014 足踏み①
「――私たちの扱う錬金術は血液を媒介としている」
真っ白な医務室の中。白衣を着た褐色肌に紫ボブヘアーの女医は、椅子に座りアリアとトロワに背を向けて語った。
紙の上を走る万年筆の音が、静かに響き渡る。
「ただ、普通の血じゃない。造血器官を変異させ作った特殊な赤血球、意思伝達物質〝エリクシル〟がそれを可能といているの。記憶や感情、身体を動かそうっていう生体電流を体外に伝達し、金属に特殊な反応を起こす事ができる。それがアンタの見た、手品や魔法じみたトンデモ錬金術の正体……」
椅子を反転させ、女医はバインダーに止めた紙をアリアに差し出した。
「ということで、これ念書ね。たった一回の投薬とはいえ、後戻りできない身体改造。やるか、やらないかは個人の意志を尊重することになってるからね。てかトロワ君、局長さんからの許可は取ったの? 本来このカウンセリングは明日の予定だったはずだけど?」
「……懲罰室に入る覚悟はできてますよ。それに、錬金術が使えるようになるのは一日でも早いほうがいいですから」
真っ直ぐ見つめるトロワに、女医は目を閉じ米噛みを押さえた。
「何? ひどくお熱ね……。まぁ、分かったわ。もし聞かれても、『許可は得た』って言ってたことにするから。知らないわよ……?」
「ありがとうございます……」
神妙な面持ちでトロワは頭を下げた。
その姿に、アリアの胸中は感謝と困惑が複雑に絡み合っていた。
――なぜ、こんなにも親切にしてくれるんだろう?
相変わらずアリアは、トロワが何を考えているのか分からなかった。
呆気にとられたアリアに、女医は膝の上に頬杖をついた。
「どうするの? やるの? やらないの?」
「あ……。や、やりますよ! そのために、連れてきてもらったんですから!」
サインの欄に自分の名前を殴り書き、念書を返す。
「はい、たしかに。じゃあ、アリア……アルテュセールさんね、そこのベッドに座って」
促されるまま、アリアはシーツのベッドに座った。
だが、その傍らにあった見知らぬ機械に眉をひそめた。頭三つ分ほどの銀色の箱に、無数のボタンとメーター、前面と側面からチューブが生えているという奇妙な物だ。
「……この機械って?」
「あぁ、それね。それは透析機。本来は腎不全患者のために使用されるんだけど、ここではこの薬の代わり」
女医はアリアに銀色の錠剤と、水の入った紙コップを渡した。
「六年前はまだ直接大量の薬品を投与しなくてはならなかっただからね。さらに一週間に二回、一ヶ月続けて一ヶ月の訓練、最低でも計二ヶ月ないと戦えるレベルにならなかったからね」
「二ヶ月!? そ、そんなにかかるの……?」
「最後まで聞いて。今はたった一錠、効果が現れるのは三日後、訓練に半月。三週間もあれば戦えるようになるわ。まぁ、旧式の一回で戦えるレベルになった人もいるんだけど」
白衣のポケットに手を突っ込み、女医は一つ息を吐き、チラリと後ろを向いた。
「さぁ、分かったらグイッといきなさい。グイッと!」
「あ、はい……」
錠剤を含み、コップを一気にあおった。空になったコップの置き場に困り、それを見つめるアリアに女医は右手を差し出した。
「ありがとうございます」
「いいのよ。あ、そういえば言い忘れたんだけど、その薬には副作用を誤魔化すための睡眠導入効果があるから」
「え? それっていつ頃に?」
その問いかけに女医は手の平を見せた。
「五? 五時間?」
そして、親指から一本ずつ折り始める。
「え? ちょっと? この展開ってまさか……」
全ての指が折られ握り拳になった刹那、アリアは異常な睡魔に襲われた。
脳裏に淡い桃色の靄がかかり、視界が真っ暗になり、そして――
「――眠ったわね。起きるのは早くて明日のお昼頃、遅くて3日後かしら? 長くなるかもしれないし、点滴の用意でもしときますか。ところでトロワ君?」
「なんです?」
「ちょっとグラウルとセシリアに伝言を頼みたいんだけど、いい?」
そう言う女医だが、もう手には二枚の紙を持っていた。彼女はトロワが大抵の頼みを断らないことを知っているからだ。
「定期検診と融合型のデータ採取が近いから、ここに書かれてる日に来るようにって伝えといてね」
「えぇ、分かりました。伝えておきます。」
そう言って、トロワはアリアを置いて医務室をあとにするのだった。
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