二ー36 クリストフ
ランス近郊の森の中。
鮮やかな緑の葉が生い茂り、木々は生き生きと空に枝と伸ばしている。
小気味よくバネを使ってその枝を飛ぶ数匹のリスが、遊ぶように走り回っていたその森で、突如訪れる不穏な気配に彼らは巣穴に逃げるように帰り、高らかに歌っていた鳥たちは声を潜めた。
先日の雨のせいで土は湿り気をおび、足音を消してゆく。
その代わり腰の剣が体に当たる音が小さな音を立てた。
カチャカチャと音を立てながら中腰の武装した男たちが囲うのは、木であつらえられた小さな小屋だ。
「クリス! 」
我慢しきれないように叫んだのは、武装した男たちから一列ほど離れた位置に立つ青年。
その声を合図に、一斉に弓や槍が小屋に向けられる。
ものものしい雰囲気の男たちに包囲された小屋の小さな窓から、金色の美しい色が見える。
それを確認した先頭に立つ屈強な男が、上げていた手を横に動かすと、包囲する武器が降ろされた。
小屋の小さな扉が開き、金色の髪を揺らしながらひょっこりと顔がのぞく。
「クリストフ! 」
再びそう叫んだのは槍を持って包囲していた男のひとり。
兜と槍をその場に投げおき、オレンジの髪を揺らして小屋に向かって走る。
「無事だったか! 」
「うん。」
「兄さんは? 」
そこに
「よう。」
そう、呼び声と共に、黒い大きな物体が投げ込まれ、兵士たちは除けながらもそれに対して何事かと構える。
投げ込まれたのは息絶えた獣。
視線を声が聞こえた方に動かすと、大きな黒い影が再び大きな物をぶんと投げ入れてくる。
狩られたばかりの獲物はビチャビチャと血を撒き散らしながらドサリと地面に落ちた。
「遅かったなぁ。お前ら。」
クリストフを抱えた男は城を出ると、街を抜けそのまま街道を馬で走り抜けた。
眼の前の森を避けるように石畳の街道は曲がり、代わって土の道が薄暗く木々の立ち込める中へと続いている。
石畳の街道の上で馬を降りた大男はごろりと荷物のように、攫ってきた彼を転がした。
「いったぁ。」
金色の髪を乱しながら転がりながら彼はその光景に似合わぬ気の抜けた声で、手のひらを見ながら不満を漏らす。
白い華奢な手にはかすり傷と赤い血がわずかに滲んでいる。
馬から降ろされた時に、手を地面に強くついたせいで手のひらが傷ついてしまったのだ。
男は無言でその手のひらを掴み、後手に縛り上げると再び彼を転がした。
クリストフは顔を地面につけた状態で、馬の荷解きをしている男を碧い瞳を睨みつけると、毅然とした態度で質問する。
「リシャール様。 私は捕虜ということですか? 」
リシャールと呼ばれた男は、ちらりとクリストフを見たが、答える気は無いのだろう再び馬に向かい、鐙や手綱を取り始めた。
「? 何を、しているのですか? 」
それに対しても返事はなく、そうしている間に馬を開放する。
「も、森に入るのですか? 」
クリストフは少し怯えた様子でリシャールを見上げるが、やはり答える気のない様子で、彼を再び肩に抱えるとのっしのっしと森へと入っていった。
まだ日差しが差し込む森の中へ、リシャールはずんずんと入っていく。
次第に暗くなり始め、肩の上でクリストフは身を固くする。
夜の森へ猟犬も連れずに入るなど通常の人間のすることではない。
クリストフは気持ちを落ち着かせるように深く息を吸うと考えに集中させた。
リシャールの豪胆な噂はよく聞いている。
よほど自信があるのだろう歩みに迷いがない。
カペー家の王領の森だが、リシャール達は頻繁にこの森に狩猟に来ているようだ。
以前会ったときも狩猟の話をしていた記憶がある。
ゆらゆらと揺れながら、嫌な記憶を蘇らせ顔をしかめた。
この男と会ったのは2年ほど前だった。
鼻につくほどの酒の匂いをさせながら絡まれ、女の様だと言われ憤慨した。
あれから背も伸び、トレーニングの成果で筋肉も付け、自分では成長したつもりでいた。
軽々と自分を担ぎ上げるこの背中の様な立派な体を目の当たりにすると、微塵も成長などしていないかのように感じ、落胆する。
拘束され、森へと入っているのだが、不思議とそこまでの恐怖心は沸かなかった。
絡まれた日の後日、少し悪びれる様子で謝罪する彼は、まるで同い年の少年のようで憎めなかった。
しかし今はその時のような軽い雰囲気がなく、話しかけても何も答えてくれない。
森はますます暗くなり、パタパタという音と共にポツリと冷たい雫がクリストフの頬に落ちた。
雨の降り出す中少し急ぎ脚になったリシャールが立ち止まったのは、突如現れた小さな小屋の前だった。
彼はガチャガチャと器用に鍵を壊すと中に入り、クリストフをゴロリと転がし、拘束を解く。
小屋の中は意外に広く、頻繁に使われている形跡がある。
奥には炉が設けられ、火を焚べればすぐにでも使えそうだった。
リシャールは椅子を引っ張り出すと窓の見える位置に運びドカリと座り、むっすっと外を眺めている。
クリストフも同じ様に椅子を引っ張り出すと、リシャールから最も離れた位置の炉の近くにちょこんと座った。
外は雨が激しく降り始め、バタバタと屋根を打ち付ける音が響いている。
沈黙を破ったのはクリストフっだった。
「あの。」
「あぁ? 」
話しかけられるのを待っていたのだろう、リシャールの返事は早かった。
「・・・説明していただけますか? これは、一体どういう事でしょうか? なぜ僕が? 」
「お前がフィリップの弱点。そう思ったからだ。」
「・・・僕はフィリップ様の弱点などではありえませんよ。ただの随従です。 もしそうだとしても、僕と引き換えに、何を要求するおつもりなのですか? 」
突然リシャールが壁に手の平を打ち付け、バンッと大きな音が部屋に響く。
クリストフはビクリと肩を揺らした。
リシャールはゆらりと椅子から立ち上がると、肩を揺らし怒気をあらわにしながらクリストフの近づいていく。
「お前らのせいで! 」
そう言うとリシャールはクリストフの胸元の服を掴み、唾がかかるほどの距離で怒鳴った。
「ルーが死んだ!! 」
クリストフはその言葉にぽかんとした顔をすると、しっかりとリシャールの顔を見て臆せず答える。
「あの、黒狼騎士と呼ばれた方がですか? 」
リシャールは掴んだ服をクリストフごと持ち上げると、そのまま横の石壁に打ち付けた。
ゴッと音を立て顔を歪ませるクリストフの足はそのまま持ち上がる。
「とぼけるな!! お前らの刺客だろッ! 」
「し、刺客?! い いったい なんの・・・、事で すか?」
リシャールは掴んだクリストフを小屋の横の壁に投げつける。
クリストフは木の壁にバキキッと打ち付けられそのままズルルッと地面に倒れた。
「お前知らねぇだけだろう? フィリップは俺を殺したい様だが? 」
そう言いながらリシャールはクリストフの顔を足で踏みつけるとグリグリと土に押し付ける。
「そ、そんな こと、 ありえま ゴホゴホ! せん! 」
クリストフが口に土を含みながら反論すると、リシャールの足が離れていった。
リシャールは再びドカリと椅子に座ると、クリストフを睨みつけた。
「なんでだよ。」
クリストフはむくりと起き上がりその場に座ると、パンパンと体についた土を払い口を拭うと、リシャールをキッとした強い目で見つめる。
「今、ピュルテジュネ家と争うなど。ありえませんから。フィリップ様があなたに刺客を出すなど、絶対にしません。」
回想長くなりそうです。
名称変更(2024.07.03.)
誤字修正、タイトル追記(2024.07.09.)




