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二ー27

「ジャンはいつまでこのナバラに?」


執務室にテーブルと椅子が持ち込まれ、飲み物と軽食を用意されると、ジェーンがドライフルーツの入ったかごを勧めながら聞いてきた。


「とりあえず、ボルドーからロベールが迎えに来てくれるのを待っているんですけど・・・。」

「ロベールとは、ロベール・ド・サブールか。はは。懐かしいな。以前ボルドーに行ったときには合わなかったが、健在のようだね。」

「はい、城では近衛長としてお世話になってます。この時期はボルドーより北のサルトの領地に帰っていたのでしょうけれども、それにしてもちょっと遅いんですよね。」


リシャールがパンプローナを出立する前にボルドーへの報せを出したのだ。

あれから有に1ヶ月近く経っている。

ロベールの身に何かあったのではないかと、心配していると、ジョーンにそんな失態を仕出かす男ではないと諭される。


「ロベールに会えなくて残念だな。私はあまり長居はできないんだ。カスティーリアの姉上の所に行く途中での寄り道だから。」

「カスティーリア・・・。そう言えば、こちらへは私的な訪問とのことでしたよね。」

「あら、ジャンは、ナバラとカスティーリアが不仲なの知ってるのね。」

「知ってるよそのくらい。お隣さんだからね。」


ナバラ王国、カスティーリャ王国はリシャールの治めるアクテヌ公国の南、ピレーネ山脈に分断された南西の地、エスパーニャにある。

北はブルターニュから、ボルドーの海岸線を擁し、南のナバラまでをも抱きこむ広大なバスク湾。

そのナバラに隣接する、ジェーンの姉が嫁いでいるというカスティーリャは、近年勢力を強めているらしい。

ナバラ王国もそうだが、ピレーネ山脈より南にあるアラゴン王国も異教徒との戦いを強いられながらも、このスティーリアの動向を常に伺っている状況だ。

 この地は異教徒達の侵略に苦心しており、互いに国同士で同盟を組んで抵抗しよう、と共通の意思があるものの、まとまりに欠け、情勢は混沌としている。

 そこにカスティーリャに嫁入りした強大なピュルテジュネ帝国の姫である王妃の妹であり、シチリア王妃のジェーンが、ナバラに公式に訪れたとなれば、いらぬ噂も立ちかねない。

それ故の、身分を隠した上での私的な訪問なのだ。

おそらく、ジョーンの旅姿や規模を見ても、カスティーリャでも非公式訪問といった体を取るつもりなのだろうと推測出来た。


「姉上が出産でね。それを口実にベランジェールに会えるのではないかと思ってシチリア王に願い出てみたらすんなり許可をもらえたんだ。以前からベランジェールの話はしていたから。まぁその代わり浮かれないでしっかり情勢を見てこいと言われたけどな。」


ジョーンは笑いながらベランジェールの手を握っている。


「シチリア王は、ジョーン様がベランジェールと一緒にいることを許してくれているってこと?」

「ああ。王は、グリエルモ様はお体が弱くてね。旅はおろか外出もままならない。だから代わりに海を渡りその目で見たものを報告することを約束したんだ。そして、ついでに愛する人にも会ってこいと言ってくださったのだ。」

「ジャンどうしよう。私泣きそうだわ。」

「もう泣いてるけどね。」

「プリンセスどうぞ泣かないでください。」


そう言うとジョーンはベランジェールの頬を伝う涙を拭う。

何。この圧倒的イケメン力。

頬に涙を伝わせる可憐な姫を前に中性的なジョーンの容姿でこの発言をされてしまうと、空気が甘くなり二人の背景には花が咲いている錯覚に襲われそうだ。


「ベランジェール。あなたの勇気のお陰で、今こうして同じ想いを抱きながら一緒にいられる。私はあなたに逢いに来ることしかできなかった。 想いを打ち明けるなど、遥か海を超えることよりも難しく、高くそびえる山脈を超えるが如く苦難で険しいと、できるはずがないと思っていた。それをあなたはいとも簡単に乗り越え、私に愛を示してくださった。あなたのその高い志があるがゆえに、私は今ここに跪くことができるのです。」

「ジョーン様・・・。ああ。なんて私は幸福なのでしょう。たとえ僅かな時でも、もうこの時が永遠に訪れる事がないと解っていようとも、私はこの一時の幸福を胸に生きていけます。」


眼の前で繰り広げられるロマンスな世界。

いたたまれない思いで、こっそりと部屋から脱出しようとしていた所、廊下がら足音が聞こえたと思うと大きな声がする。


「ジョーンさまーーーー。ジョーーーーンさまーーーーー。いらっしゃいますかぁぁぁぁ!!」


この声は、エムレだ。

ジョーンは盛大な舌打ちをしている。

それがリシャールそっくりで笑える。

なんだかほっとする思いで「エムレここだよ。」と答えた。


開け放たれた入口からエムレの顔がひょっこりと覗き、ジョーンを確認すると部屋に入り大袈裟な身振りで謝罪を始める。


「ああ! ジョーン様! 申し訳ございません! 不覚にもこのエムレ、ジョーン様にお使えする身でありながら酔臥しておりました!」

「ああ。ずっと寝ていて良かったのに。」

「なんと! お心優しい我が君よ。 何かご不自由はございませんでしたか? 」

「君がいると不自由な事があるけどね。」

「は? そ、それは如何様な? このエムレ、何かいたしましたか? 」

「っち。 ウルサイよ。」

「ジ、ジョーン様?? も、申し訳ございません。 生まれつき声が大きなもので、気をつけているのですが、耳障りでしたか? 」

「ぁああ。もう。うるさいうるさい。 何だよ。なんか用なの? 」

「あ、いえ、用は特に・・・。お姿が見えなかったので・・・。」

「そんくらいで騒ぐなよ! ほんとお前はうるさい! 」

「も、申し訳ございません・・・。ですが、王にもしっかりお側でお守りするように仰せつかっておりますし、ジョーン様に何かあったらと、私いても立ってもいられず・・・。」


あまりの喧噪に驚いたが、大きなエムレが怒られてしょんぼりしている犬の様に見えてしまい、ベランジェールと一緒に吹き出してしまう。

ひとしきり笑ったあと、ベランジェールがコホンと咳払いをし、改めてニッコリと微笑んだ。


「エムレ殿。申し訳御座いませんでした。あなた様の我が君のお時間を少しお借りしておりました。ジョーン様、今からパンプローナを発つとすぐに夜になってしまいますわ。出発は明日になされては? 」

「ああ。そうするよ。エムレ。もう一晩お世話になろう。・・・今度は酔臥するなよ。」

「はい。もう飲みませんよ。」


そう言っていたエムルだったが、おれとダニエルの作戦により再び酔臥させらる事となる。




 次の日の朝、エムルは頭を抑えながらフラフラとした足取りで、ジョーンに小突かれながら出発を迎えている。


「ジョーン様。これをお持ちになってください。」


サンチョと共に城門外へと見送りに出て来たベランジェールが手にしているのは綿のシャツ。

 強い日差しの中で汚れねっとりと張り付くシャツを着替えるだけで疲れが飛ぶこともある。

旅の必需品だ。

そこにブルーのハンカチを忍ばせてあるのだと、ベランジェールからこっそり聞いていた。

ハンカチの生地には白と金色の刺繍を施したと言っていた。

彼女が丹精込めて縫った物だ。

ジェーンはシャツをしまい込むおり、その存在に気づき、素早くそのハンカチを手首に巻き付けた。

騎士に渡すハンカチは、「私の代わりに側に置いて」という思いが込められているという話を聞いたことがある。

そしてそれを手首やランスに巻き付けお守りにする。

恋人がおらず、女性にされるがままにさせていたリシャールやルーだったが、本来は恋人同士の習わしだそうだ。


「では、サンチョ殿、ベランジェール。 お元気で。」


乗馬したジェーンがさっぱりとした顔で手を上げると、背景と同じ空色の手首の、金の刺繍がキラキラと太陽の光を反射する。

ほんの一時、視線を合わせるジェーンとベランジェールは微笑んでいる。

そして名残惜しさを振り切るようにジェーンは馬を走らせていった。

そのジェーンの後ろ姿が消えるまで見つめていたベランジェールが切なそうな、なんとも言えない顔だったので、そっと彼女の頭をなでてやる。


「また、会える日があるといいね。」


泣いてしまうかな、と思っていたら、予想外の笑顔が帰ってきた。


「ええ。・・・私の未来も、ジョーン様の未来も。この空の様にきっと、青空ですわ。」


明るく輝く太陽の下、眩しく笑うベランジェールは、とても美しくそして、強い生命力に満ちている。

そうでしか生きていけない現実に、胸が傷んで泣きそうになったが、なんとかこらえる。


「そうだね。」


その一言しか、口にはできなかったが、笑うことはできたので上出来だったのではないだろうか







エムレは犬で例えるとトルコの国宝犬、カンガール・ドックです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B0#


一部修正(2024.05.05.)(2024.11.17.)

文章修正(2024.11.14.)

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