二ー29
ウィルとの話を終え、早速ベランジェールの元にゆく。
心がざわついて仕方がなく、居ても立っても居られない。夜になろうが最速で出立したいという旨を伝えるためだ。
城内を急ぎ足で歩いていると、旅装束を身にまとったダニエルが正面に現れた。
「迎えが来たそうだな。オレも一緒に行くよ。」
「うん。ボルドーへ帰る予定だけど。それよりもダニエル・・・良いの? 」
「ああ。ボルドーは初めてだな。楽しみだよ。」
「違うよ。サンチョ様とのお別れは済んだのって事。」
「・・・ああ。ボルドーからの迎えが来たって聞いた時は一緒に居たから、まぁ・・・わかるだろう。」
「まさか! 何も言わずに旅立つ気なの? なんでっっ 」
あまりの薄情な答えに絶句する。
そんなのサンチョ様があまりにもさみしすぎる。
それなのにダニエルは何食わぬ顔で飄々としている。
「別に必要ないだろう。一介のトルバドールが城から居なくなるだけだ。王族がそんな事いちいち気にかけてたら執政なんて出来ねぇよ。」
まただ。
いつもこうして話をはぐらかす。
確かにおれたちトルバドールと王族の間には大きな隔たりがある。
そんな事はリシャールと一緒になってから痛いほど感じているし、この先だって隔たりが埋まったりしない。そんな事は解っている。
しかし、ダニエルの発する言葉にはそれだけではない何かが含まれている気がする。
もしかしたら、ダニエルが自分に言い聞かせている言葉なのかもしれない。
「身分の話じゃないだろう! お前とサンチョ様の話だろ! おれはずっと見てたから知ってるんだ。二人はそんな身分なんてとっくに越えた人間同士の付き合いをしてるじゃないか。なんでこんなときだけ、飛び越えた壁をまた二人の間に築き上げるんだよ! ダニエルのバカ! 」
「・・・バカはお前だろう・・・。良く聞けよ。お前は勘違いしている。オレ達は別に人間同士の付き合いなんてしてねぇし、壁? そんなものありえない。立ってる場所も、見えてる物も、世界すら違うんだよ。そのくらいオレ達はかけ離れてるんだ。」
「じゃぁ何なんだよ、そのオレ達っていうのは! それって心を許した相手に使う言葉じゃないのかよ! 自分の世界にサンチョ様がちゃんと存在しているって証拠じゃないか!」
ダニエルは目を見開くと、がりがりと頭を掻いて珍しく感情的な表情をする。
「ーーだから!!お前はっ!!」
「それだよ! その顔を、お前の本心を! サンチョ様の前でもやれよ!」
勢い余って胸ぐらを掴み睨みつける。すると、ダニエルの瞳の熱が、急速に冷めていくのが解った。
そしてそれはわずか一瞬。
瞳の奥の深い漆黒の闇に引き込まれそうな感覚に陥る。
瞬きをした瞬間に、それは消え失せ、困ったような取り繕う表情に変わっていた。
「ジャン? 何を騒いでいるの? 」
ダニエルのか後ろからベランジェールが荷物を抱えているのが見えた。
が、その声に反応したのはダニエルのほうが早かった。
おれの手を振り払うと、くるりと背を向けられる。
「ベランジェール様。お暇を申し上げます。私もジャンと共に出立いたします。」
「まぁ。あなたも行ってしまわれるの?」
ベランジェールは近づいて真新しい服をおれに手渡しながら、ダニエルに話しかける。
「ダニエル殿まで居なくなるとは、さみしいですわね。そうだわ。あなたにも服を贈らなくてはなりませんね。1階の詰め所で、待っていていただけるかしら。ほら、ジャン。あなたは準備をしないと。」
そう言うとベランジェールはおれの手を引き、ダニエルをその場に一人取り残す。
振り返ってその姿を見ると、ダニエルは大きなため息をついていた。
「話は聞いていたわ。お兄様を詰め所に行かせましょう!」
妙な使命感を帯びた顔をしたベランジェールだが、おれはなんだか先程のダニエルの顔が頭から離れずにいる。
「あー。うん。でも・・・。なんか・・・いいのかなぁ・・・。」
ダニエルのあの瞳を覗き込んでしまい、なんだか心にズカズカと土足で入ってしまったような後味の悪さがある。
しかし、ベランジェールの勢いは止まる事はなく、書庫でぼんやりと本を読むでもなく、眺めている様子のサンチョをダニエルの居る1階の詰め所へと追い立ることに成功すると、小さく耳打ちする。
「私達もこっそり見に行きましょう。」
「・・・えぇ?それは・・・辞めたほうが・・・。」
「なんで?・・・ほら、行きましょう!」
急ぎ足で1階の詰め所に向かうサンチョの後ろを追いかけると、扉の前で、サンチョが立ち止まる。
おれたちはそっと影に隠れるとサンチョの様子を眺めた。
サンチョの目の前の扉が内側に開き、部屋からダニエルが姿を表した。
サンチョは深呼吸すると、キリリとした顔でその名を呼ぶ。
「ダニエル・・・。」
「ああ。サンチョ殿。見ての通りだよ。オレはもう行くよ。・・・お前も元気でな。」
ダニエルはヘラヘラと、いつもの軽い感じで別れを告げている。
なんだか取り付く隙を与えない何かがある。
ダニエルはサンチョに近づくと、彼の肩をポンと叩きながら、少し大きな声を出した。
「ジャン。見えているぞ。そしてベランジェール様もいたずらが過ぎますよ。兄上をオモチャにする趣味は共感できませんな。」
ベランジェールは隠れていた場所から渋々顔を出すと、抗議をする。
「お、オモチャなど・・・。 そんな事考えてもおりませんわ。 お兄様はダニエル殿が本当に好きなんです。ね! お兄様! 」
突然のベランジェールの代理告白に、顔を真っ赤にするサンチョは戸惑いながらもコクリと頷く。
それを見て、ダニエルはため息をついた。
「あなたも優しすぎます。 妹に振り回されるも程々になさい。ベランジェール様も。戯れも度が過ぎるとよくありませんよ。」
ダニエルはそう言いながら、進路を塞ぐサンチョ肩に置いた手を今度は腰に移動させポンと叩き押し動かすと、部屋から出てくる。
「・・・戯れではない。」
顔を真っ赤にしたサンチョが自分から離れようとするダニエルの腕を掴む。
「た、戯れなどでは・・・ない。・・・私は!」
「ストップ」
ダニエルがサンチョの口元に手をあてがうと彼が言葉を紡ぐのを制止する。
「オレはトルバドール。愛を囁き詩うのが本業。
そして呼ばれれば何処へでも行く。軽率な尻軽男さ。
貴方のような純朴を絵に描いた様な方には無縁な男。
ベランジェール様も。
若さは時に残酷です。この意味がわからぬ貴方ではないでしょう。
さあ。サンチョ殿も目を覚まして。」
ダニエルが詠うような甘い声を響かせるとその場を支配するかのように空気が変わる。
このやり取りがまるで造り物の様に。
そして、最後の言葉で目を覚まし、現実に戻されるのだ。
「ジャン。お前準備は?」
「あ。」
「早くしろよ。オレは外にいる。」
そう言うとダニエルはさっさと歩いて行ってしまう。
しばらく無言で、ダニエルの後ろ姿が消えてもその方向をじっと見つめるサンチョに、ベランジェールがそっと触れる。
振り向いたサンチョの笑顔は、優しく、痛いほど、悲しげだった。
「ご、ごめんなさい、兄上・・・。私・・・。」
サンチョに抱きつくベランジェールを残して、おれはその場を離れた。
ベランジェールは猪突猛進タイプなのでしょうか。
思い立ったら即行動ですよね。
もう少し思慮深い性格だと思っていたのですが。
ダニエルの言う通り、若さかな?
サンチョにも分けてあげてほしいですね。
ああ。兄上があれだから、妹がああなったのかな?
名前修正(2024.05.17.)




