二−44 マルマンド5
お気に入りの回廊の中庭は、つい先日出来上がったばかりの居住塔と川沿いの外塀とに囲まれ、建設現場の騒がしさから離れ、考え事に集中できる最適な場所となっている。
リュートを抱え、回廊に等間隔に設えられた数本の大きな柱の縁、その真ん中の一つに中庭を望む形で腰をかけると、風に揺れる草花を眺めながらため息を付く。
リシャールらしく、荘厳でいて誰も経験したことのないような音楽。
なんとなくイメージは湧く。
しかしそれを形にするには、立ちはだかる大きな問題を解決しなければならなかった。
「どうだ。ジャン。進んでるか?」
陰鬱な気分で考え込んでいると、軽快で心地よい声が頭のモヤををサッと吹き飛ばす。
眼の前のダニエルは太陽を背にして、まるで後光が指しているかのように輝いていた。
「神様! ダニエル様! 助けて!! おれ、無理かも!! 」
思わず拝みながら叫ぶおれに、ダニエルは大笑いした。
先程のローワン達には見せられない情けない姿だと自分でも笑えてくる。
「おいおい。何いってんだよ。大丈夫だって。お前ならできる。」
「だって!! おれ!! 楽譜かけない!! 」
こんな場面絶対見せられないけど、事実なのでしょうがない。
ここは大袈裟に頼んでみよう。
ダニエルは少々強引に言ったほうがいい。
クセは強いのがたまにキズな、チョロい美青年なのだ。
「・・・お前、それはちょっと・・・」
チョロい美青年は流石に戸惑った表情をした。
「どうしよぅぅぅ。」
「・・・期限はいつまでなんだよ。」
「後・・・10日までに作って、みんなで覚えてもらうんだけど、そもそも楽譜いる? みんな見てないじゃん? 」
ダニエルがきれいな髪をサラリと手で払いながら、中庭に入って来る。
光で金色の髪がキラキラと流れて、ここに女性がいたら悲鳴を上げていたところだろう。
そんな所作を自然にしながら今度は踊りのような動きで思案するように手で自分の顎をひと撫ですると「ふむ」と唸ると珍しく真面目な顔を向けてきた。
「まぁ、一般的な演奏ならそれでいい。でも、お前宮廷音楽舐めんな。そんな即席のものばっかりやってたら、お前がいない時はどうするんだよ。宮廷には宮廷の雰囲気ってもんがある。それは宮廷音楽家の個性と言ってもいい。他の連中はそれを旗印に演奏するんだ。演者は基本自分のスタイルを持っているが、それをうまくまとめるためにそこそこのスコアがないと無理だ。それに主がいないときでも、ゲストをもてなさねばならぬ時があるだろう。で、いざ宴を催したときにそれなりじゃないと、恥をかくのはリシャールだ。・・・書き方覚えろ。」
「えぇぇぇ。 後10日でなんて無理だよぉぉぉ。」
チョロダニエル!!お助けを!!
そう、心で唱えながら、眼の前に立つダニエルにすがりつく。
「しょうがない。こういうのは初回が大事だからな。今回は、オレが書いてやるよ。全く。とことん甘ったれだな」
「ダニエるぅぅぅありがとう!!」
「今回だけだぞ。」
「師匠!! ついでにスコアの書き方も暇な時に教えてくれよ。」
「師匠にタメ口かよ。しかもなんで『教わってやるよ』みたいなスタンスなんだよ。」
「だって、なんかダニエルってこう、気軽で、堅苦しさないし、ほら、エレノア様の所の宮廷音楽師のベルナルド様なんて、すっげぇ威厳あるじゃん? 」
「あんなハゲ親父とオレを一緒にするな。ってかさぁ、お前。始めた会ったときオレに憧れてるって言ってたけどホントなのかよ。全然尊敬の眼差しとかないじゃん。 ・・・まぁいいか。よし。始めるぞ。コレに関しては、オレはスパルタだからな。あ。何なら恋愛に関してもスパルダだぜ? 」
「知ってるって。・・・でもさ、ダニエルってチャラい感じ醸し出してるけど、すっげー真面目だよね。ほんとは。おれの前では素を出してる感とか、なんか友達って感じで嬉しい。」
「うるせぇ。音楽には真摯なだけだ。バーカ。ほら、やるぞ。」
ダニエルは口調は乱暴だが、ニコニコしている。やっぱりチョロい。
本質的には繊細で、優しい性格故に、わざと軽薄な雰囲気でやり過ごすのが彼の処世術となったのだろう。
心を開いてもらっている気がして、嬉しいというのは本心だ。
膝に抱えたままだったリュートを構えて鳴らすと、ダニエルがいつの間にか隣に座り、背中に背負っていたリュートを弾いていて、2つの音がシャラリと重なった。
2人でクスリと笑いながら、陽気なセッションが中庭からマルマンドの空へと響いていった。
太陽も沈み、いい匂いに誘われてダニエルと共に食堂に入ると、ポールとウィル、そしてその向かいでペランが食事をしていた。
「おお。宮廷音楽師様達だ。作業しながら音楽が聞こえるってのもなかなかいい体験だったぞ。いいもの作れたか?」
いつも酔っ払いのペランが陽気な声を上げる。
「オレが教えるんだ。最高のものができるに決まっているだろう?」
「フン」と鼻で笑い答えてペランの横に座るダニエルに、おれはジョッキにエールを注ぐと手渡す。
料理を取り、ダニエルの前に一皿、そして自分のものを用意してロベールとポールが場所を開けてくれるの確認してその2人の間に座る。
「ダニエル偉そうだな。」
ロベールが不思議そうに呟く。
「ああ。ジャンはオレの弟子になったからな。」
ペランがガッハッハと楽しそうに笑うとダニエルの肩に手を回す。
「お!!いいな!! オレも弟子にしてくれよ!! 色男!! そろそろ結婚してぇんだよオレもよぉ! どうすりゃいいんだ? 」
「酒飲むのやめたら出来んじゃね?」
やや食い気味のダニエルの一言に、ペランは「えぇぇぇぇ」と、肩に回した手を引っ込めるとしまったという顔をした。
「酒やめろっていうやつにはろくなやつがいねぇ。お前はだめだ。そもそもお前も結婚出来ないタイプじゃねぇか。」
「そうだな。ポールににでも聞けよ。」
ダニエルがニヤニヤとした顔でポールを顎で指す。
「あぁん? なんでいちいち地雷踏んでくんだよお前は。くそダニエル。」
「あれ? あ、地雷? なんだよ、ポールまだ結婚してないんだっけ? 」
「この野郎!! 」
ポールが、眼の前のダニエルの胸ぐらを机に乗り上がる勢いで掴見かかるのを慌てて静止する。
「まぁまぁ、2人とも喧嘩しないで。ほら、ダニエル。ご飯食べろよ。ほらほら、ポールも落ち着けよ。おれの飯つまんでもいいぞ?」
忘れていた。ポールにとってダニエルは天敵だった。
そしてダニエルはダニエルでポールで遊んでいる様子で胸ぐらを掴まれつつ『ギャハハ』と人の悪い笑い方で更にポールを煽っている。
喧嘩をする2人をどうにかなだめて、もぐもぐと食事をしていると、冷静さを取り戻したポールがおれの干し肉をつまみながら聞いてきた。
「そういえば、ジャン、お前ボルドーにいろって指示があったろ。よくロベールがここに来るの許したな。あいつ、リシャールの命令は絶対守るマンだろ? 」
「ああ、えっと、ティーダが休暇って事にしてはどうだって提案してくれたんだよ。」
眼の前のペランがうんうんと頷くと、機嫌良さげにおれの更に干し肉を追加してくれている。
こういうさりげない優しさがペランの良さなのだが、あまり女性には伝わらないのだろう。いい男なのにな。
ダニエルは、心を許している人物にはとっても優しいんですけどね。
リシャールには心を許しているというか・・・今はフリーランスなダニエルですが、ピュルテジュネ家で一緒に過ごした過程があるので、どうやっても主従関係的なものが根っこにあって。
リシャールは友達って言っているけれども、やはりポール達と同じでリシャールに服従しているのだろうと思います。




