二ー16
「ちょっといいか。ジャン。話しておきたい事がある。」
ポールが神妙な顔付きで切り出してきた。
「先程、ベランジェール様に確認していただいたのだが。どうやらリシャールの馬の手綱に切り込みが入っていたようなんだ。」
「・・・え? 手綱に切り込みって・・・。誰かが手綱が切れるように仕込んでいたってこと? 」
内心、やはりな、と思った。
ざわざわと感じていた予感が的中していたのだ。
こんな予感など、的中してもちっとも嬉しくない。
「・・・はい。誠に申し訳ございません。急ぎ調べに回しましたが、先日入ったばかりの城外管轄の下人1名の姿が見えなくなったそうです。」
ベランジェールが申し訳なさそうな顔で報告する。
新入りの姿が消えたという事は、明らかにそいつが犯人と見ていいだろう。
「バスク語を話していたという事ですので、おそらくピレーネ付近の人間でしょう。今解ることはこのくらいしか。もちろん、リシャール様が安心して過ごしていただける様、手は尽くしております。このような事は、もう絶対起こさせません。」
ベランジェールは泣きそうな顔だ。
パンプローナ内で、客人の身に危険が及んだのだ。
城外だとは言え、外交に関わる事態だ。
「いえ。オレたちも確認不足でした。リシャールも軽率な所がありますから。お気になさらないでいただきたい。」
ポールがにこやかに、けれど真剣な表情で、若い臨時城主の補佐であるベランジェールを慰めている。
「ありがとうございます。では、宴の用意を確認してまいりますので、私はこれで。」
そう言いベランジェールがいそいそと城に帰ってゆく。
ポールはその後姿をしばらく見送ると、小さくため息をついた。
「申し訳ないな。こちらの事情に巻き込んでしまったな。」
「・・・そうだね。でも、こんなにあからさまに刺客を送り込んできたのって・・・。誰なんだろう・・・。」
「それなんだが。」
ポールがぽんとおれの肩に手を乗せ、話し始める。
「お前、しばらくここにいてもらえないかな。」
「え?? 」
「ルーを少し自由に動かしたい。そうなるとリシャールにペランをつける事になる。ボルドーのロベールを呼ぶから、あいつが来るまで、ここに居てもらいたい。」
「うん。・・・わかった。ランスでのフィリップ殿の2回目の戴冠式に遅れるわけにはいかないからな。」
「すまない。」
「おれは全然かまわないよ。むしろサンチョ様とベランジェール様と仲良くなれそうな気がしてたから、一緒に居られる時間が出来て嬉しいよ。」
「お前は前向きでいいな。」
「へへ。長所でしょ。」
前向きになれたのは、リシャールのおかげだ。
いつでも肯定して、道を示してくれる。
彼の何気ない言葉の一つ一つが、前に進む力になる。
過去を理解し未来を見る勇気をくれる。
一緒に居ないことが、彼のためになるのなら、何の迷いがあるだろうか。
それに。
会えない時間があったとしても、その尽きないエピソードをベットで話し合い、確認し合うのも幸せな時間になるのだ。
思い描く幸せな時間とは逆に、見上げるパンプローナの空は赤みを帯び、濃い群青とのコントラストは、何故か不安を掻き立てる。
乾いた空気がひんやりと、冷めていく心と顔とを、撫でていった。
パンプローナで数日過ごし、旅立つリシャール達を見送りに城門まで来ている。
居残り組にはダニエルも加わった。
「お前は別にジャンと一緒に残らなくても良いだろう。そんなにサンチョが気に入ったのか? 」
リシャールがからかうようにニヤニヤと笑っている。
ここ数日で、サンチョとダニエルはすっかり打ち解けたようで、一緒にいる所を良く見かけるようになった。
「サンチョ様がお前と違って博学でいろんな楽器にも精通してるからって僻むなよ。曲の構想が出来たからここで作らせてもらおうと思ってるんだ。」
「ふん、別に僻んでない。お前がサンチョに構うから全然鍛えられなかったじゃないか。乗馬の技も教えてもらおうと思ってたのに。まぁ、他の奴に聞いたからいいけどよ。」
準備万端のポールがリシャールの馬の手綱を確認しながら思い出したように言う。
「そんなことより、ランスでの戴冠式に来て欲しいと頼まれていると、自慢していただろ。良いのか? 」
「気分が乗らない。今のオレはフリーだからなぁ。リシャールが宮廷に呼んでくれるって言うなら考えなくもないけどな。」
「お前みたいなトラブルメーカーは願い下げだぜ。」
「トラブルの大元みたいな顔してる奴に言われるとなんか複雑だぜ。」
身辺を確認し終えたポールがため息を付きながら手綱をリシャールに渡す。
「何言ってやがる。目くそ鼻くそが。」
「・・・ポール。お前は見栄えもいいし仕事も出来るのに・・・。不憫だな。口の悪さが仇になってる。」
「まったくだ。口からクソ出してんじゃねえか? 」
ダニエルが呆れた顔でポールを避難すると、調子にのったリシャールが酷い言葉を口にする。
「うわ。最悪だな。リシャール。お前がそんなだからポールがこんななんだろ。」
「こんなのってなんだよ。目くそに言われたかねぇよ。それにリシャールが最悪なのはいつも通りだろ。」
3人でのひどい言い合いが始まる。流石に止めに入らねば行けない状況だ。
「もう。やめなよ。3人共。ベランジェール様の前で恥ずかしいだろ。」
「何だジャンお前。目くそ側か。いや、鼻くそか? 」
そして巻き込まれるおれはリシャールにがっしりと抱きしめられる。
「おいおい。なんだそりゃ。ジャンはクソじゃねぇぞ。コラ、ポール。」
「黙れ鼻くそ。早く準備しろよ。もう出るんだからよ。」
「はいはい。すいませんね。耳クソ君。あ、お前はへそクソのほうか。」
「何だとコラ。」
「うふふ。リシャール様の宮廷は味噌糞一緒ですわね。」
無邪気に笑いながら発せられるベランジェールの思わぬ言葉にその場が凍りついた。
「・・・ベランジェール・・・。」
サンチョが言葉を失ったようにつぶやくと、ダニエルがすかさず嗜める。
「・・・ベランジェール様、姫の口からそれはちょっと・・・。」
そして素直に謝るポール、ダニエル、リシャール。
「・・・そうだな。オレが悪かったよ。」
「いや。オレが。」
「・・・じゃ、俺かな? 」
あら、という顔で驚き、再びふんわりと笑顔になるとベランジェールが丁寧にお辞儀をしながら挨拶を始める。
「それでは、うまくまとまった所で、行ってらっしゃいませ。」
『・・・うまくねぇから。』
そこに居合わせた人間が声を合わせてベランジェールにツッコむと、サンチョが吹き出して笑い始め、それにつられて皆が笑い始める。
一時笑いあった後、話をまとめ始めたのはサンチョだった。
「ところで、ルー殿はいかが致したのでしょうか? ジャン殿とここに残られるのですか?」
「あら。兄上。今頃ですの? ルー様は数日前に出立されましたわよ。兄上がダニエル様と夢中で演奏やおしゃべりなさってたから、ご遠慮なさって。急ぎなので申し訳ないとおっしゃりながら、私に挨拶されましたのよ。」
呆れた顔でベランジェールにつげられたサンチョはモゴモゴと「別に夢中になど・・・」と顔を赤くしている。
・・・。
あれ?
これは、鈍感なおれでも解るぞ?
ひょっとして、サンチョ様はダニエルの事、好きなのかな?
そう思い、ダニエルの顔を見ると、いつものように澄ました顔をしている。
・・・ダニエルの方は、何考えてるのか解んないな。
さすが。恋愛の伝道師。
妙に納得しながら頷いていると、サンチョが赤い顔をペチペチと叩き咳払いをし、代理城主らしく居住まいを正して少し張りのある声を出す。
「それでは、ルー殿にもお礼を伝えておいでください。良い闘牛でした。今度いらした時は、共に演りたいものですと。」
「あぁ。俺としては闘牛なんかより、もっとお前と手合わせさせたかったけどな。」
「リシャール殿にも感謝申し上げる。立派な剣をありがとうございました。この剣で必ずや貴方様の力になることを誓います。」
「いいな。それ。期待してるぜ。」
リシャールは笑いながらサンチョの肩をバシバシと叩く。
「サンチョ、しばらくジャンを頼むぜ。」
そう言うと今度はおれを再び強く抱きしめ、耳元で小さくつぶやいた。
「早く逢いてぇよ。」
まだ別れてもないのにそんな事を言われると、なんだか涙が出そうになるじゃないか。
寂しさ紛れにリシャールの背中を強く叩くと、頭を優しく撫でられた。
「ははは。じゃ。行ってくるよ。」
リシャールはパッと切り替えるように離れると、馬に飛び乗り手を上げて振り返る。
日の光を浴びたリシャールは物理的にも心理的にも眩しくて、やはり泣きそうになる。
しばしの別れなのだが、なんだか無性にさみしい気持ちにさせる。
けれど、その思いは懸命に心の奥底に押し込んで、笑顔で手を振る。
「いってらっしゃい! 」
その言葉を聞いて、リシャールはふっと優しい顔をすると手を振り、ランスへと旅立っていった。
味噌はきっとヨーロッパにはないですよね。
ベランジェールの発言ですが、まぁ、あちらの世界で似たようなものに変換されていると思っていただけたらありがたいです。
ベレンガリアを゙ベランジェールに変更(2024.04.12.)
※《第一幕》から1年ほどたったあたりの
《幕間》テンプレ騎士と位置づけしたST Valentine's Day という物語を短編として投稿しました。良かったら読んでやって下さい。(2024.02.14.)
誤字修正(2024.07.18.)




