第二話 「山田ヒロシを紹介するまで」 6月28日
本当に突然だが、僕の家では犬を飼っている。
名前は山田ヒロシ。
性別はオス。
種類は中年。
歳は47。
好きな食べ物はイカの塩辛。
嫌いな食べ物はピーマン。
趣味は競馬とパチンコと煙草。
最近は暑さのせいかよくビールをねだってくる。
外見は下着とパンツ一丁のおっさんだ。
「あれ、坊主、帰ってきたんか。
あや、今日も姫さん連れ込んで、逢引きですかい。
坊主も隅におけんちゅうことやんなぁ」
家に帰ると出迎えてきたのはペットの山田ヒロシ。
煙草を吸いながらゲタでパカラパカラと呑気な音を出し、こちらを見てくる。
「どうしたの?
めーや君?」
「あ、ごめん。
なんでもない。
先、入ってて」
「う、うん」
太陽さんを家に上がらせて、僕は玄関横の石に寄りかかる山田ヒロシに声をかける。
「太陽さんといるときは出てくるなって言っただろ」
「あれ、そうでしたっけ?
自分、犬ですから、覚えがよくなくてぇ、すんません」
「いいや、許さん。
これでもう39回目だ。
僕にしか見えないからってそこらへんを歩いていい格好してるわけじゃないんだから。
頼むからじっとしててくれよ」
山田ヒロシの見た目は肩と首が良く見える白下着で下は青と白の縞パン。
そこに首からかけたタオルと煙草でいかにもおっさんな感じが出ている。
ちなみに髪は薄い。
二年前の夏、僕がぶっ倒れてから、何故か家に住み始めたこのおっさんは自分のことを犬だと言ってここに住み始めた。
見た目はギリギリアウトだが、その実僕にしか見えず今のところ敵意を持ってなにかするわけでもない。
一日中家の周りをウロチョロされるのも気が病みそうになるのでこうして犬小屋を作り、そこで飼っている。
ちなみに病院で僕に最初に話かけてきたのは、何を隠そうこの山田ヒロシだ。
「旦那~、犬にじっとしててくれよは無理なことですよ。
犬は忠犬なんて言って、主人に忠実なんていいますけど、自分は自由に寝たい生きたい暮らしたい。
腹が減れば食事をし、眠くなったら眠ります。
欲を言えば今日の晩御飯はハンバーグがいい。
てことで、あっしはそろそろパチ行ってきます」
言うだけいった山田ヒロシは背を向けヒラヒラと手を振ってから犬小屋に戻っていく。
前述したものに追記するならば、山田ヒロシは虚言壁で人の話をきかず、自分の言葉ですべてを完結させるきらいがある犬畜生以下。
「はぁ、会話するだけ疲れるイラつくぅ。
つか、パチなんてどこにもねえだろが。
まじ、はやくどっか行ってくんないかなぁ」
先ほどまでのムードが完全に崩壊したテンションは異常なまでに落差があった。
しかしそれも家の中に彼女が待っていることを思い出して復活。
玄関の戸に手をかけて家に入った。
*
「なんか話声してたけど、誰か来てた?」
丸テーブルで二人、今日出された夏休みの宿題をしていると唐突に聞かれた。
山田ヒロシのことは僕以外には誰にも見えていないのでこうして、あいつと話し会うとよくこういう弊害が出る。
「ううん。
ヒロシがちょっとフリーダム過ぎたから叱ってただけ」
嘘は言ってない。
「ヒロシってめーや君家の犬の名前だよね?
私そういえばヒロシに一回もあったことないかも」
「え、そそそ、そうだっけ?
い、一、二回ぐらいは会ったことなかったかなぁ?」
「ないよ。
犬種とかはなんなの?」
宿題のさなかまさかの方向に話がそれてあらぬ事態を呼びそうになる。
「犬種は、中ね……ぽ、ポメラニアンかな」
「へえぇ~。
今、見たいんだけど、いい?」
「えっ、見たいの?
あんなのを?」
「なんかすごい嫌な顔してるけど、もしかして家族以外に見せたくないみたいな?」
「いや、そんなことはあるけど。
なんなら、見たら後悔するレベルなんだけど……」
「まさかの全否定!」
太陽さんにこれ以上迷惑を掛けたくない反面、犬小屋のところまで連れて行って実際にはなんにもいませんでしたでは済まない感じになってきている。
祖父ちゃん祖母ちゃんにも、犬飼っている設定はなかなかに応えたのか、僕が犬小屋を家の隅に立ててネームプレートに山田ヒロシと書いたときは無言で肩を抱かれた。
その日の晩御飯が僕の好きな食べ物ばかりが食卓に並んだのは言うまでもない。
「いま、ヒロシ、機嫌悪いみたいだからさ、帰るときにちょっと覗いてみるって感じでいい?」
最大限の譲歩というより問題の先延ばしとしか言いようのない提案。
「いいよー。
まだ宿題も終わっていないしね。
それにマリウォもまだやってないし」
どうやら納得がいったのか、それとも空気を読んでくれたのか一先ずこの場はなんとかあの犬に関して話題に上がることはなかった。
そうして二人で今日出された課題をし始める。
嬉しいことでもあるが、悲しいことでもあるのが太陽さんは頭がかなりいい。
テストはいつも90点から100点の間しかとっていないし。
クラスでは一番頭いいし。
全国的に太陽さんの学力は上から数えた方がいいのはこの前やった模試の結果で知っていた。
ということで生物以外はチンプンカンプンな僕は彼女に勉強を教えてあげるよりも、教えてもらう方が多くて、今だって、血の涙を流しながら教えてもらっている。
「太陽さん、生きててくれてありがとう……」
「えっ、どうしたの!?
その血涙!?」
驚く顔もやっぱり可愛い。
「太陽さんの後光で、目が、バル〇しただけだから。
気にしないで……。
目がぁ、目がぁ」
「めーや君!
バル〇は、盲目になる呪文だよ!
まだ、諦めないで!」
必死になって変な返しをする太陽さんはやっぱり可愛くて、身長が高いのに、幼い顔なところも、ちょっとくせっけな綺麗な髪も、全てが好きだ。
こんな時間が一生続けばいいのに、そう思わずにはいられないほどに、今の時間は僕にとって一生の宝で、この時間がないことを考えられないほどに、僕は彼女にゾッコンなのだ。
そう再確認する瞬間だった。
*
「ただいま。
あ、太陽ちゃん、いらっしゃい」
宿題が終わり、二人でマリウォをやっていると祖母ちゃんが返って来た。
手にはエコバッグを持っていてネギが飛び出しているあたり、今日の夕飯は焼き鳥、しかもねぎまは確実だ。
「こんばんは、秋穂さん。
おじゃましてます」
ぺこりと頭を下げる太陽さんの後ろ、何をしても光と舞い散る花が見えることに、そろそろ病院行った方が良いかもなと真剣に思う。
ちなみに秋穂とはうちの祖母ちゃんのことで、太陽さん曰く、おばさんっていう言い方が憚られるからとか。
「太陽ちゃん、今日、焼き鳥なんだけど、食べていかない?」
「えっ、いいんですか! ヤッター!」
台所の冷蔵庫に買ってきた物をしまう祖母ちゃんが振り向き、口にしたのはご飯のお誘い。
ほら、来た。
やっぱりあれはねぎま用のネギだ。
と思ったけど、それよりも太陽さんとご飯が一緒に食べられることにテンションが跳ねあがる。
「じゃあ、めーや君、私、お手伝いしに行くね」
「うん。
僕も、ちょっと走りに行ってお腹空かせてくることが、今決まったよ」
コントローラーとテレビに繋げたコードを外して、外に出る支度をする。
即断即決が僕の心の教訓で、決めたことはさっさとやるのに限るとは、太陽さんに告白しようとしたときに学んだ。
スポーツシューズを履いて家を出る前に、太陽さんのエプロン姿が見れたことは脳の記憶域にしっかり記憶して外に出る。
時間が流れるのは早いもので既に夕日の空。
高い卵の卵黄みたいな色の太陽に、雲もやたらとオレンジ色だ。
「青春ですねぇ、いいですねぇ。
わこうどの青春はいつ見ても、酒の肴になるっちゅうことやんなぁ。
そげん、坊主もそろそろ、大人のステップ、上ってもいい頃じゃないんか?」
「うるせぇよ。
ちょっと黙ってろ」
靴のかかとをつま先で地面を数回蹴っていれる。
横から聞こえてきた声のせいで、やや力強くなってしまったのは致し方ない。
「って、ご主人様、そんな口悪い言葉、吐いちゃいかんですぞい。
言葉には、言霊、言うもんがあって、口にしたことには魂と人格、宿るっちゅうことです。
魂あるもん大事にせなあかんのに、そんな汚い言葉、うち泣きまっせ、踊りまっせ。
かー、こりゃ、臭いし不味い。
犬の糞よりも臭いってどういうことだ」
誰でも知っているようなうんちくを若干歪曲させて話すのは、僕のすぐ横にいるペットの山田クソヒロシだ。
ザリガニそのまま食ってるし。
「わかったよ。
いいから、家に入ってろ。
お前と会話しても埒が明かないのはこの二年でよくわかったから。
家っつっても、お前の家だからな。
うちに入るなよ」
犬小屋を指さし「ハウス!」と言うと、しょぼくれるヒロシは言った通り伝わったのか、珍しくトボトボ引き下がる。
どうした?
いつもなら……。
「わかってます、わかってます。
そんな仏の寝耳も三度の念仏みたいなこと言わんといてください。
こっちですよねぇ。
そんじゃ、お邪魔しま……」
とか言って、僕がラリアットする流れなのだが。
「はいはい。
戻ります戻ります。
寂しい我が家に戻ります。
まあ、気いつけて行ってください。
日もそろそろ暮れます。
最近、何かと物騒ですから」
「……」
肩を露出させた白下着と、青と白の縞パンの背を見送って走りに行く。
本当にここまでききわけがよかったのは初めてのことで、何か変な違和感があって何かが起きそうな、そんなことを思ってしまう。
「変なヒロシ……」
そんな考えも太陽さんの作ってくれた焼き鳥が待っていることに比べたら、小さいことで、足を動かしたらすぐにどこかに行ってしまった。
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