第0話 「出会うまで」
僕たちの始まりは高校一年生の夏休み。
その三日目に遡る。
僕と彼女が出会ったのはある夏の。
ある晴れた日。
いい加減セミを祟ってきたくなる頃。
7月28日 天気 快晴。
耳を塞いでも木霊して聞こえてくるセミの鳴き声。
直射日光と大差ないほど光が入ってきて暑い室内。
エアコンもないうえに扇風機はオンとオフしかない遥か昔の中古品。
夏休みの宿題という目的はあるが、暑さのせいかそれとも元来の自分の性格のせいかやる気が起きない夏休みの午前中。
カタカタと鳴るおんぼろの扇風機を傍目に、色落ちした畳に仰向けになって寝転んでいるのが何を隠そう僕だった。
「あっついな~。
祖母ちゃん、いつ帰ってくるんだろ」
日常に飽きて、何か起きないかと願っているありきたりな高校男児。
それが僕だ。
学校に隕石落ちないかなとか、トラックに轢かれたら本当に異世界転生できるかもしれないけれど、轢かれるのは怖いなぁとか。
そんな妄想を日常的にしてるイタイやつ。
それが僕だ。
さっきまで読んでいた小説も頭の横で、ぐったりとしている。
きっと暑さに負けたのだろう。
物語の中の主人公は剣と魔法を駆使して世界を救おうと奮闘していたけど、こうも暑いとその世界に没入できないほどに頭も焼かれているように感じた。
「ジャリジャリ君でも食べるかぁ」
地元から離れた僕は父方の両親、祖父ちゃんと祖母ちゃんの住むこの場所で進学した。
学校が始まって早四か月と少し。
ビルよりも田んぼの方が多く、○○タワーよりも○○山の方が多く、車より徒歩通が多いこの場所はありてえに言えば田舎だ。
虫はそこら中とび回っているし、動物の飛び出しの看板はよく見かけるし。
なによりあたり一帯に公的機関以外に大きな建物が一切ない。
どこかに遊びに行こうと言ったら、ゲーセンでも、カラオケでもなくて山か川が先に出てくるあたり察してほしい。
だからこの夏休みはできる限り外に出ないで、日焼けもせず色白なまま夏休み明けの高校に通うのだと、胸の内で密かに計画していた。
都会っ子の自分からしたら夏に冷房のない場所で遊ぶなんて信じられない。
そう思ってしまうほどには文明の波にどっぷりと漬かり、こうしてオンボロな扇風機でもないよりはましだった。
「あれ?
ジャリジャリ君ないじゃん。
マジかー。
シャリシャリ君で我慢しよ」
冷蔵庫の前、やっとの思いで立ち上がったのにどうやら食べたかったアイスは不在のようだ。
ピンポーン。
そんなしょうもない嘆きを馬鹿にするように、木霊した間抜けな音。
それが外からの訪問者による合図だと気が付くのにたっぷり十秒。
気付くまでにもう一回鳴ったが、すぐに行かなかったのは誰か出るであろうという他力本願なところが出たのは認めざるを得ない。
「……はあぁ」
わかりきっていたことだが今は自分しか家におらず面倒くさいが玄関に向かう。
一歩、一歩と蝸牛に遅いと言われそうな歩調。
ノロノロと玄関に向かうまでに留守だと思って帰ってはくれないだろうか、そう悪い思考が脳裏をよぎる。
それも三回目の呼び鈴が許してはくれなかった。
「は~い、いまいきま~す」
眼前に迫る玄関口は木製の格子に透明なすりガラス。
暴風雨の直撃か拳大の石が勢いよく飛んで来たらいい音で割れそうな感じだ。
危険妄想は置いておいて、そんな脆いガラスに訪問者の陰影が映る。
映った影は高校一年男児の平均身長とお揃いの僕とこれまた同じくらい。
今更になって自分の恰好が誰かに見られても大丈夫なものなのかと、よれたTシャツとジャージの下であることにわずかな後悔。
とりあえず何かの変な宗教勧誘でないことと押し強めの訪問販売でないことを祈りながら戸を開く。
その瞬間。
衝撃が走った。
ガララと横にスライドした戸が走馬灯のように見えたのは、僕が非力であることでも、まして立て付けが悪いことの証明でもなかったのだろう。
そこには僕と同い年くらいの黒髪の女の子が立っていた。
「あっ、こんにちは。
隣の朝日です、ってあれ?」
「――――」
上手く言葉が出てこないのを気取られてなのか、先ほどから無性に喉が渇き息がしづらい。
物語の登場人物が緊張や焦りから喉が渇く、口の中が渇くと言っていたのを今になって実体験する。
「……君、もしかして、如月明夜君?」
「――――!」
口をパクパクさせながらもなんとか頭を上下に動かして肯定の意志を示すことに成功。
傍から見たら餌に飛びつく鯉みたいなこと間違いなしだ。
「! やっぱり!
へー、如月君って如月さんのお家の子だったんだ~」
「――――」
再びのヘドバン。
すると目の前からA4用紙が何枚か噛まされたグリップ付きの物を渡された。
先ほどから、謎の動揺でうまく考えがまとまらないあたり頭に雷でも落ちたのだろう。
強い衝撃はこんなにも体を熱くさせる。
「これ、回覧板。
中見たら隣のお家に渡してね。
それじゃあ、また、学校で」
「え、あ、か、かい、ら、えぁ、あ。
は、はい」
終止、口をぱくつかせていただけの僕はきっと鯉よりも鯉してた。
そんなくだらないことを思いながら彼女の最期の言葉はなんだったのだろうと、熱が冷めないのを感じる。
何とか絞り出した僕の言葉を受けて彼女は方向転換の後、日に照らされたあぜ道を軽やかに歩いて帰っていった。
目が彼女を追う。
彼女の声に耳を澄ます。
澄ましているとフンフンと鼻歌が聞こえてきて、なんだか無性に笑みが零れそうになる。
目が彼女の背を見えなくなるまで追って、途中で振りむいたりしてくれないかなと期待して、でもそんなことは起こるはずもなくて。
そうして僕はやっと気が付いた。
この行動はなんなのか。
この動揺はなんなのか。
この気持ちはなんなのか。
扉が開くのがスローモーションに見えたのも。
彼女の顔を見たときに衝撃が走ったのも。
彼女の顔を見て不思議な多幸感があったのも。
彼女の一挙手一投足を目が追ってしまうのも。
彼女の声に耳を澄ますのも。
彼女の声を脳内でループさせ続けているのも。
彼女の目が大きくて、鼻がスラッとしてて、口が小っちゃくて。
髪が長くて、服が可愛くて、肌が白くて、可愛くて……って、そういうところに幸せを感じる理由。
物語の中では雷が直撃したり、キューピッドなる天の使いが胸に矢を射たり。
そういう描写がよくされるそれだと。
体温があがったり、途端に緊張したり。
手汗がべっちょりしたり、目があっちいったりこっちいったり。
認めよう。
扉を開いたあの瞬間、僕は彼女に一目惚れしたのだ。
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