二ー28 ボルドーの使者
リシャールがパンプローナを出てから、1ヶ月以上が過ぎた。
すでにランスに到着し、カペー家のフィリップの戴冠式に出席し終えている頃だろう。
それを思うと、複雑な思いだ。
安堵の気持ちと、残念な気持ち。
実のところ、戴冠式に一緒について行くのは不安だったのだ。
フィリップの姉であり、リシャールの婚約者であるアデルがおそらく出席するからだ。
アデルが末恐ろしいという事もあるのだが、一番は、リシャールが婚約者である女性と同席しエスコートする、という場面に耐えられるかどうか自信がない。
自信がないと言うより、はっきり言って嫌だ。
けれども、リシャールのお抱えトルバドールとして、戴冠式に出席するということは、めったにないステータスなのだ。そこで自分の力を遺憾なく発揮できれば、リシャールの名声を高める事に一役買える。
現実を直視しないで済む安堵と、自分の力量を出せない残念な気持ち。
その事に対して気持ちの折り合いがつけられないまま、今に至っているのだ。
そんなモヤモヤとした時間をベランジェールと共にチェスをしながら過ごしていたある午後。
「ねぇ。ジャン。どこに置くのよ。」
「え??」
「もぅ。全然集中してないじゃない。あなたがチェスを教えてくれって言ったのよ? 」
「あ・・・。ごめん。」
そう言われて急いで木製の白黒の格子柄のボードの空いたマスに駒を置く。
チェスは、リシャールの居る今の世界にやってくる前の世界で、少し興味を持ったことがあった。白と黒の駒をつまみ上げ、コトンと版に置く姿に憧れたのだが、触る機会どころか、見ることすらなかった。
娯楽の少ないこの時代では、皆このゲームを興じている事が多く、ルールを教えてくれと言うタイミングを探りつつ聞かずじまいで、結局やっとベレンジェールに教えを請う事になったのだ。
チェスは初めてなので、ルールが同じなのかはわからない。
けれど、駒が全く違う。
なにかの動物の角でできているらしく、キング、クイーンと、人の姿が簡素化された、可愛らしいというか、個性的な造形で作られている。
前の世界での駒も良かったが、目のギョロリとしたこの人形のほうがむしろ楽しい。
「・・・。チェックメイト。」
「えぇぇぇ。んー。悔しいなぁ。ベランジェール強いね。」
「まぁ。私が強いのは否定しませんけど、ジャンは弱すぎるわね。初心者ということを除外しても。」
「・・・もうちょっと、いたわってよ・・・。まあ、君らしくて良いけど。」
「チェスが壊滅的に弱いのもジャンらしくていいとおもうわよ。」
「いや、追い打ちかけんなよ。」
「うふふふ。いつもはお兄様に相手をしてもらうんですけど、今はダニエル殿に取られてますからね。」
「ダニエルってさ、作曲してるときってすごく気難しいけど、よく一緒にいられるよね。」
「お兄様は世話好きな所がありますからね。尽くすタイプですわね。・・・あれだけ一緒にいても、まだ恋人にはなっていないとか、どういう事ですの?」
「・・・おれに聞かないでよ。」
「そうでしたわね。・・・まぁ、ダニエル殿がお兄様に落ちてない事はないと思うんですけどね。」
「それはおれも思う・・・けど、あいつ、全然考えてること分かんないんだよね。」
「全くですわ。私イライラしちゃう。」
そうやってうわさ話をしていると、ノック音が部屋に響く。
「ジャン殿。ベランジェール様。ボルドーからの騎士が。」
「まぁ。」
「ロベールか!」
ベランジェールと急いで迎えに行くと、城の門の前に数名の騎士の姿がある。
ボルドーの騎士ではあるが、そこにはロベールの姿は見えなかった。
その代わりに、中肉中背の見慣れた顔が見える。
彼はこちらの姿を認めると先に声をかけてきた。
「ジャン!待たせたな!」
「ウィル?」
ウィルはフルネームを、ウィリアム・ロンシャンといい、農民の出身ながらも父親が土地を沢山持っていたため王家に引き上げられ、幼少よりリシャールと共に育った人物で、リシャールの側近の一人だ。
一緒に居るベランジェールに挨拶を終えると、ウィルが経緯を簡単に説明してくれる。
「ロベールは急遽ランスに行くことになってな。ボルドーにその知らせが来て、オレが代わりに派遣されたって事だな。 」
そう言うと、少し曇った顔をする。
「・・・峠にも。行ってきた・・・。」
「・・・うん。」
「・・・ルーの代わりには到底なれないが・・・。 ロベールはリシャール様を。お前にはオレをって事だな。少し遅れちまったからランスには行かずに、このままボルドーへ帰ってリシャール様の帰りを待つ事になる。ランスまで行って入れ違いになると時間がかかる。リシャール様の精神状態が心配で気が急くが、早く合流出来る方がいいだろう。」
「え?」
聞き捨てならない言葉に思わず疑問の声を上げると、少し困った顔でウィルが笑った。
「お前がリシャール様の側にいなきゃいけないって話しだ。」
「お二人共。どうぞ城の中へ。込み入った話は相応のお部屋でどうぞ。」
そんなおれたちを見かねたのだろう、ベランジェールが穏やかに微笑みながらそう言うと、窓のない部屋へと案内してくれた。
そこで早速ウィルと情報を交換し合う。
「ロベールが呼ばれるってことは、ポールとペランでは抑えられないという事だろう。リシャール様の身を守るというよりも、暴走を抑える役割と言ったほうが良いんじゃないかな。」
先程のリシャールの精神状態が心配というのは、恐らくこの暴走の度合いだろう。
「暴走・・・。」
「実の弟よりも、可愛がっていたからな。しかも片腕をもがれたとなっては、黙っている理由がないだろう。ランスのカペー家が目的地という事は、なにか根拠があるのか?」
ウィルは乏しい情報からこれだけの結論を導き出したようだったが、おれはカペー家が今回の件に関わっているという事に少し違和感を覚えており、それを率直にウィルに話す。
ウィルはどちらかと言うと作戦を考えるほうが好きな参謀タイプだ。
ポールよりも柔軟に人心を捉え誘導することに長けている印象がある。
そんな彼に自分の胸の内を話すことで、この違和感が明確な形を持つかもしれない。そう思った。
「リシャール様に刺客・・・か。それは、本当にカペー家の仕業なのか? あまりにも材料が揃いすぎではないか。 」
「そうなんだ。それに、ルーが単独で動いていたっていうのも少し気になっていて。もしかしたらポールがなにか知ってるかもしれないけど、連絡の取りようが無いし。・・・ああ。そう。それから、ウィリアム殿が偶然そこに居合わせてたんだ。彼が居なかったら、リシャールも刺客にやられていたかもしれない。」
「ウィリアム殿? ウィリアム・マーシャル殿か? 」
その名前は誰だって驚く。
常に冷静さを保つ事を良しとするウィルも例に漏れず、大きな声で叫んでいた。
「うん。おれにルーの事や、リシャールがランスに飛んでいった事を教えてくれて。・・・ウィリアム殿は武者修行終えて、アンリ様の下に帰るって言ってたけど、ランスには行かなかったのかな。」
「いやいや。ちょっと待て。ジャン、ちょっと待て。そして落ち着けオレ。・・・カペー家の紋章を持った兵士。そんなもの誰でも用意できるよな? そこでルーが単独で動いたって事は、顔見知りでも居たか? 」
話を静止させるようにウィルは手を上げつつ、反対側の手を顎に当てて、考え込む様な姿で独りごちる。
「オレはバイヨンヌ、モン=ド=マルサンなどの、ガスコーニュ付近のリシャール様に潰された貴族達が怪しいと思っていたのだが・・・。 ウィリアム・マーシャル殿がそこに居るとなると、また・・・。話がややこしくなるな。」
「?・・・そう? 」
おれの言葉にウィルは真剣な顔を向けてくる。
「お前、覚えてないか? サントンジュの反乱*¹。タイユーブル要塞を潰した経緯を。あの時、ガスコーニュの近隣諸国が連携しだしたきっかけに、アンリ様とジョフロア様が担ぎ挙げられていただろ。」
「・・・え・・・。だってあれは、ただの噂でしょ? 」
「噂だ。だが、アンリ様に、・・・フィル坊の存在が漏れていたとしたら・・・。」
そこで初めてアンリの妻であるマグリットと、フィルのふくふくとした可愛らしい顔が浮かび、血の気が下がる。
血を分けた弟に自分の妻を寝取られ、しかも子まで生んだと知られたら?
「でもでも! それじゃぁ、ウィリアム殿は、なんで?? リシャールを助けてくれたじゃん? ウィリアム殿は、あの事知ったら絶対リシャールのこと許さないでしょ? 」
「だから、話がややこしいって言ってるんだよ。どれも憶測でしかない。情報が足りないんだよ。」
ウィルが吐き捨てるように言葉を放つ。
感じていた違和感は、黒く大きなモヤモヤとした「何か、」に形を変えようとしている。
そうだ。
リシャールが向かった先、ランスでのカペー家の戴冠式にはアンリも出席するという話だった。
ウィル登場です。
彼は「《第一幕》テンプレ転移した世界で全裸から目指す騎士ライフ」の章ダクスのep.10に登場した、名無しの彼です。
彼は最初はピュルテジュネ王の最初の非嫡出子につかえていたそうですが、すぐにリシャールの元にやってきて、ずっと一緒に居る幼馴染の内の一人。出身が農民なのですが、下人のようには扱われず、騎士として成長した人物です。お父ちゃんが土地持ちだったかららしいけど。この時代は若干まだゆるい、いわゆる身分制はそこまで確立されてないのかなと思いました。
そして、大幅にいつもの更新時間から遅れてしまいました。
無念でです。
セリフ追加。(2024.05.08.)
*¹サントンジュの反乱:ep2に記載あり。
(2024.05.11.)
タイトル追加(2024.07.09.)
文章変更(2024.11.14.)