。ベルスーズ市街の丘で死にかけたという恐怖と、先ほどの思考が堂々巡りに脳内を駆け回っていた。
だがそれを、
「――ありますよ」
トロワが断ち切った。
「――え?」
「アリアさんは僕を助けてくれたんです。離れた小さい的を射抜く技術も、臆さず誰かを救う勇気もある。それは僕が保証します!」
「……余罪の追及は後にするとして、それは本当かね?」
「はい!」
そう返すと、トロワはアリアに目配せした。
そうだ、ここに来たのは――
「……やれます。私やれます! お母さんが見つかるかもしれない、だから来たんです! やらせて下さい!」
放った彼女の言葉に、迷いはなかった。
間違えたかどうかは後で考えればいい。今はただ可能性を掴むため突き進むだけだ。
アリアは胸を張り、前を見据えた。
「――よろしい。では、ここにいる全員に任務を言い渡す。日時は明日、朝十時。現場はアヴニール二番街。ノーマンを追加した五人で、市民に擬態したエンブリオを討伐すること。比較的簡単な任務だ。これを秘密組織〝ネクサス〟アヴニール支部への入団、及び奪還者編入の試験とする」
局長は椅子から腰を上げ、アリアの前に立った。
「私の名はライン・ゼノ・レイヴン。以降は局長、またはレイヴン局長と呼んでもらおう。一応、君のフルネームを聞いておこうか」
「アリア・アルテュセールです」
「……アリア・アルテュセール、期待しているぞ。話は以上だ! 明日に備えて解散!」
アリア達は局長室を後にした。
局長は一人、再び椅子に腰を下ろした。そして、机から一枚の写真を取り出し、呟く。
「カルナ先輩、あなたの子供が探しに来てくれましたよ……」
目を伏せ、一つ息を吐いた。
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