二一39
ボルドーの執務室のテーブルには食事が並べられ、ロベールはワインを片手にむしゃむしゃと口を動かしている。
ごくんと喉をならすと、グビグビとワインを流し込む。
「はー。しかしジャンの険相ときたら焦ったよ。」
ロベールのカップにワインを注ぎながらおれは恥ずかしさに自分の耳が熱くなるのを感じながら不平を漏らした。
「だって、ウィルもディーターもなんか変な空気出してたじゃん。」
「いや、オレ達だって、簡単にしか聞いてなかったから・・・。」
ロベールの隣に座るウィルが話しながら皿の上の肉をつまむと、その手をロベールがピシャリと叩く。
「お前はこのきのこのソテー食えよ。肉はオレのだ。」
二人は幼い頃からリシャールに仕えていたらしく、年も同い年だ。
農家出身のフィルと代々王家に仕えている家柄のロベールとで家柄は格段に違うのだが、ふたりとも王家に仕えているという心構えがあるのか、リシャールに対しても軽い敬語でポールやペランとはすこし違う。
ロベールは肉体派、フィルは頭脳派とタイプは違うが、リシャールに仕えているという心構えに共通点が多いのか、二人は仲が良い。
そんな肉体派の見た目は元気そうなロベールだが、先どの話ではランスで痛めつけられたといっていた。
「体は大丈夫なの? 」
「ああ。もう全然大丈夫だよ。フィルと違って優しいな、ジャンは。」
「なんだよ、オレだって心配してたんだぞ? だからちょっとぐらい肉よこせよ。」
二人もちゃもちゃとしているのを見る限り、ロベールは元気そうで安心する。
拷問というものを見たことがないからどんなものなのかはわからないが、フィリップの印象からはそんな言葉が出てくる事は想像できなかった。
「それにしても、意外だな。フィリップ殿って話でしか聞いてないけど、そんな激しい事する印象なかったんだけどな。」
「そうだな。・・・まぁ、まだお若いからな。フィリップ殿も。それに、今回は全面的にリシャールが悪いしな。」
「そうだね。・・・でも、あれから噂が流れて来たんだけど、フィリップ殿の様態があまりよくなくって寝込んでるって話だけど。戴冠式も11月になるんだろ?」
「ああ。オレ達はすぐにランスから出たから詳しくは知らないんだよ。まあ、アンリ様のこともあるし、
此方としては戴冠式が11月になって良かったけどな。あのままリシャール様がアンリ様と顔合わせる事にならずに済んでよかったよ。」
「・・・アンリ様、戴冠式に呼ばれてたのか。」
「どんな顔して出るつもりだったのかな。11月も顔合わせるんだけどな。」
ロベールはそう言うと長椅子にどっしりと背中を預けてため息をついた。
「リシャール・・・。」
その言葉を聞いたロベールの体がピクリと反応するのが見て取れた。
「リシャールは、どうしてるの?」
なんだか聞きにくい雰囲気の中で聞いてみたが、やはりロベールの顔はわずかに曇った。
「・・・ああ。お元気にされているよ。平常心を取り戻されて、今はマルマンドの要塞造りに没頭されている。」
「ロベールもマルマンドに行ったの?」
「マルマンドの様子も見たかったし・・・リシャール様も心配だったし・・・。マルマンドについてからのリシャール様は、なんだか異常に明るいんだよな。ずっと体動かしてるし。まぁ、城壁づくりの戦力としては凄え助かってたみたいだけど・・・。」
「・・・おれ、マルマンドに行ったらだめかな。ボルドーにいてロベールの手伝いしろって指示がでてるけど。・・・リシャールに、逢いたいんだ。」
「・・・そうだよな。気持はよくわかるよ。でもな・・・リシャール様の直々の命だからな。」
主、絶対主義のロベールはやはり難しい顔をする。
「・・・なんで。・・・リシャール、おれに、逢いたくなくなったのかな・・・。」
『早く逢いてぇよ。』パンプローナの門の前で聞いたリシャールの言葉と、温かな大きな手の平が後頭部にふれる感触を思い出す。
ずっと我慢していた思いがポロポロと眼からこぼれ落ちる。
どんな顔でリシャールに逢えばいいかはわからない。
そのくらい離れて随分と時間がたった。
弱気になるには十分な時間だ。
飲み込んだ思いは涙に変わってこぼれ落ちる。
ルーを失ったリシャールの心の痛みは測れないが、だからこそ、側にいたかった。
いつだって側にいる、そう誓ったのに。
たとえ恋人になれなかったとしても、トルバドールとして必要とされる存在になって、彼の側にいられるように頑張ると。
それすらも必要とされなくなったのだろうか。
一度出てしまった涙は、止めどなく溢れ、顔を抑える手は濡れ、心は押しつぶされそうに苦しくなる。
背中にそっと手が添えられる。
見上げると温かな眼差しのディーターが微笑む。
「ジャン殿、行っておいでなさい。リシャール様にはあなたが必要なのですから。」
「・・・ディーター・・・。」
ディーターは、ハンカチをおれに持たせると、考える素振りをするように顎に手を当てる。
「そうですね。休暇という事にしたらいかがですか? しっかり役目を果たされたのですから。ねぇ、ロベール殿。」
「確かに、それなら命令違反にはならないよな。 」
ウィルが合いの手をいれるように明るい声を出すが、ロベールは「うーん」と唸り声を上げた。
「まぁ、それなら問題なくはないが・・・。大丈夫か? ジャン。リシャール様のあの様子だと、叱責されたり、そっけなくされてしまうかもしれないぞ? なにかお考えがあるのかというか、うーん、無理明るく振る舞われているというか、なんと言えばいいのかわからんが、とにかくいつもと違うんだ。お前、大丈夫か? 」
「こういう時のお前の説明は全くわからんな。ジャン。オレも一緒に行く。費用もろもろの件でもお話があるし。」
意地悪くロベールを鼻で笑うウィルの手が肩を軽く叩く。
みんなの気持ちが暖かく、そして心強く顔を上げる力をくれる。
そこに軽いノック音がして、ウィルが答えると入ってきたのはダニエルだった。
「なんだ。いないと思ったらこんな所で何の相談だい? お。ロベールじゃないか。久しぶりだな。」
「ダニエルか。お前はいつもややこしい所に来る奴だな。」
「あはは。ということは、もうジャンがマルマンドに行くこと決まったか? オレも一緒に行こうと思ってるんだよね。要塞づくりって、一度は見てみたいからさ。」
「お前、音楽以外にも興味あるんだな。」
「筋肉バカのロベールとは違うからな。知識を広げないといいものは創れねえんだよ。 」
「ふん。ダニエルの話も全くわからんな。なぁ、ウィル。」
「すまん。ロベール。ダニエルの話には一理ある。そもそも芸術というものはだな、幅広くいろいろな知見を得てこそだと、ある本に書いてあってだな・・・」
「ウィル殿。ロベール殿も帰還したばかり。お疲れの事でしょう。そのへんにして差し上げてください。」
ディーターが話を遮ると、不服そうな顔をしたウィルの拳がグリグリとロベールの頭を小突く。
それを邪険に振りほどきな小競り合いを始める二人を横目に、ダニエルは楽しそうに笑いながらディーターとおれにカップをもたせると並々とエールを注ぎ自分のカップをぶつけると、ロベールの帰還を祝う小さな宴会を始めてしまったのだった。
フィル←幼児(1話登場)
ウィル←リシャール側近(第一幕モブ、二幕ではれて登場)
ややこしいですが、こらえてください。
何ならフィルはフィリップの略だし、ウィルはウィリアムの略です。
同じ名前の人物が多すぎて困るので愛称で表記することで区別しました。
(余談ですがアンリ絡みででたフランドル伯ダルザスも本当はフランドル伯フィリップ・ダルザスだったりします。長い名前で良かったよ。もう一つ余談で、ウィルも大騎士ウィリアムもブリトン出身です。)