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二ー19 春霧  

濃い霧が、眼の前をぼやけさせている。

世界は暗く淀んだ青に染まって見えた。

風がゴウゴウと音を立て吹きつけているのに、一向に眼の前は晴れない。

それどころかあたりは次第に薄暗くなり、闇が足音を立てて近づいてきているかの様に感じる。

峠に向かう足がひどく重かったのはそのせいなのだろうか。


「ここに。」


そう示された先、薄暗い霧の先に見えたのは、ローランの石塚。

その横あたりに、黒々とした剣が地中に半分ほど、突き刺してある。


まるで墓標じゃないか。


自分の目で、確かめないと事実として受け入れられないと思った。

けれど。

鉛を飲み込んだ様に胸が重く潰れそうに感じながら、剣に触れられる距離まで来ると、それは血で汚れていた。

ポケットから布を取り出し、擦ってみるとぷんっと、鉄の匂いをさせながら汚れが落ちていく。

ゴシゴシと剣を擦る。


『黒剣は手入れが大変だからな。憧れだけで手にするのは辞めておけよ。』


ルーの言葉がみぞおち辺りの青く澱んだ空間から響く。

彼は、そう言いながら愛おしそうに、今は汚れ曇ったこの黒い剣を磨いていた。

眼の前がにじみ口からは嗚咽がこぼれ、そのまま眼の前の固く冷たい剣を胸に抱き込みながら叫んだ。


「嘘だ! こんなの! 」


喉が焼けるほど叫んだけど、風の音にかき消され、何度もそれを繰り返した。

言葉にならない音がかすれてきた頃、肩に置かれた手に気がついた。

ゆっくり振り向くと、ウィリアムの顔が霞んで見えた。

支えられながら立ち上がると、暗くなった峠を下る。

子どもをあやすように肩を擦る手が暖かくて、余計に虚しくなった。

そして、ウィリアムが低い声でつぶやいた。


「ルーを助けられず・・・済まない。」


それは、昨夜も聞いた、2度めの謝罪の言葉だった。





ソワソワと落ち着かないサンチョと共に待っていると、廊下をバタバタと音を立ててダニエルが帰ってきた。

そしてダニエルの後ろから、そんなに背は高くはないが、筋骨隆々とした男がのっそりと部屋に入るやいなや、騎士の礼を取ると挨拶をする。


本物の大騎士ウィリアム殿だ。


彼は鎧は脱いでいるものの、服までは着替えておらず、先程まで戦地にでもいたかのような血の匂いがしていた。

サンチョは「儀式的な礼は良い」と砕けた様子で話し始めた。


「ウィリアム殿。先程は門前払いをしようとして、失礼いたした。」

「いえ。こちらも突然の訪問で無礼をいたしました。ダニエルがいて助かりました。」

「急ぎなのであろう? 何があったのだ? 」

「はい。単刀直入に申し上げると、ロンセスバージェスの峠でリシャール様を襲撃しようと目論む者たちと遭遇いたしました。」


その言葉に血の気が引いていくのを感じたが、次の言葉に安堵した。


「しかし、ルーが先回りしており、リシャール様には危害は及びませんでした。敵は殲滅したものの、リシャール様から、こちらにいらっしゃるジャンの身を案じ、急ぎナバラの王子に報告してくれと仰せつかりました。」

「そうか。わかった。ジャン殿の事は任されよ。しかし、ルー殿は流石だな。」

「・・・ナバラ王子はルーと懇意がお有りでしたか・・・。」

「ああ。一緒に闘牛をした仲だ。彼ほどの騎士はなかなかおらぬのではないか? リシャール殿が羨ましい。」


ニコニコとルーの話をするサンチョとは違い、ウィリアムの顔は暗く苦悶の表情を見せてつぶやく。


「私も、彼ほどの騎士はなかなかおらぬと、若き騎士の中でも抜きん出る存在であると。思って、おりました・・・。」


ザワザワと胸が騒ぐ。

思っていた?

思っている ではなくて?


「ルーは・・・。討ち死にしました。」


聞こえなかった訳では無い。

けれど、口からでた言葉は疑問の言葉だった。


「は? え? な、なんて、今? 」

「・・・ジャン。・・・ルーを助けられず・・・。済まない。」





それから、いつの間にか朝になり、何度も止められながらも、峠までならと許しをもらい、数名の騎士と、ウィリアムとサンチョとで、ローランの石塚までたどり着いたのだった。

峠の墓標から離れると、激しい戦闘の跡がいたるところに敵の遺体と共に残っている事に気がつく。


ルーは一体どんな死闘を繰り広げたのだろう。


今まで何度か仲間兵卒の死に直面したことはあったが、こんなにも近しい者の死は経験したことが無く、どうして良いのか分からなかった。

自分も誰かの大切な人の命を奪っているのに。

自分の身に降りかかって改めて、汚れゆく己の手を見つめる。

いつかこの報いを受ける日が来るのだろうか。

それとも、神父様達が言うように、神の為なら許されると、悔い改めればそれでいいと、そう、思えばいいのだろうか。


冷えてゆく体に震えながら入った教会で、暖かいスープを貰い、久々に食べ物が胃の中に入ってゆくことに気がつく。


「・・・リシャールは、大丈夫だろうか。」


心配そうにおれを覗き込んでいたサンチョに話しかけると、暖炉に薪をくべていたウィリアムが答えてくれた。


「・・・リシャール様は、疾風迅雷の如くランスに向かわれたよ。」

「・・・そうですか。ランスに・・・。まさか、カペー家が刺客を? 」

「ルーが屠った者の中に、カペーの家紋をつけたものが数名居たんだ。」


ウィリアムが、がりがりと暖炉の火を触ると、ぼうっと炎がはげしく燃え上がる。


リシャールの命を狙い、ルーを殺した相手は、許すことは出来ない。

奥歯をギリリと噛みしめながら燃え上がる炎を見つめる。

パチパチと木が音を立て、ユラユラと踊る炎は次第に小さくなる。それを見てると、少し気持ちが落ち着いてくる。


カペー家。

何かとピュルテジュネ家と対立している家だが、次男であるリシャールに刺客を送るほどの恨みがあるのだろうか。

戴冠式に招待している人物であるリシャールとの仲に亀裂が入ることのほうが厄介な気がする。


ウィリアムも炎を見つめながら、そのまま言葉を続ける。


「リシャール様のお怒りが収まらず、とりあえず戴冠式に参加せねばならぬし、行き先としては問題ないのでは? と言う話になってな。 カペー家の皆様には申し訳ないとは思うが、リシャール様の怒りの捌け口にはもってこいかと。ピュルテジュネ王と同じで、あの方も一度火が着くとなかなか鎮火が難しいのだろう? 」


流石ピュルテジュネ家に使える騎士でアンリ様の教育係をしていたウィリアム殿。

リシャールの性格もしっかり把握している。


ウィリアムが暖炉の火を弄ぶ様につつく。

そのたびに炎がユラユラと揺れ、彼の横顔を暗く見せたり、照らして見せたりした。


そういえば、ウィリアム殿はどうしてここにいたのだろうか。

修行の旅をしていると言う話は知っているが、やはりそれなのだろうか。

そしてルーとの関係も。

おれが知る一度の対戦以外にも、ルーと関わりがありそうな雰囲気だったのが、少し気になった。


「ウィリアム殿は、いつここに? ルーとはボルドー以外でも会ったりしていたのですか? ルーは、ウィリアム殿の事をすごく尊敬していました。」


ウィリアムは顔を暖炉に向けたまま、力なく答える。


「私は尊敬になど値しない非力な人間だよ。彼の様な有望な若い騎士が命を落とし、こんなおっさんが生き残るとは無情な話だ。」

「おっさんだなんて辞めてくださいよ。」


ウィリアムの自傷の言葉に異を唱えると、サンチョも乗っかってきた。


「そうです。大騎士ウィリアム殿の名声はブリテンから遠く離れた、ナバラまで響いております。」


その言葉にウィリアムが愛想笑いを浮かべる。


「ははは。ありがとう。気を使わせて悪いな。そう。ナバラまで・・・。ここには修行の旅ということで、ピレーネ山脈の南東から、ロンセスバージェスのローランの石碑を目指して旅をしていたのだよ。それで峠でルーと出会ったのだが・・・。」


ウィリアムは暖炉の横の椅子にドサリと腰掛けると深いため息をついた。

おれはテーブルに置かれたエールの入ったカップを差し出す。

壮絶な状況の峠からパンプローナまで知らせに走り、またこの峠まで一緒に付いて来てくれたのだ。

疲弊している筈だ。

ウィリアムは少し疲れた笑顔を見せながら、受け取ってくれた。


「ルーとは彼がルーアンなどに使いに出された時などに私の所にやって来て稽古を何度かつけたことがあってね。気持ち、勝手に弟子のように、息子のように、思っていたのだよ。だから、彼を助けてやりたかったのだが・・・。」


そう言うと、手に持ったエールをひと口で飲み干した。






人間と争い は、いつか分断される日が、来るのでしょうかね。


※人物紹介を一番最初のページ(第1部分)に投稿しました。こいつ誰だっけ、ってなったら見てください。(2024.03.04.)

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