二ー20 回想 ロンセスバージェス峠
ロンセスバージェスの峠の村は穏やかな日差しを受け、訪れる人々は自然と笑顔になっていた。
道すがら出会った男は巡礼の途中だといい、君もやってみると良いと、勧めてくれた。
そんな他愛もない話題を楽しみながら、教会で休んでいたウィリアムは、教会から見える外の景色の中に、黒い鎧の姿があることに気がつき、外に出ていった。
「ルーじゃないか。こんな所で合うなんて、珍しいな。」
「・・・ウィリアム殿。」
ルーは何やら緊張した面持ちで、ウィリアムと、峠の方向を見比べた。
ウィリアムはその動きにつられ、峠の方向をみる。
足場の無い細い道を騎馬の1団が近づいて来ていた。
「・・・やはり本当だったか。」
「ルー? どうした? 何があるんだ? アイツらは・・・なんだ? 」
ルーのピンと糸を張ったような言葉にウィリアムが1団の持つ異常さを感じて身構えた。
頭が自然と有事対応へと切り替わる。
霧は晴れている。
視界は申し分ない。
人数は数えて5人。
皆、フードを深く被り旅人の様相をしているが、醸し出す雰囲気から殺気立っているのが分かった。
「ウィリアム殿。頼みがある。急いでリシャールの所に行って刺客が居ると、伝えてくれないか? 」
「・・・承知した。知らせたらすぐに戻る。それまで、必ず、持ちこたえよ。」
ウィリアムは多くを語らせずとも、瞬時に状況を判断し、馬を方向転換させると走らせた。
ちらりと振り返り見たのは、馬を降りたルーが剣を身構えているところだった。
おそらく、騎士の1団はリシャールを狙う1団。
ルーは何かしらの情報を得て、先回りしていたのだろう。
一人で行動しているということは、確証が持てなかったか、あまり表沙汰にしたくなかったかのどちらかだ。
そして、示された道の先は、つづら折りに山道が続いている。
できれば戦闘は避けたい場所だ。
ルーが時間を稼いでいる内にそこを抜ければ、隠れて弓で射られる心配の無い見晴らしの良い場所に移動できる。
さすが自分が認めた騎士だ。判断は的確だ。
だが。
主君への忠誠とはいえ、今の彼の状況は命をなげうたなければ死守できない危険な状況。
彼なら5人程度ならたやすく屠ることが出来るだろうが、あれ以上敵が居るとなれば。
ザワザワと胸騒ぎがする。
誰が刺客を寄越したのかは分からないが、5人ごときでリシャールを暗殺することが出来ると考えるだろうか。
自分が計画を進めるなら、そんな人数では心もとない。
ウィリアムは考えを巡らせながら、つづら折りの道を馬を走らせ僅かほどで、にぎやかな笑い声が聞こえた。
姿は見えないが、ガチャガチャと鉄の音も聞こえる。
「リシャール殿ぉぉぉ!!」
ウィリアムはあるだけの声を上げた。
「ルーではないな。ーー誰だ? 」
リシャールの声が応答する。
「私は、ウィリアム・マーシャルである。刺客が居るとルー殿からの伝言である! 私はルー殿を援護に戻る。リシャール殿は御身の確保を! 」
返事を確認する暇は無い。
ウィリアムは急いで道を引き返す。
若い有能な騎士を、ルーを失いたくない。
その思いしか、ウィリアムの頭には無かった。
若き主、アンリの弟であるリシャールのお抱え騎士。
自分の身を呈して彼を助ける、という道理はない。
しかし、同じ騎士として幾度か剣を合わせ、彼には息子のような、そんな感情を持っていた。
志が高く、負けず嫌いで。
先日手合わせをしたときも、かろうじて、いや、おそらくすでに力の差では負けていた。
経験値、精神力で勝てた。そんな思いがしていた。
まだまだ鍛錬が足りないなと、苦笑いをしたばかりだ。
ルーと別れた場所に戻ったウィリアムは、惨憺たる状況を目の当たりにして奥歯を噛みしめる。
馬も人も地面を赤く濡らして息絶えている。
明らかに最初に確認した人数より多い物言わぬ亡骸が、静かにウィリアムを迎えた。
巻き込まれた巡礼者なのか、援軍なのか、判断はつかなかった。
峠の石塚の方向から金属音と怒号が聞こえている。
ウィリアムは急ぎ馬を走らせた。
「・・・はぁ、はぁ・・・くっそ。・・・やっと止まったか? 」
「・・・ま、ま・・・だ・・だ・・・。い・・・行かせ・・・ねぇ・・・。」
「ひぃぃぃ。何なんだよ! おまえ!」
悲鳴混じりに二人の男が、交互に血だらけの男に斬りかかる。
一人の剣は弾かれ、一人の剣が血だらけの肩に深く食い込んだ。
血だらけの男は肩に食い込んだ剣を素手で掴むと、剣を引き抜こうとする男の腹に自らの剣を突き刺す。
その隙を狙って、もう一方の男は弾かれた剣を血だらけの頭に振り下ろそうとした瞬間。
口から大漁の血が溢れ出すと共に、動きを止めた。
剣を振りかざした男は不思議そうな顔で自分の腹を見る。
横腹に深く剣が刺さっている。
ウィリアムが馬上から自らの剣を投げはなったものが、見事に命中したのだ。
男は剣を振りかざしたまま打ち下ろすことができず、横に倒れていった。
「ルー!」
血だらけのルーが少しよろめく。
ウィリアムが近寄り、体を支えると、ルーは肩に刺さったの剣を引き抜いた。
そこから更に血が吹き出し、ウィリアムに支えられながらルーは静かに膝をつく。
「・・・ウィリアム殿・・・。す、済ま・・・ない・・・な・・・。手を・・・煩わ・・・せた。」
「喋るな! 急ぎ手当を! 」
どこから出血しているのかわからないほど、血まみれのルーを介抱しようと抱え込みながら横たわせる。
ウィリアムは腰に手を回し、シャツの布を引きちぎろうとするがその手をガシリと掴まれ動きを制される。
「・・・ウィリ・・・アム・・・殿・・・。コレを・・・。り、リシャール・・・に・・・」
ルーは震える手で襟首を掴むと、そこからゆっくりと細い紐をたぐり寄せ、ウィリアムに見せる。
おぼつかない手で引き出そうとするルーの手を握りながら、ウィリアムがその紐を手繰ると、胸元から小さな袋が姿を表した。
それをウィリアムはゆっくりと首から外して手の上に乗せた。
「・・・兄弟を・・・頼・・・む・・・。」
そう、言い終えた時、ルーの瞳が何かを捉えたかの様に動いて止まり、少し微笑んだ様に見えた。
その瞳には、リシャールが写っただろうか。
ルーを抱えるウィリアムの後ろからリシャールが大きな声で叫びながら走り寄っていた。
「おい! ルー! しっかりしろ! 」
リシャールがルーを覗き込んだが、すでにルーの瞳は1ミリも動かない。
「ルー! お前、さっきおれの事見ただろ! もう一度、ちゃんと見ろ! もう一度、ちゃんと・・・」
ルーの顔を両手でつかみ覗き込んだリシャールは、言葉を途中で飲み込む。
血溜まりが広がる地面に気づき、もう一度ルーの頬を震える手で優しく撫でると、咆哮の様に叫んだ。
なぜ、1人で行動させた。
誰が、この様な事を。
誰が。
誰だ。
獣の様に吠える声が峠に響き渡った。
ルーの言葉をリシャールに伝えなければならない。
ウィリアムは深く息を吐き出し立ち上がる。
直ぐ横に転がる、彼の剣を腹に咥え込み息絶えた男の顔を、判別が出来なくなるほどぐちゃぐちゃと踏み潰し、腹から剣を引き抜くと男の服で血糊を拭き取りながら、吠えるリシャールに声をかける。
「リシャール様」
ウィリアムは戦意もむき出しだ。
そんなウィリアムに、はっきりとまるで叱責されるようかのように呼ばれ、怒りで顔を赤くした獰猛な獣の咆哮が止まる。
収まらぬ怒りに唸り声を上げ、睨みつけてくるリシャールをウィリアムは真っ直ぐに見つめる。
「ルーから預かりました。リシャール様にと。」
まるで猛獣だ。
気を抜くと呑まれてしまう。
近頃はジャンというあの青年のお陰でリシャールも随分と落ち着いたと聞いていたが、今は彼の姿が見えない。
そう思いながらウィリアムはわざと両手を広げて他意はないという意思表示を示し、袋を見せる。
リシャールは血に濡れそぼったその小さな袋にゆっくりとを指を這わす。
「・・・ルーが、ここ数年ずっと身につけていた・・・。」
ようやく人の言葉を発したリシャールに、その袋を手渡す。
「ルーが首から下げていたこれを、リシャール様にと・・・。」
袋の中を覗き込んだリシャールはそのまま袋の口を固く閉じると、自分の首に紐を掛ける。
そして、ウィリアムに小さな声で
「・・・ありがとう。」
とつぶやくように言うと、ルーの顔を撫で、髪を整え、しばらく黙って見つめていた。
そこからのリシャールはポールを呼ぶとキビキビと指示を出し、パンブリーナに報告に行くウィリアムが出る頃には敵の素性の洗い出しからルーとその馬の墓まで堀り、ランスに出立したのだった。




